2006年04月12日

ブレトン・ウッズ会議のミステリー(EJ1814号)

 ブレトン・ウッズ会議の立役者であるケインズとホワイトには
共通項があります。それは、両方とも「ロシア」に関係があると
いうことです。
 ケインズの妻はリディア・ロポコーヴァというロシアのディア
ギレフ・バレエ団のプリマ・バレリーナなのです。チャイコフス
キーの『眠れる森の美女』であるとか、メンデルスゾーンの『真
夏の夜の夢』などのバレエにおいてプリマをつとめた名バレリー
ナだったのです。
 ケインズは大変多趣味の人であり、とくに演劇やバレーが好き
だったのです。当然バレーの公演にはよく行っていたのですが、
1921年のあるバレー団の公演で、プリマを演じたリディアを
見て交際を始めます。
 リディアは既に結婚しており、家庭も仕事も放り出してロシア
軍将校と駆け落ちした過去もあるなど多くの問題がある女性でし
たが、ケインズは法律上の問題を慎重に片づけ、1925年8月
に彼女と結婚しています。時にケインズ42歳、リディアは34
歳でした。1925年というと、革命から8年経過しています。
 しかし、結婚してからは、リディアは病気がちのケインズを献
身的に支え、結婚生活は順調だったのです。ブレトン・ウッズ会
議にもリディアは同行しているのです。
 一方、米国の代表であるハリー・デクスター・ホワイトも、リ
トアニア移民のユダヤ人の息子としてボストンに生まれているの
です。ハーバート大学で経済学博士号を取得し、同大学の講師か
ら1934年に財務省に入っています。
 ホワイトは、ニューディール政策を担当し、ヘンリー・モーゲ
ンソー財務長官に認められ、対外政策担当の首席補佐官の仕事を
するようになります。それに、彼の妻はロシア系ユダヤ人の有名
な童話作家アン・テリーなのです。
 ホワイトは、帝政ロシアを倒した共産党政権こそは理想の政体
であると考えていたフシがあります。ハーバート大学で教授にな
れず、ウィスコンシン州の小さな大学に移ったホワイトは密かに
ロシア語を学び、ソ連の中央計画経済体制(ゴスプラン)につい
て研究していたといわれます。
 このようにロシアに縁のあるケインズとホワイトの2人がブレ
トン・ウッズ会議で対決し、資本主義体制を決定したことになる
のです。しかも、ホワイトの上司のモーゲンソー財務長官も実は
ユダヤ人だったのですから、何やら因縁が感じられます。
 1946年3月、米国のジョージア州サヴァナで開催されたI
MF設立総会に出席したケインズは、その後列車でワシントンに
向かっていたとき、重症の心臓発作を起こして倒れます。何とか
帰国して静養しましたが、再び容態が悪化し、4月21日朝、イ
ングランド南部、ティルトンの別荘で息を引き取ったのです。享
年62歳でした。
 当時まだ50代の半ばであったホワイトも、ケインズが死んだ
2年後の1948年8月にやはり心臓病で亡くなっています。そ
れは議会下院の非米活動委員会で厳しい質問を浴びた直後の死と
いわれています。
 皮肉なことに、その委員会でホワイトを徹底的に質問したのが
若き日のリチャード・ニクソンだったのです。そのニクソンが、
それから23年後の1971年にホワイトの構築したブレトン・
ウッズ体制を葬り去る決断をすることになるのです。
 実はホワイトには「赤」のレッテルが貼られようとしていたの
です。当時はマッカーシズムと赤狩りが全米を覆っており、FB
Iのフーバー長官の下には多くの情報が寄せられていたのです。
 1945年に「赤色スパイの女王」といわれた米国女性エリザ
ベス・ベントレーとカナダ駐留のソ連軍情報部暗号官イゴール・
グゼンコが逮捕され、ソ連のスパイ網の存在を自供したのです。
 FBIでは、ベントレーとグゼンコの証言とNASAのソ連暗
号解読記録をすり合わせることによって、重要スパイのリストを
作成しています。その中にホワイトの名前があったのです。
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       ハリー・デクスター・ホワイト
       アルジャー・ヒス
       ラフリン・カリー
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 このうち、アルジャー・ヒスは、ホワイトハウスで国際連合憲
章を起草した人物であり、ラフリン・カリーはルーズベルト大統
領の首席秘書をつとめた人物なのです。
 FBIのフーバー長官は、ホワイトハウスにトップシークレッ
ト文書扱いで2回にわたり、「政府内に巣食うソ連のスパイ」を
知らせる書簡を送っているのですが、なぜかトルーマン大統領は
フーバーの警告を無視し、ソ連のスパイであることを知りながら
ホワイトを米国のIMF代表に指名しているのです。
 ちなみに、ホワイトがソ連のスパイであったことは、1996
年に機密解除されたCIAの内部資料によっても明らかになって
います。どうして、ホワイトが逮捕されなかったのかは大きな謎
とされています。
 もうひとつ、驚愕の事実があります。1941年11月27日
――太平洋戦争開戦直前に日本側に突きつけられたいわゆる「ハ
ル・ノート」の内容はホワイトが書いたとされているのです。そ
の内容は、日本が日露戦争以降に東アジアで築いた権益のすべて
を放棄することが米国と日本が不可侵条約を結ぶ条件であるとい
うものですが、実際にハル長官が書いた内容とは大幅に異なると
いわれているのです。
 この「ハル・ノート」は、ソ連のKGBの元諜報員ピタリー・
パブロフの証言によって、「ハル・ノート」そのものがソ連で作
成され、ホワイトに託されたものであることがわかったのです。
 ホワイトの上司であるモーゲンソー財務長官はロス・チャイル
ド家系の人間であり、イルミナティに属していたといわれている
のです。           ・・・・・[日米関係の謎09]


≪画像および関連情報≫
 ・イルミナティとは何か
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  1776年、パヴァリアのインゴルシュタット大学で法律を
  教えていたアダム・ヴァイスハウプトによって創設された。
  それはメーソンの組織を参考にしているので、メーソンの分
  派と見られるが、本質的にはかなり違っている。ヴァイスハ
  ウプトは、急進的な改革思想を持ち、中庸穏健なメーソンを
  過激な政治結社に改造したのである。
  ―海野弘著、『秘密結社の世界史』より。平凡社新書315
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1814号.jpg
           『秘密結社の世界史』
posted by 平野 浩 at 05:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日米経済関係の謎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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