副氏は藤原歌劇団のオペラ『椿姫』を観にオーチャードホールに
行ったのです。そのとき、ホールのロビーで偶然に宗像紀夫氏に
会ったといいます。
宗像氏は、そのとき名古屋高検検事長を退任して弁護士になっ
ていたのです。宗像氏はオペラやクラシックが好きで、コンサー
トにはよく出かけるといっていたそうです。そのとき、宗像氏は
リクルート事件について次のように述懐しているのです。
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いやぁ、あの事件は本当に苦労しましたよ。当初は松原事件で
江副さんまで贈賄申込みが繋がったら、そこで終わりにしたか
ったんですよ。ところが、松原さんに黙秘を貫かれ、松原さん
の取調検事(堤守生特捜部副部長)の立場が悪くなって、止め
るわけには行かなくなった。そこで捜査を続けざるを得ないこ
とになつて、たいへんな苦労をしましたよ。僕が弁護側だった
ら、もしかしたら無罪にできたかもしれない、と思うほど苦労
しました。 ──宗像紀夫氏
──江副浩正著
『リクルート事件・江副浩正の真実』/中央公論新社刊
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実は宗像氏はかなり率直に事実を話しているのです。松原弘元
コスモス社長室長は、1988年10月20日に逮捕され、11
月10日に起訴されたのですが、松原氏は完黙を押し通して江副
氏は不起訴になったのです。松原氏の工作について江副氏は本当
に知らなかったので、起訴できるはずはないし、別に特捜部の手
抜かりなどではないのです。
しかし、検察上層部は、松原氏に「江副氏の指示を受けた」と
いう供述をさせられなかったとして、取り調べ検事であった堤守
生特捜部副部長を更迭したのです。それが真実であるかどうかで
はなく、検察のシナリオ通りの供述が取れなかったのが更迭の理
由なのです。これは、最強の捜査機関である検察が敗北した瞬間
であったのです。
これでは検察の面子が立たない──そこで東京地検特捜部は宗
像紀夫特捜部副部長を主任検事として、リクルート事件に本気で
取り組むことになったというのです。そのため、検察側のシナリ
オに沿う調書をどのような手段を使ってでも取る──これはかつ
ての特高警察そのものです。
検察の面子を晴らすために捜査を継続する──きわめて危険な
思想であるといえます。それをリクルート事件の主任検事を務め
た宗像紀夫氏が平気で口にするところに、日本の検察組織の異常
さがあります。そういう検察の体質が今も続いている証拠に、小
沢一郎氏への一連の捜査があります。小沢捜査とリクルート事件
のそれは驚くほど酷似しているといえます。
リクルート事件が起きたとき、国会では消費税関連法案で紛糾
していたのです。このとき小沢一郎氏は、与党自民党の官房副長
官の職にあり、国会対策に奔走していたのです。
ちなみに、そのとき自民党の国会対策委員長は渡部恒三氏であ
り、副委員長は小泉純一郎氏だったのですが、この2人に任せて
いたのでは、とても国会は正常化しなかったのです。そのため、
小沢官房副長官が奔走していたのです。平野貞夫氏はその小沢氏
をサポートする仕事をしていたのです。
小沢官房副長官は、公明党と民社党との修正協議に応じること
で取引が成立したときにこの事件が起きたのです。それでせっか
くの工作がストップしてしまったのです。リクルート未公開株疑
惑は、そのとき与党議員だけではなく、野党にも飛び火していた
ので、とくに野党が事件解明を強く求めており、これを解決しな
いことには、国会は前進しない状態に陥っていたのです。そのさ
なかに自民党は税制改革特別委員会で、消費税関連法案を強行採
決し、国会は一層紛糾していたのです。
そこで、小沢官房副長官は、次の2つの提案を平野貞夫氏にし
てきたのです。
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1.リクルートコスモス社「未公開株譲渡先リスト」の公表
2.江副浩正リクルート社元会長の証人喚問を実施すること
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しかし、これは両方とも難問だったのです。コスモス社は全リ
ストの提出に難色を示していたからです。そこで小沢官房副長官
は次の提案をしてこれら2つをクリアしたのです。
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衆参にリクルート問題調査特別委員会を設置する。特別委員長
からの国政調査による資料請求として、政治家関係に限定し、
リクルートコスモス社から名簿を提出させる。
──平野貞夫著/講談社刊
『小沢一郎完全無罪/「特高検察」が犯した7つの大罪』
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1988年11月21日、衆議院リクルート問題調査特別調査
委員会で江副氏の証人喚問が行われたのです。江副氏としては、
この証人喚問が自らの身の潔白を明らかにするチャンスと考えて
応じたのですが、実際にはそうならず、その日の夕刊には「疑惑
深まる」の記事一色になったのです。検察のシナリオでは、江副
氏が何を話そうと立件することを固めており、マスコミはそれに
したがって報道したからです。
小沢氏に対する説明責任も同じなのです。小沢氏がどのように
説明しても「説明不十分/疑惑深まる」になるようなシナリオに
なっているからです。それは「自分は悪いことをしました。白状
します」といわない限り、説明責任は果たせないのです。マスコ
ミの疑惑報道によって、はじめから「クロ」の印象が強ければ、
何を説明しても絶対に潔白にはならないのです。連日のマスコミ
報道で「クロ」を吹き込まれた人のアタマには「シロ」の部分は
ないのです。 ―──[ジャーナリズム論/21]
≪画像および関連情報≫
●証人喚問について
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1988年、リクルート事件が発生すると、自民党は喚問中
の撮影禁止を条件に証人喚問を受け入れると野党に提案し、
共産党以外はこの条件を受け入れたため、同年の第113回
国会で議院証言法が改められ、喚問中のテレビカメラによる
撮影や、カメラマンによる写真撮影が一切禁止されるように
なった(当時の議院証言法第五条の三)。この後、証人喚問
が開始される直前には、議長によりカメラマンが退去させら
れる姿やカメラを天井に向ける姿が映し出され、テレビ中継
では、喚問前に撮影された映像からの静止画面と音声だけの
中継、という形式が定着する。 ──ウィキペディア
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証人喚問中の江副 浩正氏