2003年08月05日

ゾルゲ諜報団の目的は何だったのか(EJ1163号)

 ソ連のスパイであるゾルゲが、日本で危険を冒して何を探ろう
としていたのでしょうか。
 ゾルゲという人物は、父はドイツ人で母はロシア人、そして出
生はロシアのアゼルバイジャンで、その後ドイツに移住している
のです。要するに、ドイツ人なのか、ロシア人なのか、非常に分
かりにくい人物なのです。
 結果として、国際共産主義を広げるためにゾルゲはドイツ人を
演出して実はソ連のスパイとして働いたわけで、ドイツ側は完全
に騙されたことになります。
 なぜなら、ドイツ大使館に一室を与えられてそこを活動の拠点
とし、ドイツ大使館主催のパーティーにも常時出席していたから
です。とくに当時のドイツ大使館付きの上級武官、オイゲン・オ
ットー大佐(のちに駐日ドイツ大使)との親交は非常に厚いもの
があったのです。
 ゾルゲ諜報団が日本で探っていたのは、独ソ戦に関する日本軍
の動向――これに尽きます。1939年にドイツ軍がポーランド
に侵攻したのを契機として第2次世界大戦が勃発するのですが、
その同じ年に独ソ不可侵条約が締結されています。これは、当時
対独提携を考えていた日本に衝撃を与えます。
 その後ドイツは、1940(昭和15)年5月にはオランダを
6月にはフランスを降伏させます。それは、英国まで占領しかね
ない勢いだったのです。この時点から、一時冷却化していた対独
提携論が、陸軍や外務省枢軸派に再燃し、強く反対していた海軍
も松岡洋右外相に説得されて、1940年9月27日、遂に日独
伊三国同盟がベルリンで調印されたのです。
 松岡洋右外相は、この三国同盟をそれにソ連を加えた四国同盟
に発展させようと考えていたといわれますが、その時点でドイツ
は既にソ連侵攻のハラを固めており、それを1941年に実行に
移します。独ソ戦争のはじまりです。
 ドイツ軍は破竹の勢いでソ連の首都モスクワに向けて進撃を開
始しますが、そうなると、ソ連としては、日本が参戦してくるか
どうかが最大の関心事になります。三国同盟には、その第3条に
おいて、同盟国中1国が戦争に入った場合はそれを支援すること
が定められていたからです。
 ゾルゲ諜報団の目的は、独ソ戦に日本軍の動向――北進して対
ソ戦に参戦するか、それとも南進して資源確保を計るのかを探り
出すことにあったのです。なぜなら、これによってソ連は、ドイ
ツとの戦争のやり方が違ってくるからです。
 1941年9月――御前会議によって日本軍の南進策が決定し
ますが、その情報をいち早く掴んだゾルゲは、それをモスクワに
打電します。これによって、ソ連は極東警備の備えとして配備し
ていた兵力をすべてドイツ軍にぶつけて、スターリングラードの
戦いでドイツ軍に圧勝するのです。
 しかし、スパイの任を解かれる寸前の1941年10月、ゾル
ゲ諜報団は一斉に検挙されます。その罪名は、次の4つの法律の
違反容疑でした。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       1.国防保安法違反
       2.軍機保護法違反
       3.軍用資源秘密保護法違反
       4.治安維持法違反
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 そして、約3年間の獄中生活を経て1944年11月7日、奇
しくもロシア革命記念日にゾルゲと尾崎秀美は東京拘置所におい
て処刑されたのです。
 現在モスクワでは、数多くの歴史上名高い人物の像と並んで、
ゾルゲの像を見ることができます。1964年にゾルゲは「最高
ソ連英雄勲章」を授与され、正式にソ連の英雄として認められた
からです。
 しかし、ゾルゲが処刑されたのは1944年であり、20年も
あとのことです。それは、スターリンの狭量さによるものです。
ゾルゲが日本で逮捕されたことを聞いたスターリンは「そのよう
な人物は知らん」といって、その関わりを否定しています。
 スターリンは、大国のリーダーにあるまじき狭量な人物であり
猜疑心が強く、人を信用しない人物だったのです。そのため、ス
ターリンはゾルゲを二重スパイではないかと疑っていたといわれ
ます。駐日ドイツ大使館に入り込み、ドイツ人記者として活動し
ていたのですから、猜疑心の強い人間にはソ連のスパイのふりを
したドイツのスパイではないかと考えても不思議はないのです。
 しかし、ゾルゲのモスクワに対する報告は、1939年以降に
に絞っても次の10項目に上がっており、その内容は、驚くほど
正確だったのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1939年 平沼内閣の成立事情を調査
        ノモンハン事件の報告
        日英会議を調査報告
        日独伊軍事同盟問題の調査
  1940年 米内内閣成立を調査
        第2次近衛内閣成立についての報告
        日独伊経済協定問題についての報告
  1941年 独軍によるソ連侵攻の報告
        日本の戦争遂行能力についての報告
        日本の南進政策の報告
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 スターリンは、当初はゾルゲの報告書を信用していなかったの
ですが、そのあまりの正確さに後年国策に役立てていたといわれ
ます。ソ連がドイツに勝てたのは、ゾルゲによる日本の南進策決
定の情報があったからです。それでいながら、スターリンはゾル
ゲを信用せず、諜報団の日本滞在経費の送金をストップしていた
といわれているのです。

1163号.jpg
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日米経済関係の謎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック