魯迅の次の言葉ではじまり、ジョン・レノンの『イマジン』で終
るという構成になっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
思うに希望とは、もともとあるものともいえぬし、
ないともいえない。
それは地上の道のようなものである。
もともと地上に道はない。
歩く人が多くなれば、それが道になる。 魯迅
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
篠田監督は、最初からそのように決めていたのです。この映画
の音楽は池辺晋一郎が担当したのですが、篠田監督は池辺にそれ
を依頼するとき、あらかじめ、ジョン・レノンの『イマジン』と
武満徹の『弦楽のためのレクイエム』を使うことについて了解を
求めているのです。
池辺晋一郎ほどの大家になると、そういう注文は嫌うものです
が、彼は1984年には『瀬戸内少年野球団』、1990年には
『少年時代』などの篠田作品の音楽を担当しており、気心も知れ
ているので、これらを了解したうえで音楽を引き受けているので
す。そのため、この映画には、篠田好みの音楽がふんだんに使わ
れており、そういう観点から見るのも面白いと思います。
篠田監督の音楽好きは相当なもので、作曲家武満徹に心酔して
いたのです。篠田は、1960年の監督第2作目になる『乾いた
湖』ではじめて武満に音楽を依頼して以来、16の作品の音楽を
武満に依頼しています。大変な武満ファンだったのです。
その武満徹は1996年2月20日に急逝してしまうのですが
そうでなかったら、この映画の音楽は武満に書いてもらいたかっ
たに違いないと思われます。篠田の話によると、今から15年前
に武満とこの映画について話し合ったことがあり、そのとき武満
は、「スパイの映画だから、ものすごく優しい音楽を書こう」と
いってくれたそうです。それにジョン・レノンの『イマジン』を
使うようにアドバイスしたのも武満だったのです。
そういうことがあったからこそ、篠田は2.26事件のシーン
に武満の『弦楽のレクイエム』を使い、最後のところで『イマジ
ン』を使ったのです。
もちろん映画『スパイ・ゾルゲ』でメインに使われている曲は
池辺が作曲した次の2つの曲です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
池辺晋一郎作曲、『交響曲第5番/シンプレックス』
佐藤功太郎指揮/東京都交響楽団
池辺晋一郎作曲、『交響曲第6番/個の座標の上で』
岩城宏之指揮新日本フィルハーモニー交響楽団
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ゾルゲの日本人妻だった石井華子(葉月理緒菜)が、ゾルゲが
刑死したあと自室でレコードを聴きながら、嘆き悲しむ印象的な
シーンがあります。そのとき流れていた曲は、バッハの『無伴奏
チェロ組曲第6番』なのです。
ゾルゲはこの曲が非常に好きで、いつもこのレコードをかけて
仕事をしていたといわれます。演奏は、パブロ・カザルスです。
石井華子という人は、生涯ゾルゲとの愛を貫き通した人であり、
そのゾルゲとの思い出を『人間ゾルゲ』(勁草書房)にまとめて
いるのですが、その中でこのバッハのレコードをゾルゲからプレ
ゼントされたと書いているのです。
さて、映画では、コミュニストであったゾルゲと尾崎を『イン
ターナショナル』、ドイツ人を『菩提樹』、そして、『東京ブギ
ウギ』や『リンゴの唄』が日本の戦後を象徴するものとして挿入
されています。それにCGで描かれた日劇と朝日新聞社、数寄屋
橋のシーンが非常に懐かしいです。
この中で、『インターナショナル』については、少し説明が必
要です。これは、「立て、飢えたるものを、今ぞ日は近し、立て
よ、わが同士・・・」というあの労働歌なのです。これをギター
で弾いているのですが、この曲を編曲したのは武満徹なのです。
武満の作品に『ギターのための12の歌』というのがあるので
すが、この作品はポピュラーな12の歌を武満がギターへ編曲し
たものです。取り上げている12の歌は「ロンドンデリーの歌」
にはじまり、コスマの「失われた恋」、ビートルズの「ミッシェ
ル」「ヘイ・ジュード」「イエスタデイ」、そして「インターナ
ショナル」で終わるのです。最近では、ギタリストの福田進一が
CDを出しています。篠田は、その中のギターの「インターナシ
ョナル」をさりげなく映画で使っているのです。
映画の最後にジョン・レノンの『イマジン』が演奏だけで流れ
歌詞がスクリーンに表示されます。篠田はレノンが歌う『イマジ
ン』ではなく、文字で歌詞を入れたかったといっています。日本
人は未だに『イマジン』をラブソングだと思っているからです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
想像してごらん、この世に国家なんか存在しないと
決して難しいことではない
殺戮も死もなくなり、
宗教の争いも消えてしまう
想像してくれよ、すべての人間が
平和に暮らしている姿を
君はこんな私を夢想家と思うだろうが
――ジョン・レノン
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
この音源は、レノンが自分の歌を入れるために作っていたもの
をオノ・ヨーコさんからもらったものと篠田はいっています。
そして、俳優やスタッフのクレジットが終わったあとに「この
作品を武満徹に」ということばが出て映画は終わるのです。篠田
の武満への思いの深さがよく分かります。
このテーマはこれで終り、来週からは別のテーマです。



