については、皇學館大学教授松浦光修氏が『正論』11月号に次
のレポートを投稿しています。
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NHK大河「龍馬伝」への大いなる違和感
──皇學館大学教授松浦光修氏
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松浦光修氏によると、大河ドラマの龍馬は龍馬らしくないとい
うのです。ドラマの製作者たちは、龍馬という人物の「考え方の
スジ」を十分掴み切れないまま、かなり行き当たりばったりでド
ラマを書いているのではないかと批判しています。
8月22日の第34回の放送で、龍馬は高杉晋作に向かって次
のようにいうシーンがあります。
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ケンカはいかんぜよ。ケンカで世の中が変わるとは、思うちゃ
せんけんの、ワシは・・・。 ──坂本龍馬
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龍馬はこの言葉をドラマの中で何回も繰り返しています。これ
では、龍馬は「平和教育に熱心な日教組の先生から覚えがめでた
いクラス委員長」のようなものと松浦氏はいいます。
坂本龍馬は、大河ドラマでは幕府と長州──「幕長戦争」を回
避し、日本の平和を守るため、薩長同盟成立に奔走するように描
こうといているようですが、これには矛盾があります。
それなら、なぜ龍馬は、船や武器を長州に売り渡す労をとった
のでしょうか。この龍馬の働きによって薩長同盟は成立するので
すが、それはあくまで薩長が力を合わせて幕府を倒すためと考え
る方がスジが通っています。
ここでドラマ製作者は、龍馬に「抑止力」と考え方をいわせよ
うとします。何だか沖縄の海兵隊論争のようなものを持ち込んで
くるのです。薩長が同盟を結び圧倒的な勢力を持てば、幕府は大
政奉還に応ずる──こういう理屈です。このように大河ドラマで
は龍馬はあくまで平和主義者で、戦争には反対する人物として型
にはめようとしているのです。
実際に龍馬は「四境戦争」──第2次の長州征討のこと。また
幕府軍が小倉口、石州口、芸州口、大島口の4方から攻めたため
長州側ではそういわれる──この戦争に龍馬自身は参加している
のです。これはシーンに出てきます。慶応2年(1866年)の
ことです。
これについて、龍馬は次のように兄の坂本権平に書き送ってい
るのです。
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蒸気船で、薩摩から長州へ使いに行ったとき、頼まれてよんど
ころなく、長州の軍艦をひきいて戦争しましたが、これは、な
んの心配にいらない、面白い出来事でした。
──『正論』11月号
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本当に龍馬が大河ドラマで描くような平和主義者であったなら
戦争に参加して「面白い出来事でした」というでしょうか。
龍馬の有名な言葉に「日本を今一度せんたくいたし申し候事に
いたすべく・・」というのがあります。
この「せんたく/洗濯」という言葉にはひとつの思想があると
松浦氏はいいます。古いものを捨ててすべてをまるごと取り替え
るのが外国風の革命思想であるとすれば、「せんたく」というの
は、古いものを捨てずに、それを洗って一から出直すというのが
日本流の「維新」の思想であるというのです。
この「せんたく」という言葉の出てくる龍馬の手紙は、姉に宛
てた次の手紙です。史料については松浦光修氏が現代語に訳して
いるものを引用します。
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まことに嘆かわしいことは、長州で(外国の軍艦との)戦争が
はじまり、先月から6回の戦いがありましたが、日本は敗色が
濃厚です。あきれたことに、長州藩と戦った外国の軍艦を、幕
府は江戸で修理してやって、それで、また長州藩との戦いに向
かわせています。これらのことは、すべて幕府の悪い役人たち
が、外国人どもと内通してやっていることです。役人たちには
かなりの政治力があり、人数も多くいますが、私は、2つか3
つの大名家と、緊密に連携し、同志を集め、天皇のもとにある
朝廷から、まず神国・日本(原文「神州」)を維持する基本政
策を発表したいと思います、そしてそのあと、江戸にいる心あ
る人々(旗本とか大名とか、そのほかにも、いろいろな人々)
と心をあわせて、先に言った幕府の悪い役人たちと戦争し、う
ち殺して、日本をもう一度洗濯したい・・・、私はそう神さま
にお願いしています(原文「神願にて候)」(文久3年〔龍馬
29歳〕6月29日付・坂本乙女宛の書簡)
──『正論』11月号
現代語翻訳/松浦光修氏
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この手紙で龍馬は、外国と通じて、外国の艦隊の方を支援する
幕府の役人への怒りを爆発させています。「幕府の悪い役人たち
と戦争し、うち殺して、日本をもう一度洗濯したい」──とても
平和主義者のいうセリフではないのです。
坂本龍馬は強い尊王思想を持っています。それは彼の次の和歌
によくあらわれています。
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月と日と むかしをしのぶ 湊川 流れて清き 菊の下水
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龍馬は、当時の志士らしい志士と同じように、皇室を尊び、さ
らには、忠臣・楠木正成を敬慕していたことが、この歌から十分
読みとれます。本当の龍馬と大河ドラマの龍馬とはかなり差があ
るようです。 ─── [新視点からの龍馬論/02]
≪画像および関連情報≫
●楠木正成について
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楠木正成は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。
建武の中興の立役者として足利尊氏らと共に活躍。尊氏の
反抗後は南朝側の軍の一翼を担い、湊川の戦いで尊氏の軍
に破れて自害した。鎌倉幕府からは悪党と呼ばれた。明治
以降は「大楠公」と称され、明治13年(1880年)に
は正一位を追贈された。 ──ウィキペディア
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松浦光明教授と「正論」11月号