2010年03月24日

●海部元総理は小沢氏をどうみているか(EJ第2779号)

 ここまで書いてきて、つくづく小沢一郎ほど人から誤解を受け
る政治家も珍しいと思います。それは本人にももちろん責任があ
りますし、そういう誤解を解く努力も必要です。
 しかし、世の中には彼がやろうとしてきていることを理解して
いないばかりか、曲解している人も多いのです。その典型的な一
人に元内閣総理大臣の海部俊樹氏がいます。この人ほど小沢と行
動をともにして政界を転々とした人はいないのですが、最後は小
沢と袂を分かって自民党に復党しているのです。そして2009
年の衆議院選で落選し、政界を引退したのですが、そのくやしさ
もあるのか、今になって小沢をこき下ろしています。総理大臣ま
でやった人物として非常に残念に思います。
 簡単に海部氏の経歴をご紹介しておくと、1931年に愛知県
で生まれ、1960年に当時最年少の29歳で衆議院選に初当選
しています。そして、1989年には内閣総理大臣に就任。その
後自民党を離党し、自由改革連合代表、新進党初代党首、無所属
を経て自由党に入り、保守党最高顧問を歴任した後、自民党に復
党しているのです。そして、昨年の衆議院選で落選し、引退に追
い込まれたのです。
 海部氏は陸山会の4億円の動きを完全に理解しておらず、マネ
ーロンダリング的だと疑惑を増幅させ、そういう疑惑に民主党内
から声の上がらないことに関して次のように述べているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 民主党は、誰も彼に物を言えない状態のようですが、ようやく
 本当にようやく声が出てきましたね。今後、党内の自浄作用が
 どこまで働くのか。それにしても、岡田克也は、今こそという
 時なのに、なぜ、黙っているんだろう?彼は、とても顔つきが
 悪くなりましたね。立場を考えすぎているのか、あるいは、小
 沢の脅しがひどくなっているのか。岡田さんは正直な人だから
 自らの心に背いてしまうことに耐えられなくて、あんな顔にな
 っちゃたのかな。     ──『小沢一郎研究』/新潮社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 私は岡田克也外相を再評価しています。岡田氏は外相の就任時
に日米の核密約の解明を国民に約束し、それをきちんと実現させ
ています。また、選挙前からの民主党の公約であったはずの記者
会見の開放も外務省に関しては実現させているからです。
 それから党の幹事長の疑惑ですが、外部から見ていても検察の
捜査のやり方はかなり異常であり、不審な点はたくさんあるのに
内閣を支える閣僚が捜査の途中の段階で軽々しく幹事長に「説明
責任」を求めるなどあってはならないことだと思います。後ろか
ら鉄砲を撃つような行為です。
 実際に岡田外相は、「小沢氏が必死になって検察と戦っておら
れるときに、内閣を支える閣僚として、とても『説明責任』など
求められない」といっているのです。
 私はこの姿勢は立派であると思います。それに、小沢幹事長に
距離を置くとされる何人かの閣僚や副大臣が「説明責任を」と発
言していましたが、そのようなことは海部氏のいうような自浄作
用になどにけっしてつながらないと思います。
 それから、海部氏は、1991年の東京都知事選挙で小沢が擁
立した磯村尚徳氏が敗れると幹事長を辞めたことについて次のよ
うにいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 海部内閣で闘った90年冬の総選挙では、小沢も奮闘してくれ
 て獲得議席275の圧勝でした。ところが、翌春の東京都知事
 選で、小沢が公明党と組んで磯村尚徳氏を擁立したことで、現
 職の鈴木俊一氏を推す自民党都連と対立してしまいます。党内
 分裂のまま行なわれた選挙の結果は、磯村氏の落選。すると、
 驚いたことに、小沢がいとも簡単に幹事長辞職を言い出したの
 です。名目は、都知事選の責任を取る。私は長時間さしで話し
 合いましたが、無駄でした。小沢は「政治改革法案だけは身体
 を張ってでも通す」と言い残して去って行きました。(中略)
 小沢幹事長は、辞める必要がない場面で逃げ出しました。小沢
 一郎という政治家の「どうしようもない性癖」を目の当たりに
 した最初の時でした。   ──『小沢一郎研究』/新潮社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 この海部氏の言い分ですが、あまりにも周辺が見えていないと
思います。何しろ第一次湾岸危機のさい、当時の海部首相のリー
ダーシップは完全に欠如しており、小沢幹事長が裏方としてどん
なに獅子奮迅の活躍をしたことを当の本人がまるでわかっていな
いと思うからです。
 上記の海部氏の言い分と関連する小沢の動きについては、EJ
の次の部分を参照していただきたいと思います。
―――――――――――――――――――――――――――――
◎EJ第2738号
http://electronic-journal.seesaa.net/article/138995647.html
◎EJ第2740号
http://electronic-journal.seesaa.net/article/139345721.html
◎EJ第2741号
http://electronic-journal.seesaa.net/article/139397001.html
―――――――――――――――――――――――――――――
 わからないのは、その海部氏が小沢幹事長が率いる新進党の党
首をなぜ引き受けたかです。これについての海部氏の言です。
―――――――――――――――――――――――――――――
 正直言って、この時はもう、彼と腹の底から信頼し合う関係を
 築こうとは思いませんでした。「期待値を高めておいて、大き
 く翻る人」という過去の事実が、すでに私の頭にインプットさ
 れてしまっていたからです。しかし、「健全な新与党を作りた
 い」という周囲の声はとても熱かった。   ──前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 このように海部氏は述懐し、党首を引き受けたといっているの
ですが・・・。         ―――[小沢一郎論/55]


≪画像および関連情報≫
 ●神輿としての海部俊樹氏のその後
  ―――――――――――――――――――――――――――
  1997年末〜1988年はじめ、新進党解体工事が行われ
  た際には小沢が、政治改革のシンボルに丁度良いとして自由
  党最高顧問室への収蔵を希望したが、意思を持って拒絶した
  とされる。その後約1年無所属の会で保管された。しかし、
  1999年はじめ、自由党と自民党が連立した際には小沢の
  希望に応えて自由党最高顧問室に収蔵された。2000年4
  月の自由党分裂時には、連立継続派の保守党に所有権が移転
  した。具体的な扱いとしては自由党最高顧問室を保守党最高
  顧問室と改称するだけで済んだ。
                 ──アンサイクロぺディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

海部俊樹氏.jpg
海部俊樹氏
posted by 平野 浩 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 小沢一郎論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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