2006年03月02日

速水前総裁が採用した新機軸(EJ1786号)

 1999年2月、2000年8月、2001年3月――これら
3つの年月は、速水日銀前総裁が重要な決断をした時期として、
記憶に残しておいて損はないと思います。
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    1999年2月 ・・・・・ ゼロ金利を始動
    2000年8月 ・・・・・ ゼロ金利を解除
    2001年3月 ・・・・・ 量的緩和を開始
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 1999年2月12日の日銀金融政策決定会合――このとき中
原伸之委員が次の提案をしたのですが、全委員に反対され、速水
総裁はゼロ金利を採択した経緯はすでに述べた通りです。
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 金利がゼロ近くまで低下している状況では、この際マネタリー
 ベースに目標を置いた量的緩和を明示すべきである。
                  ――中原伸之委員(当時)
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 ややこしい話ですが、現在の日銀政策委員会のメンバーのなか
にも中原という審議委員がいるのです。もちろん、中原伸之氏で
はなく、現在、三菱東京UFJ銀行副頭取をされている中原真氏
です。興味深いことに、この中原真委員も量的緩和論者であると
同時に、インフレ・ターゲッティング論者であるといってよいと
思います。
 日銀の審議委員は総裁を含めて9人いますが、中原委員は量的
緩和解除に対して反対のスタンスを取っているのです。量的緩和
解除に関して中原委員は次のように述べています。
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 物価動向に加え、海外経済や雇用者の賃金動向などを含めた総
 合的な判断が必要だ。中国の市場参加などもあってグローバル
 な供給圧力が依然として高く、相対的にはインフレよりデフレ
 のリスクに注意を払うべき状況にある。(量的緩和策の解除に
 は)遅すぎるリスクより早すぎるリスクに注意すべきだ。
                ――産経新聞社ニュースより
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 日銀審議委員の任期は5年となっており、中原氏の任期は今年
の6月16日までです。したがって、量的緩和解除に反対する与
党の金融政策小委員会にとって、中原氏の存在は重要です。
 中原真氏と正反対のスタンスを取る審議委員がいます。学習院
大学経済学部教授の須田美矢子氏です。彼女は量的緩和解除に賛
成であり、インフレ・ターゲッティングには反対なのです。しか
し、須田審議委員の任期は3月末であり、微妙な時期に当るので
す。そこでいろいろな政治的な思惑のもとに須田氏を審議委員に
残そうという動きがあり、再任が決定したという一部報道も流れ
ていますが、日銀からは正式な発表はありません。
 さて、話を本題に戻します。ゼロ金利政策を始めた速水総裁は
大方の反対を押し切って、2000年8月11日にゼロ金利を解
除し、無担保コールレート翌日物金利を、0.25%まで引き上
げたのです。この0.25%というのは短期金利の誘導目標とし
て使われます。しかし、代表的な政策金利である公定歩合につい
ては据え置いたのです。
 経済に関心のある方であれば、ここまでの経緯はよくご存知で
あると思います。しかし、そのあとどうなったのか――これにつ
いてはよくわからないという人が多いと思います。
 『週刊/東洋経済』2/25号では「『金利復活』後の世界」
という特集を組み、この問題についてかなり詳しい検証を行って
おり、とても参考になります。
 これによると、無担保コールレート翌日物金利が0.25%に
引き上げられると同時に、銀行の預金金利がいち早く反応し、正
常の状態に戻っているのです。
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     定期預金 ・・・ 0.08 → 0.14
     普通預金 ・・・ 0.05 → 0.10
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 結果として、このタイミングでのゼロ金利解除は、完全な失敗
だったのです。なぜなら、せっかく少し上向きかけていた景気を
失速させてしまったからです。当時、例の山本幸三議員は、自分
のウェブサイトに次のように書いて、日銀を批判しています。
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 今回、日銀が金利を上げたので、政府は補正予算の編成を余儀
 なくされました。日銀と政府の政策の方向が真反対を向いてお
 り、本末転倒です。しかも、今回のように、一国の総理大臣が
 これほど馬鹿にされた政策決定はなかったと思います。こんな
 経済政策の運営はあってはなりません。    ――山本幸三
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 そういうわけで、ゼロ金利解除後6ヶ月で速水総裁は、中原伸
之氏のいっていた「通常では行われないような思い切った金融緩
和」策に踏み切ることになったのです。これが2001年3月の
量的緩和策です。
 そのさいに速水総裁は、他の中央銀行ではやったことのない2
つの新機軸を打ち出したのです。
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 1.金融政策の操作目標を従来のコールレートから日銀当座預
   金残高に変更し、所要準備預金を引き上げていること
 2.この政策をCPI(生鮮食品を除く)の前年比上昇率が安
   定的にゼロ%以上になるまで継続すると約束したこと
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 この政策によって日本の金融は世界でも例を見ない未踏の領域
に迷い込むことになったのです。これら2つの新機軸については
明日のEJで論評しますが、現在までこの政策は維持されてきて
いるのです。そして、再び、量的緩和解除が福井日銀総裁によっ
て行われようとしているのです。   ・・・[日本経済28]


≪画像および関連情報≫
 ・量的緩和策解除後の金融政策運営の「道しるべ」について
  の中原真日銀審議委員の意見
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  「道しるべ」について中原氏は、量的緩和の誘導目標である
  日銀当座預金残高(現行30兆円から35兆円程度)を縮小
  させる過程と、その後の中立的な金利水準に至る経路という
  二つの局面に対応させる必要があると指摘。そのうえで「望
  ましい物価上昇率を示すことは透明性向上と解除後の市場の
  期待の安定化に効果的だ。それは中長期的に目指すべき物価
  上昇率を数値化する『参照値』で、一定の期限に目標達成が
  求められるインフレ目標と異なる」と強調した。
           ――2006.2.21/産経新聞より
  ―――――――――――――――――――――――――――

1786号.jpg
posted by 平野 浩 at 09:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本は本当に破綻危機なのか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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