2006年04月17日

フランスの国益を守ったド・ゴール(EJ1817号)

 米国はなぜ、ドルという基軸通貨の原点であったはずの金とド
ルとの交換を停止したのでしょうか。ニクソンの決断にいたる経
緯について考えてみます。
 第2次世界大戦を前にして、ヨーロッパ諸国は戦火に見舞われ
て、国土が混乱したのです。そのため、英国やフランスは、自国
が保有する金を緊急避難のため米国に預かってもらったのです。
米国に預けていれば安心だからです。
 こういう背景があって、世界の金は米国に集中したのです。F
RBの調査によると、1949年末現在で全世界の金の70%が
米国にあったといいます。これらの金は、ニューヨーク連銀の地
下金庫に保管されていたのです。そこには、それぞれの国の金保
管スペースが用意されていたのです。
 一方、米国が保有する自国の金は、ケンタッキー州の米国陸軍
基地フォート・ノックスの地下金庫に格納されていたのです。米
国は、このように世界中の金のほとんどが米国に集まるという状
況を利用しようと考えたのです。
 米国はドルと金との交換をするさい、いちいち金をその国に移
送するのは危険であるし、効率もよくないので、ドルと交換した
金はその国の刻印を打って、ニューヨーク連銀の各国の金保管ス
ペースに移しておくことを各国に承知させたのです。
 このやり方なら、金はフォート・ノックスの地下金庫から、ニ
ューヨーク連銀の地下金庫に移動するだけで、金そのものは米国
内に置かれたままになるわけです。米国にとってこんな都合の良
い話はないわけです。
 仮に米国が金を預かっている国と敵対関係になった場合、米国
はその金を封鎖できるからです。そうするとその国は金を他の国
との決済に使えなくなるので、絶対に米国とことを構えることは
できなくなる――そういう読みが米国にはあったのです。
 第2次世界大戦後、米国は消費、援助、軍事大国として台頭し
たのですが、朝鮮戦争が勃発したことにより、輸入が大幅に増加
します。その結果、米国からのドルの流出が流入を大幅に上回る
ようになり、金などの準備資産の減少がはじまったのです。米国
は世界経済に絶大な影響を持つ基軸通貨国ですから、その裏づけ
である金の保有額が減少することは大問題だったのです。
 これに対して、スイス、フランス、オランダ、イタリアなどの
ヨーロッパ諸国は黒字によって大量のドルを抱えるようになり、
当然のことながら、米国に対して保有するドルと金の交換を要求
したのです。こうして米国はしだいにドルと金との交換を渋るよ
うになり、少しずつ追い詰められていったのです。
 変動相場制のもとでは、輸入をするときは外国為替市場で自国
通貨を売ってドルを買い、輸入代金を支払います。輸入額が多く
なると、外国為替市場でのドルに対する自国通貨の供給が増える
ので、ドルは高くなり自国通貨は安くなります。
 これに対して、輸出業者が多額の輸出代金をドルで受け取り、
外国為替市場でドルを売却して自国通貨を買うと、ドルの供給が
増えるのでドルは安くなり、自国通貨は高くなります。つまり、
需給に合わせて為替レートが変動するのです。
 しかし、ブレトン・ウッズ体制のもとでは、為替レートの変動
をドルに対してプラス、マイナス1以内に制限しているのです。
したがって、この上限、下限に近づくと、各国の通貨当局は外国
為替市場に介入しなければならなかったのです。
 これはどこの国の為替レートも、ドルとの関係で維持されるこ
とを意味しており、真の意味の変動相場制ではなく、固定相場制
であったといえるのです。これは、ブレトン・ウッズ体制の矛盾
点のひとつであるといえます。
 米国がドルと金を簡単には交換しなくなったことに対して各国
はどのような対応をとったのでしょうか。
 注目すべきはフランスの対応です。当時のフランス大統領は、
シャルル・ド・ゴールですが、彼にはジャック・リュェフという
優れた経済顧問が付いていたのです。リュェフは、基軸通貨国で
ある米国は、赤字国としての責任を放棄していると痛烈に批判し
たのです。米国はいくら赤字になってもドルを自国に還流させる
ことによって赤字を穴埋めすることができたからです。つまり、
ドルを外貨準備として保有することは、米国の赤字を埋めてやる
ことになると批判したのです。
 そして、1965年2月、ド・ゴール大統領は有名な演説を行
い、米国の金為替本位制を強く批判し、金本位制へ戻すべきであ
ることを強調したのです。そして、通貨について米国から独立す
ることを宣言したのです。
 金為替本位制を機能させてきたのは米国の圧倒的な金の保有量
なのです。当時米国はヨーロッパ主要6ヶ国と同等の金を保有し
ており、圧倒的だったのです。しかし、その条件が満たされなく
なってきたにもかかわらず、制度だけはそのまま残っている――
そうすると、米国は何の苦労もなく、世界中から借金ができるよ
うになっているとド・ゴール大統領は米国を批判したのです。
 どこかの国の指導者と違って、ド・ゴール大統領は単に口先の
パフォーマンスで終わらなかったのです。大統領の指示でフラン
スの中央銀行は、ニューヨーク連銀に預けてある自国保有の金を
すべて引き出して、フランスに持ち帰ってしまったのです。
 そして、保有していたドルのほとんどを金に交換するよう米国
に迫ったのです。米国は、フランスのこの行為をド・ゴール大統
領の「金戦争」と呼び、強く反発したのですが、フランスは金と
の交換を強行したのです。国益を守るための当然の行動です。
 ド・ゴール大統領は、なぜ、こうするのかについて国民に時間
をかけて説明しています。場合によっては米国との戦争も覚悟し
なければならなかったからです。
 そのため大統領は約一ヶ月すべてのスケジュールをキャンセル
し、国民に通貨問題を分かり易く説明するための原稿作りに取り
組んだといわれています。こうしてド・ゴールはフランスの国益
を守ったのです。         ・・・[日米関係の謎12]


≪画像および関連情報≫
 ・ド・ゴールについて/1890〜1970
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  「フランスは毅然としていなければならない。貴婦人は言い
  寄られることはあっても言い寄ったりしない」。ド・ゴール
  の外交政策の基本は、(体制は西側だが)東西いずれの陣営
  にも属さずフランス独自の「自立」と「栄光」を求める点に
  集約されている。ド・ゴールは反アメリカの姿勢から64年
  には中華人民共和国(アメリカと敵対)を承認し、同年には
  ソ連と通商条約を締結した。
  http://www.kaho.biz/degaulle/n.html#4
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1817号.jpg
posted by 平野 浩 at 04:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 日米経済関係の謎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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