2010年04月21日

●「日本メディアの客観報道と不偏不党」 (EJ第2799号)

 クリストフ支局長は「ハイジャックは確かに大きなニュースで
あるが、発生したばかりの現時点でわれわれが動く必要はない。
それはAPやKYODOなどの通信社の仕事である」といったう
えで、次のように上杉氏に説明したのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 われわれ新聞の仕事は、ハイジャック自体にどういった背景が
 あるのか、それは政治的なものなのか、単に金銭目当てのもの
 なのか、あるいは無事に解決したのか、悲惨な結果に終わった
 のか、そういったものをすべて見極めた上で初めて、取材をス
 タートするかどうか判断を下すべきなのだ。その上で、本当に
 ニューヨーク市民や米国の読者にとって、それが有益なニュー
 スなのかどうかよく吟味したのちに記事にするのかどうかを決
 める。それまではわれわれの仕事ではない。それは通信社の仕
 事だ。彼らの仕事の邪魔をしてはいけない。われわれは新聞記
 者なのだ。                 ──上杉隆著
         『ジャーナリズム崩壊』/幻冬舎新書089
―――――――――――――――――――――――――――――
 米国の新聞社では、新聞社と通信社の仕事を完全に分けており
日々のニュースなどはワイヤーサービスに依頼しているのです。
そして、自らの仕事をジャーナリズム的役割に特化しているわけ
です。したがって、記者の数も少ないのです。
 2000年の時点で、ニューヨーク・タイムズの海外特派員は
たったの33人、すべての記者を合わせても300人ほどしかお
らず、それでいて連日、通常版で約100ページ、日曜版だと約
300ページを超える記事を書いているのです。
 これに対して日本の新聞社の記者の人数は非常に多いのです。
1990年代の数字ですが、読売新聞で約4000人、朝日新聞
で約3000人の記者を擁していたのです。もっとも読売、朝日
は全国紙で、ニューヨーク・タイムズは地方紙ではあるものの、
それでも人数は圧倒的に多いのです。
 こんなに記者の人数が多くても日本の新聞は朝刊で36ページ
程度であり、ニューヨークタイムスの100ページに到底及ばな
いのです。新聞記者としての能力が不足しているのです。
 日本の新聞社の記者の人数が多い理由は、地方支局にも記者を
配置していることや個々の記者が日々のニュースを追いかける通
信社的な仕事もやらなければならないことがあります。
 それでいて、ニューヨークタイムスのように、分析や批評記事
を書ける記者はごく一部なのです。これは、毎日のように日々の
ニュースを追いかけているうちにそれが自分の仕事であると勘違
いしてしまう記者が多いことを示しています。自分がジャーナリ
ストであることを忘れてしまっているのです。
 それに米国の新聞記事の一文は非常に長いのです。一本が週刊
誌のトップ記事の長さ程度はあるのです。したがって、米国の新
聞は日本でいう週刊誌のようなものであると考えるとわかりやす
いと思います。
 また、日本の新聞社では、政治部、経済部、社会部、運動部と
いうカテゴリーがありますが、海外の新聞社には基本的にそのよ
うなものはないのです。したがって、海外の記者は政治でも経済
でも同時並行的に取材して記事を書いているのです。
 しかし、日本では、そのカテゴリーによって記者ががんじがら
めになっているのです。それぞれのカテゴリーの記者は、他のカ
テゴリーに属する取材もできないし、記事も書けないのです。例
えば、政治部の記者は経済の取材もできないし、経済記事を書け
ないのです。
 上杉隆氏によると、政治部記者の中でも与党担当と野党担当が
あって、同じ政治部の記者でも与党担当の記者は野党議員にイン
タビューできないというのです。与党担当記者がどうしても野党
議員に取材したいときは、野党担当記者に代役を頼むか野党担当
記者に同行するしかないのです。こんなことをやっている新聞社
は日本しかないのです。
 もうひとつ日本の新聞社は、よく知られているように次の2つ
の原則を守っているといわれます。
―――――――――――――――――――――――――――――
           1.客観報道
           2.不偏不党
―――――――――――――――――――――――――――――
 第1の原則は「客観報道」です。
 これは一見立派なことのように見えます。しかし、記事という
ものを本来通信社の担当であるストレートニュースとジャーナリ
ズムの担当である分析・批評に分けることなく、ただ単に「客観
報道」を標榜するというのはナンセンスです。
 ストレートニュースなら客観的事実に即して報道すべきである
という議論はわかるとしても、分析・批評をするには、ジャーナ
リストとしての主観が入ってくるのであって、「客観報道」は困
難であると思います。
 第2原則は「不偏不党」です。
 米国の報道機関ははじめから支持政党を明らかにしています。
上杉隆氏によると、先の大統領選挙では、予備選のときからニュ
ーヨークタイムスは、共和党はジョン・マケイン、民主党はヒラ
リー・クリントン、ロサンゼルス・タイムスは共和党はジョン・
マケイン、民主党はバラク・オバマというように明確に支持政党
を明らかにして記事にしているのです。
 しかし、日本の記者クラブメディアはどうでしょうか。「不偏
不党」を謳いながら、その実態は、従来政権与党に擦り寄った報
道を繰り返しています。政治記者は政権に肉薄し、永田町の実情
を詳しく知りながら、与党政治家に対して厳しい報道をしたこと
がないのです。日本では週刊誌が先行して報道し、それを後追い
するかたちで報道するのが常であり、様子を見極めてから報道す
る──少しも「不偏不党」ではないのです。
            ――──[ジャーナリズム論/03]


≪画像および関連情報≫
 ●報道の不偏不党はどこまで守られているか/切込隊長ブログ
  ―――――――――――――――――――――――――――
  漆間さん問題、つか、本当は鴻池さんのこともあるんだろう
  けれども、小沢さんの秘書逮捕というのは非常に大きい流れ
  であったことも考えるとマスコミが大騒ぎして内閣支持率が
  上がったの下がったの、首相に相応しい人のアンケート結果
  に一喜一憂するのも仕方ないことだとは思うんですよ。ただ
  ネットで見るニュースはもちろん、マスコミが民主党を煽っ
  てワントップ小沢体制ができあがってしまい、そのキングで
  ある小沢さんにスキャンダルが発生すると一気にバブル崩壊
  気味の世評になるのも仕方がない。民主党に人材がいないと
  いうことではなく、小沢さんは選挙に強く、政権交代が実現
  するまでは小沢さんに引っ張っていってもらおう、というの
  がマスタープランだったんだろう。だから、岡田さんであれ
  前原さんであれあまりでしゃばることなく、また若手を糾合
  して小沢対抗軸になるようなこともしなかった。
  http://kirik.tea-nifty.com/diary/2009/03/post-ae96.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

ニューヨークタイムス本社ビル.jpg
ニューヨークタイムス本社ビル

posted by 平野 浩 at 04:12| Comment(1) | TrackBack(0) | ジャーナリズム論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>>「不偏不党」を謳いながら、その実態は、
>>従来政権与党に擦り寄った報道を繰り返しています。

自民党に厳しく、民主党を過剰に擁護、というのが揺るぎない事実。
くだらない読み違い等は必死に糾弾するが、
脱税総理や詐欺マニフェストはそれほど追求しない。
これすらも見えていないのであれば、ただのメクラの寝言ですね。
あるいは別世界のおとぎ話ならば、チラシの裏へ書いてはいかがでしょう?
足元に山積みしてある新聞に、たくさんはさまってると思いますよ。
Posted by 角栄 at 2010年04月22日 23:49
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