2010年05月21日

●「面子のために立件するという考え方」(EJ第2817号)

 リクルート事件の裁判が終了して一年ほど経過したある日、江
副氏は藤原歌劇団のオペラ『椿姫』を観にオーチャードホールに
行ったのです。そのとき、ホールのロビーで偶然に宗像紀夫氏に
会ったといいます。
 宗像氏は、そのとき名古屋高検検事長を退任して弁護士になっ
ていたのです。宗像氏はオペラやクラシックが好きで、コンサー
トにはよく出かけるといっていたそうです。そのとき、宗像氏は
リクルート事件について次のように述懐しているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 いやぁ、あの事件は本当に苦労しましたよ。当初は松原事件で
 江副さんまで贈賄申込みが繋がったら、そこで終わりにしたか
 ったんですよ。ところが、松原さんに黙秘を貫かれ、松原さん
 の取調検事(堤守生特捜部副部長)の立場が悪くなって、止め
 るわけには行かなくなった。そこで捜査を続けざるを得ないこ
 とになつて、たいへんな苦労をしましたよ。僕が弁護側だった
 ら、もしかしたら無罪にできたかもしれない、と思うほど苦労
 しました。                ──宗像紀夫氏
                      ──江副浩正著
    『リクルート事件・江副浩正の真実』/中央公論新社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 実は宗像氏はかなり率直に事実を話しているのです。松原弘元
コスモス社長室長は、1988年10月20日に逮捕され、11
月10日に起訴されたのですが、松原氏は完黙を押し通して江副
氏は不起訴になったのです。松原氏の工作について江副氏は本当
に知らなかったので、起訴できるはずはないし、別に特捜部の手
抜かりなどではないのです。
 しかし、検察上層部は、松原氏に「江副氏の指示を受けた」と
いう供述をさせられなかったとして、取り調べ検事であった堤守
生特捜部副部長を更迭したのです。それが真実であるかどうかで
はなく、検察のシナリオ通りの供述が取れなかったのが更迭の理
由なのです。これは、最強の捜査機関である検察が敗北した瞬間
であったのです。
 これでは検察の面子が立たない──そこで東京地検特捜部は宗
像紀夫特捜部副部長を主任検事として、リクルート事件に本気で
取り組むことになったというのです。そのため、検察側のシナリ
オに沿う調書をどのような手段を使ってでも取る──これはかつ
ての特高警察そのものです。
 検察の面子を晴らすために捜査を継続する──きわめて危険な
思想であるといえます。それをリクルート事件の主任検事を務め
た宗像紀夫氏が平気で口にするところに、日本の検察組織の異常
さがあります。そういう検察の体質が今も続いている証拠に、小
沢一郎氏への一連の捜査があります。小沢捜査とリクルート事件
のそれは驚くほど酷似しているといえます。
 リクルート事件が起きたとき、国会では消費税関連法案で紛糾
していたのです。このとき小沢一郎氏は、与党自民党の官房副長
官の職にあり、国会対策に奔走していたのです。
 ちなみに、そのとき自民党の国会対策委員長は渡部恒三氏であ
り、副委員長は小泉純一郎氏だったのですが、この2人に任せて
いたのでは、とても国会は正常化しなかったのです。そのため、
小沢官房副長官が奔走していたのです。平野貞夫氏はその小沢氏
をサポートする仕事をしていたのです。
 小沢官房副長官は、公明党と民社党との修正協議に応じること
で取引が成立したときにこの事件が起きたのです。それでせっか
くの工作がストップしてしまったのです。リクルート未公開株疑
惑は、そのとき与党議員だけではなく、野党にも飛び火していた
ので、とくに野党が事件解明を強く求めており、これを解決しな
いことには、国会は前進しない状態に陥っていたのです。そのさ
なかに自民党は税制改革特別委員会で、消費税関連法案を強行採
決し、国会は一層紛糾していたのです。
 そこで、小沢官房副長官は、次の2つの提案を平野貞夫氏にし
てきたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1.リクルートコスモス社「未公開株譲渡先リスト」の公表
 2.江副浩正リクルート社元会長の証人喚問を実施すること
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、これは両方とも難問だったのです。コスモス社は全リ
ストの提出に難色を示していたからです。そこで小沢官房副長官
は次の提案をしてこれら2つをクリアしたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 衆参にリクルート問題調査特別委員会を設置する。特別委員長
 からの国政調査による資料請求として、政治家関係に限定し、
 リクルートコスモス社から名簿を提出させる。
                 ──平野貞夫著/講談社刊
   『小沢一郎完全無罪/「特高検察」が犯した7つの大罪』
―――――――――――――――――――――――――――――
 1988年11月21日、衆議院リクルート問題調査特別調査
委員会で江副氏の証人喚問が行われたのです。江副氏としては、
この証人喚問が自らの身の潔白を明らかにするチャンスと考えて
応じたのですが、実際にはそうならず、その日の夕刊には「疑惑
深まる」の記事一色になったのです。検察のシナリオでは、江副
氏が何を話そうと立件することを固めており、マスコミはそれに
したがって報道したからです。
 小沢氏に対する説明責任も同じなのです。小沢氏がどのように
説明しても「説明不十分/疑惑深まる」になるようなシナリオに
なっているからです。それは「自分は悪いことをしました。白状
します」といわない限り、説明責任は果たせないのです。マスコ
ミの疑惑報道によって、はじめから「クロ」の印象が強ければ、
何を説明しても絶対に潔白にはならないのです。連日のマスコミ
報道で「クロ」を吹き込まれた人のアタマには「シロ」の部分は
ないのです。       ―──[ジャーナリズム論/21]


≪画像および関連情報≫
 ●証人喚問について
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  1988年、リクルート事件が発生すると、自民党は喚問中
  の撮影禁止を条件に証人喚問を受け入れると野党に提案し、
  共産党以外はこの条件を受け入れたため、同年の第113回
  国会で議院証言法が改められ、喚問中のテレビカメラによる
  撮影や、カメラマンによる写真撮影が一切禁止されるように
  なった(当時の議院証言法第五条の三)。この後、証人喚問
  が開始される直前には、議長によりカメラマンが退去させら
  れる姿やカメラを天井に向ける姿が映し出され、テレビ中継
  では、喚問前に撮影された映像からの静止画面と音声だけの
  中継、という形式が定着する。    ──ウィキペディア
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証人喚問中の江副浩正氏.jpg
証人喚問中の江副 浩正氏
posted by 平野 浩 at 04:11| Comment(0) | TrackBack(0) | ジャーナリズム論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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