2010年01月21日

●「日本人のトラウマ/第1次湾岸戦争」(EJ第2727号)

 日本人には第一次湾岸戦争のときのトラウマがあります。日本
は、90億ドルという世界最大級の資金支援をしながら、戦後ク
ウェート政府が支援した国に感謝を捧げるリストに日本は入って
いなかったのです。
 しかし、日本の湾岸支援の金額はこの程度の金額ではないので
す。90億ドルを含め近隣諸国などへの資金を入れると、135
億ドル(1兆8000億ドル)に達しているのです。これらの巨
額の資金は実際は米軍の戦費として使われたのですが、日本政府
はそれを「復興支援」と国民に偽って支出しているのです。その
ため、クウェートから見ると、日本は何もしていないと思ったの
だと思います。
 どうしてこうなってしまったのでしょうか。
 そのときの自民党の幹事長は小沢一郎なのです。しかし、その
とき小沢が自民党内で幹事長としてどのように奔走したかについ
て知っている人は少ないと思います。そこにどういう葛藤があっ
たのでしょうか。
 小沢一郎が47歳で自民党の幹事長になったのは、1989年
8月のことです。そして1990年8月2日、イラクはクウェー
トに侵攻したのです。そのとき、米国は素早く行動を起こしたの
です。イラクのサウジアラビア侵攻を恐れたからです。
 もし、サウジアラビアがイラクに制圧されると、2週間以内に
油田地帯がフセインに抑えられてしまうからです。イラクの分と
合わせると、フセインが世界の石油埋蔵量の55%を支配するこ
とになってしまうからです。
 小沢幹事長は、この事態を日本の危機としてとらえたのです。
なぜなら、日本は中東原油に全面的に依存しているからです。こ
こは国際協調行動を起こすべきである――そう考えた小沢は、独
自のルートを使って情報収集に全力を上げたのです。
 直ちに国連安全保障理事会が招集され、イラク軍のクウェート
からの即時撤退を求める決議を採択したのです。しかし、イラク
は国連決議を受け入れず、クウェート統合に動いたので、8月7
日に米国と英国はサウジ派兵を決定し、ペルシャ湾の海上封鎖を
行ったのです。
 これに対して日本政府は、米国、EC各国に少し遅れて経済制
裁に参加し、次の対応を決めかねていたのです。そのとき、小沢
幹事長は、ときの駐日米大使のマイケル・アマコストを公邸に訪
ねて話し合っています。
 アマコスト大使は、ブッシュ(父)大統領がこのイラク問題に
ついて重大な決意をしていることを小沢に伝えて、後方支援など
の日本の協調行動を求めたというのです。この会談を経て、アマ
コスト大使は8月14日に首相・海部俊樹に対し、同様の支援を
要請しています。
 アマコスト大使は、次の日の15日、今度はときの外務省・栗
山尚一事務次官に会い、もっと具体的に「掃海艇、補給艦による
軍事的後方支援」と「多国籍軍への人的、物的、財政的支援」な
どを申し入れています。
 この米国からの申し入れに対して海部内閣は大揺れに揺れたの
です。大方の意見は、あくまで非軍事分野での協力に限定すべき
であるというものであったのですが、具体的支援策がまとまらな
いまま無駄に時間が空費されていったのです。
 この様子を見ていた小沢幹事長は、8月26日に首相公邸に首
相を訪ね、自衛隊派遣の政治決断を強く迫ったのです。その根拠
は、国連の平和維持活動の中で自衛隊を派遣することは憲法違反
にならないというものです。
 8月27日に小沢幹事長は、自民党四役会議において、海部首
相に求めた同じ内容を発言し、党内の合意形成をしようと動いた
のです。このとき、小沢幹事長は具体的には、次のように述べて
いるのです。これは、小沢の国連中心主義の主張の重要部分であ
るので、引用します。
―――――――――――――――――――――――――――――
 わが国は、憲法が謳っている恒久平和の追求と、そのための国
 際社会への貢献という理念が国連憲章に合敦するからこそ、国
 連に加盟し、国連中心外交を展開してきた。その国連憲章は平
 和を維持するために、最終的には加盟国共同で武力も行使する
 としている。ところで、憲法第九条は、わが国に直接、急迫不
 正の侵害行為がないのに、同盟国として出かけて武力行使する
 集団的自衛権を禁じていると解釈されている。しかし、それは
 特定の国家と結んだり、特定の国に対して武力行使するのがい
 けないのであって、全世界が一致して平和維持のために行う国
 連軍とは次元が違う。もし、国連軍に参加することも憲法違反
 であるなら、国連加盟国として活動できず、国連を否定するこ
 とにもなる。現憲法下でも自衛隊を国連軍に派遣することは、
 憲法違反に当たらない。平和のための憲法があり、自衛隊があ
 るのに、なぜ国連の平和維持活動をしてはいけないのか。
       (発言要旨。毎日新聞90年8月31日付より)
 ──渡辺乾介著、『小沢一郎/嫌われる伝説』より/小学館刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 おりしもベルリンの壁が崩壊し、世界が各国それぞれに新しい
生き方を模索しているときです。日本も変わらなければならない
──小沢は、湾岸危機を幕末のペリー来航にたとえて、新しい日
本を演出しようとしたのです。小沢としては、「特殊な国ニッポ
ン」から「普通の国ニッポン」へ変わるチャンスであると考えて
いるのです。そうしないと「顔のない国家」になる、と。
 もちろん自民党内にも一部の賛同者はあったものの、官僚機構
から猛烈な反対があったのです。それに何しろ47歳の政権与党
の幹事長です。若いのに何をいうかという反発も当然あったと思
います。それに加えてときの海部首相のリーダーシップには大き
な問題があったのです。
 とくに最大の壁は外務省であったのです。彼らは小沢の考え方
に絶対反対だったのです。    ―――[小沢一郎論/13]


≪画像および関連情報≫
 ●国連平和維持活動(PKO)について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  平和維持活動は、「国際の平和及び安全を維持する」(国際
  連合憲章第1章)ため、国際連合に小規模の軍隊を現地に派
  遣して行う活動である。従来は、紛争当事国の同意を前提に
  派遣されていたが、冷戦後は必ずしも同意を必要とせずに派
  遣する例もある。平和維持活動については、憲章上に明文の
  規定はないが、「ある種の国際連合の経費事件」において国
  際司法裁判所がその合法性を認め、国際連合総会が1962
  年の第17回総会でこれを受諾している。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

第1次湾岸戦争.jpg
第1次湾岸戦争
posted by 平野 浩 at 04:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 小沢一郎論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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