2006年04月13日

なぜ、8月15日だったのか(EJ1815号)

 米国がこれまでにドルに対して実施した大きな政策の第1――
ブレトン・ウッズ体制についての分析は前回までで終り、今回か
ら第2の「ニクソンの歴史的決断」について考えます。
 米国東部時間1971年8月15日、時の米国大統領リチャー
ド・ニクソンは、全米向けテレビ・ラジオ放送で「平和という挑
戦」と題する演説を行ったのです。後に「ニクソンショック」と
いわれることになる歴史に残る演説だったのです。
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 通貨の力は、その国の経済力に依存している。アメリカ経済は
 いまでも世界で最強である。しかし、国際的な金融投機筋がド
 ルに戦争を仕掛けている。私はドル防衛のためにドルと金、ま
 たは準備資産との交換を一時停止するよう、コナリー財務長官
 に指示した。      ――リチャード・ニクソン米大統領
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 これが何を意味するかを考える前に、この演説が、なぜ、8月
15日に行われたかについて考えてみます。8月15日といえば
日本では終戦記念日、天皇陛下の玉音放送が行われた日です。ち
ょうどこの日にニクソンの演説が行われているのです。
 正確にいうと、ポツダム宣言の受諾通告と終戦の詔書の公布が
行われたのは、米国時間の8月14日(対日戦勝記念日)であっ
て、15日ではないのです。
 それなら、8月15日が選ばれたのは偶然なのかというと、必
ずしもそうではないと考えられるのです。それは、ニクソンの演
説の最後の部分に出てきます。
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 第2次世界大戦が終わったとき、欧州そしてアジアの主な産業
 国において、経済はいずれも破壊されていました。それら国々
 を独り立ちさせ、自由を守る一助にと、米国は過去25年間に
 わたり、1430億ドルの援助を提供してきたのであります。
 われわれは正しいことをしたのでした。しかし、今日、もっぱ
 らわれわれの助力によって、彼ら諸国は活力を回復しました。
 どころかわれわれの強力な「競争相手」となるに及んだのです
 からわれわれはこの成功をもって瞑すべしです。しかし、諸国
 がいまや経済的に強力になったのである以上、時は来たのであ
 ります。彼らといえども、世界中で自由を防衛する負担の一部
 を公平に担うべきです。          (「」は平野)
                    ――ニクソン大統領
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 これを読むとそれとわかるように、ニクソンはやはり日本を意
識していると思うのです。演説の中の「競争相手」とは明らかに
日本を指しています。当時日本は佐藤栄作内閣――沖縄が返還さ
れる一方で、日米繊維摩擦が熾烈を極めていたときです。
 1971年といえば日本はブレトン・ウッズ体制の下で、「1
ドル=360円」の固定相場制をひき、円安を武器に為替変動リ
スクをまったく気にすることなく、集中豪雨のように米国に車な
どを輸出していたのです。大統領の頭の中に、日本がぜんぜんな
かったとはとても考えられないのです。
 谷口智彦氏の本には、8月18日付のニューヨークタイムズが
複数の政府高官のコメントを次のように紹介しています。
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 金・ドル交換停止が主として狙うのは日本円である。(金に対
 する交換比率をいじる形の)ドルの利下げでは、円の過小評価
 を正せないと考えたのだ。輸入課徴金は、他国が通貨切り下げ
 に踏み切らざるを得ないようにする(テコの役目を果たす)も
 のだ。            ――複数政府高官のコメント
     ――谷口智彦著、『通貨燃ゆ/円・元・ドル・ユーロ
             の同時代史』(日本経済新聞社刊)
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 これによってもニクソンが日本を狙い撃ちにしたのは明らかで
あるといえます。実は米国のこの政策決定はニクソンとコナリー
の間で、60日も前から決まっており、実施する時期を探ってい
たといわれます。
 1971年8月13日の金曜日の朝――ニューヨーク連邦準備
銀行外国為替課からワシントンの財務省に次の急報が飛び込んで
きたのです。
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 英国が30億ドルにのぼる手持ちドルと引き換えに金を要求
 してくる。
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 「もう待てない」と考えたボルカー国際担当財務次官(後のF
RB議長)の要請によって、ワシントン郊外のキャンプデービッ
トに関係者が急遽集められたのです。財務長官のコナリーは休暇
先のテキサスから呼びつけられています。このときの会議は夜を
徹しての合宿になっているのです。そしてニクソンは、土曜日に
演説原稿の草稿を練り、日曜日の15日に発表したのです。
 ニクソンの演説の最後には、次のような興味ある表現で、暗に
日本を非難していると見られる部分があります。
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 もはや為替相場は偏りのないものでなくてはならず、諸国の競
 争条件は平等でなければならない。そういう時が訪れました。
 なにゆえ米国が、このうえもなおも、両の手のうち一方を背中
 にくくりつけながらこれら諸国と競い合わねばならない理由が
 ありましょうか。     ――リチャード・ニクソン大統領
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 「両の手のうち一方を背中にくくりつけながらこれら諸国と競
い合う」――これは明らかに日本を意識して、米国の立場が日本
に比べると、いかに不利であるかを強調したものであると考える
ことができます。日本は固定相場を円安に維持して輸出を伸ばし
て外貨をため込んでいる――奇しくもこれは現在中国元に対して
いわれる批判と同じです。     ・・・[日米関係の謎10]


≪画像および関連情報≫
 ・ある為替担当者のコラム/ニクソン・ショック
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  新経済政策発表の翌日の8月16日は日曜日であった。朝刊
  でこのニュースを知り事の重大さを認識したもののどのよう
  な影響があるか見当がつかなかった。前日外国為替持高は売
  持ち(ショートポジション)を維持していたので、少なくて
  も実損は無いが、月曜日以降の外国為替市場がどうなるか不
  安であった。とりあえず当時の部長の自宅へ電話をいれた。
  「これから銀行へいきましょうか?」 部長は「今日はマー
  ケットが休みなので、銀行へ行っても何もすることが無い。
  月曜日で間に合うだろう。」という返事。この一言で精神的
  に落ち着いたので、今でも鮮明に覚えている。
  http://forexpress.com/columns/fxcm/kj04.htm
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1815号.jpg
posted by 平野 浩 at 05:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日米経済関係の謎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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