2010年05月06日

●「朝日新聞の謀略/江副インタビュー」(EJ第2806号)

 江副浩正氏には、なぜこれほど多くの政治家や財界人にコスモ
スの未公開株を譲渡したのかという疑問があります。普通の経営
者であれば、これほど幅の広い人脈は持っていないでしょう。こ
れについて、当の江副氏は次のように述べています。
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 私は社員に「外飯・外酒」を推奨し、自らも財界人に誘われ、
 日本YPO以外に、稲山嘉寛さんを囲む会、永野重雄さんを囲
 む会、三重野康さんを囲む会、眞藤恒さんを囲む会などに参加
 していた。稲山さんは「政治献金は企業にとって必要なことで
 ある」と強調されていた。永野さんは「政治家は嘘が許される
 が、経営者は嘘は許されない。そのことを君たちは誤解しない
 ように」などと言われ、私は先達から多くを学んでいた。それ
 らの会のなかに政治家を囲む会があった。  ──江副浩正著
    『リクルート事件・江副浩正の真実』/中央公論新社刊
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 このようにして増えた多くの知人に江副氏は、いずれも一流人
ばかりであったので、今後の親交を深めるため未公開株の譲渡話
を持ちかけたのです。当時のリクルートは堅実な成長を遂げてお
り、とくに政界工作など必要ではなかったし、ましてそれが賄賂
を意図したものではなかったのです。
 リクルートとコスモスの会長を辞任した後江副氏は、帝国ホテ
ルにこもっていたのですが、7月にリクルートの広報室に『AE
RA』からインタービューの申し込みが入ったのです。しかし、
広報担当の生嶋誠士郎常務が断ったのですが、それは執拗に何回
も申し入れてきたのです。
 1988年7月7日に広報担当役員で社長室長の松原弘氏から
次の連絡が入ったのです。
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 『AERA』編集長の富岡隆夫氏から「単独インタビュー」に
 応じてくれたら、「打ち方やめ」にするといっている。
                    ──松原弘社長室長
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 江副氏は、富岡編集長と朝日新聞の中江利忠専務とは、ときに
は酒を飲んで歓談する間柄だったのです。松原社長室長も2人と
親交があったというのです。
 このとき「打ち方やめ」という言葉は江副氏にとって魅力的で
あったのです。さんざん迷ったあげく『AERA』限りなら引き
受けてもいいと返事をしたのです。しかし、念のため、中江専務
にも電話を入れ、「本当に『AERA』限りということを守って
くれますね」と念を押したのです。中江専務は「富岡から聞いて
了解している」といったので、引き受けることにしたのです。し
かし、これは江副氏の大失敗のひとつだったのです。
 インタビューの日は、1988年7月23日午後3時、場所は
当時リクルートがフロアの半分を借りていた大手町の日本鋼管ビ
ルの応接室だったのです。
 『AERA』限りという事前の約束であったにもかかわらず、
実際にやってきたのは次の面々だったのです。
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  『AERA』編集長富岡隆夫氏 副編集長田岡俊次氏
  朝日新聞横浜支局鈴木啓一氏 社会部次長落合博美氏
  朝日新聞の遊軍記者数名とカメラマン4名
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 対するリクルート側は、江副相談役、生嶋常務、深谷広報室課
長の3名だったのです。「約束が違う」と生嶋常務は徹底的に反
対したが、先方が一歩も引かない。そこで「30分限り」と時間
を決めてはじめたが、約束は破られ、インタビューが終了したの
は、午後5時を回っていたのです。その間、間断なくフラッシュ
が焚かれたのです。
 後日、江副氏は、朝日新聞が誇らしげにまとめた『ドキュメン
ト/リクルート報道』を読んで愕然としたのです。そこには、信
頼していた編集長富岡隆夫氏自身が朝日の他の記者を誘ってイン
タビューを行ったと書いてあり、最初から騙すつもりだったこと
がわかったからです。江副氏は、ジャーナリストにも信義がある
と信じていた自分が不明であったと述懐しています。
 もうこの時点で「江副は悪者」という先入観というか、イメー
ジができてしまっており、マスコミ自身がそうしておきながら、
悪い奴には何をしてもよいと考えるようです。そうなると、自分
の出世のためなら、信義など平気で踏みにじる輩があまりに多く
なっているようです。
 その同じ7月23日には、日本の重大海難事故とされる「なだ
しお事件」が起きるのです。「なだしお事件」とは、横須賀港を
基地とする海上自衛隊所属の潜水艦なだしおと遊漁船・第一富士
丸とが、7月23日午後3時38分ごろ横須賀港東部海域におい
て衝突し、30人の人が亡くなった事件です。
 24日の朝刊では各紙この記事を全面に取り上げたのですが、
25日になると、他紙が「なだしお事件」が中心だったのに対し
朝日新聞だけはトップに次の見出しを掲げたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
      リクルート関連株で江副氏語る
      『政治家への譲渡』の認識否定せず
         ──1988年7月25日付、朝日新聞より
―――――――――――――――――――――――――――――
 この朝日新聞の報道を契機に各紙一斉に江副攻撃の火蓋が切ら
れたのです。中でも一番情報を握っている朝日新聞は、最もセン
セーショナルな報道で他紙をリードしたのです。「打ち方やめ」
は大ウソで「打ち方はじめ」のサインであったのです。現在の小
沢幹事長と同様に、これではすぐ「天下の極悪人」になってしま
うでしょう。      ――──[ジャーナリズム論/10]


≪画像および関連情報≫
 ●池田信夫氏の批評/『正義の罠』(田原総一朗著)について
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  自戒をこめていうと、当時のメディアは、検察をまったく批
  判しなかった。それは、この種の事件を立件することがいか
  にむずかしいかを知っているからだ。政治家のスキャンダル
  は、永田町には山ほど流れているが、事件になるのはそのう
  ち100件に1件ぐらいしかない。特にリクルートのように
  「ブツ」の出てくる事件は非常に珍しいので、やれるときは
  徹底的にやって「一罰百戒」をねらうことになりがちだ。
   http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51292854.html
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当時を述懐する江副浩正氏.jpg
当時を述懐する江副浩正氏


posted by 平野 浩 at 04:22| Comment(0) | TrackBack(0) | ジャーナリズム論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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