ます。現在放映中のNHKの大河ドラマの『龍馬伝』も最初のう
ちは視聴率は高かったのですが、最終章に入っている現在は視聴
率が下がっているようです。
ドラマは台本次第といわれますが、それ以外にも幕末のドラマ
には、次の3つのことは間違いなくあると思います。
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1.幕末の政治情勢が複雑でわかりにくい
2.難しい言葉が多く内容がわかりにくい
3.登場人物の人間関係が入り組んでいる
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このうち1と3については、このテーマを書き進めるなかで明
らかにしていくつもりです。2については、その前に明確にして
おく必要があります。言葉の問題からはじめましょう。
坂本龍馬のことを書いた本には、「尊王攘夷」(そんのうじょ
うい)という言葉が出てきます。「攘夷」というのは「夷敵(外
国人)を排斥する」という意味ですが、「尊王」とは何を意味す
るのでしょうか。なお、「尊王」は「尊皇」と書くこともあるの
です。どう違うのでしょうか。
「尊王」は、中華思想にある概念です。意味は、「王を尊ぶべ
し」ということになります。「尊皇」とは、尊王から派生した日
本独自の概念です。いうまでもなく「天皇を尊ぶべし」というこ
とになります。ですから、日本では「尊皇」になります。
これに関連して「勤王」という言葉あります。日本でいうと、
「勤皇」ということになります。これは「王(皇)のために勤め
る」という意味であり、「王(皇)のために殉死できる」という
意味を持ちます。
もうひとつあります。榊原英資氏は「龍馬は佐幕開国派」であ
るといっています。「佐幕」とは何でしょうか。
「佐幕」とは、「幕府を慕い、補佐する」という意味です。い
うまでもなく、幕府は、武士による政治機関の名称であり、その
代表は天皇により任命される「征夷大将軍」です。よく「尊皇」
と「佐幕」は対立概念といわれていますが、必ずしもそうとはい
えないのです。なぜなら、幕府を尊ぶことは、天皇を尊ぶことに
つながるからです。
とくに幕末期において、第14代将軍家茂と孝明天皇の妹であ
る和宮との婚姻が成立し、天皇家と幕府の親密な関係が築かれて
いたのです。したがって、佐幕と尊皇は本来相対する概念ではな
いのです。
しかし、尊皇攘夷はある事件を契機にして、倒幕運動に姿を変
えていくのです。それは、次の2つの武力衝突のことです。
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1.薩英戦争
2.下関事件
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第1は「薩英戦争」です。1862年9月14日のことです。
薩摩の島津久光が江戸からの帰国途中、相州生麦村(現横浜市鶴
見区)を通過のさい、行列に馬で乗り入れた上海の英国の商人、
C.L.リチャードソンら4人を殺傷するという事件が起こった
のです。これを「生麦事件」といいます。
「薩英戦争」は、この生麦事件の解決を迫る英国と薩摩藩の間
で戦われた鹿児島湾における砲撃事件のことをいうのです。鹿児
島では「まえんはまいっさ」──前の浜戦と呼ばれています。薩
摩藩は砲撃に関しては相当自信をもっていたのですが、結果は英
国の一方的な勝利だったのです。歯が立たなかったのです。
第2の「下関事件」とは、幕末に長州藩と英、仏、蘭、米の列
強4国との間に起きた、前後2回にわたる武力衝突事件です。馬
関戦争ともいいます。
前段は、1863年5月、攘夷実行という大義のもと長州藩が
馬関海峡(現関門海峡)を封鎖し、航行中の米仏商船に対して砲
撃を加えたのです。
約半月後の6月、報復として米仏軍艦が馬関海峡内に停泊中の
長州軍艦を砲撃し、長州海軍に壊滅的打撃を与えたのです。とこ
ろが長州はひるまず、砲台を修復した上、対岸の小倉藩領の一部
をも占領して、新たな砲台を築き、海峡封鎖を続行したのです。
後段は、前年からの海峡封鎖で多大な経済的損失を受けていた
英国は、長州に対する懲戒的報復措置をとることを決定し、仏・
蘭・米の3国に参加を呼びかけて、艦船17隻で連合艦隊を編成
し、同艦隊は8月5日〜7日に馬関(現下関市中心部)と彦島の
砲台を徹底的に砲撃して、各国の陸戦隊がこれらを占拠・破壊し
たのです。 長州藩は徹底的に叩き潰されたのです。
この薩英戦争と下関事件の2つの武力衝突によって、現在の日
本の戦闘力ではとうてい攘夷など不可能であると悟った両藩は、
その矛先を幕府に変えていったのです。つまり、倒幕です。
さらに単純な攘夷論ではなく、国内統一を優先して、外国との
交易によって富国強兵を図り、諸外国と対等に対峙する力をつけ
たうえで攘夷を行う「大攘夷論」が出てきたのです。
攘夷運動の主力であった長州藩と薩摩藩は、この大攘夷論の考
え方を受け入れ、事実上開国論へと転向していくのです。しかし
幕府は倒さなければならないとし、「尊皇開国+倒幕」の立場に
立ったのです。
これに対し「佐幕開国」という考え方があります。あくまで幕
府主導で開国を行うという考え方です。将軍家茂もこの考え方で
あったのです。榊原英資氏は、坂本龍馬はこの「佐幕開国派」で
あったと主張しているのです。
NHK大河ドラマの龍馬もそれに近い考え方で描かれているよ
うに思います。どちらが正しいのかはこれから検証していくなか
で明らかにしていきます。言葉の問題は、この程度のことを承知
していれば十分であると思います。
── [新視点からの龍馬論/06]
≪画像および関連情報≫
●『演出に当たって』──大友啓史氏
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人が人を惹きつけるのは、決してその人が語る「内容」のみ
ではないと思います。それは、「誰が発するか」に拠るとこ
ろが大きい。その人が発する声は、「音」―でもある。その
人の発する仕草や佇まいは、「匂い」―でもある。龍馬が人
を惹きつけたのも、彼の「声」や「仕草」、「匂い」ではな
かったか・・・改めてそう思います。それは、「論理」+ア
ルファの世界・・・感覚的な、「音楽的な装い」に近かった
のではないか・・そうも、思います。(一部略)歴史の中に
いる「龍馬」ではない、現代を生きる「龍馬」。それは、演
じるまでもない―そこに「福山雅治」がいるだけでいいので
はないだろうか。演出にとって、そう思えることこそが「最
大の武器」になります。歴史から解き放たれた「龍馬=福山
雅治」を、目の前で見てみたい・・・それが、今回の僕の強
い演出願望につながっています。「創造する現場」を武器に
福山雅治さんと共に、現代に甦る活き活きとした龍馬像を創
意工夫を尽くして作り上げたい・・・そう願っています。
http://www3.nhk.or.jp/drama/html_news_ryouma.html
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福山 雅治氏