2006年02月06日

橋本失政の経緯と小渕政権の努力(EJ1768号)

 現在の日本経済はデフレ下にあり、経済の流れそれ自体がデフ
レによって下降しています。2000年を100とすると、GD
Pデフレーター(総合物価指数)は次のように下落しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      2000 ・・・・・ 100.0
      2001 ・・・・・  98.5
      2002 ・・・・・  97.3
      2003 ・・・・・  94.4
      2004 ・・・・・  92.4
      2005 ・・・・・  91.2
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 かかるデフレ下にあって、財政再建を目指して緊縮財政を行い
大増税を実施したらどうなるか――その結果は橋本政権の経済失
政をみれば明らかです。2001年4月の自民党総裁選挙で橋本
元首相は次のように謝罪しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 私の財政改革は間違っていた。これで国民に多大の迷惑をおか
 けした。国民に深くお詫びしたい。     ――橋本龍太郎
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 一国の総理大臣が自らが実施した政策の間違いを認めるという
ことは大変なことです。橋本氏は、もし、自分が再び総理になれ
たら、その失敗を生かし、正しい財政改革をやりたいと考えて謝
罪したものと思われます。しかし、橋本氏は総裁選に敗れ、小泉
政権が誕生したのです。
 そこで、橋本政権の経済政策を分析することによって、何が悪
かったか、今後どのような手を打ったらよいかについて考えるこ
とにします。
 1996年6月25日、1997年度の増税計画が閣議で決定
されています。株価の下落はこの直後から始まったのです。とく
に外資を中心とする売り圧力が強まり、1997年、1998年
と株価は下落の一途を辿ったのです。外資が、緊縮財政と増税を
嫌ったのが原因と思われます。
 そのとき日本経済は、努力を積み重ねて、バブル崩壊後の復活
路線をゆっくりと進んできていたのです。しかし、橋本政権の政
策はこの努力を一瞬にして打ち砕いてしまったのです。
 橋本政権が緊縮財政と増税を実施しようとしていた1997年
3月にゴア大統領が来日し、「なぜ、日本は財政危機でもないの
に内需抑制策をとるのか、内需を拡大して経済を活性化させるべ
きである」と橋本首相に進言したのですが、既に路線は決まって
いるとして、首相は聞く耳を持たなかったという話は既にお話し
しました。
 一番打撃を受けたのは金融機関です。中でも大手銀行は多額の
株式を保有し、その含み益を資本に組み入れていたので、株価が
下落すると自己資本が減るという事態に直面したのです。含み益
というのは、株価が上がったとき、その時点で売れば利益が出る
場合の想定利益のことであり、実際にそこに現金があるわけでは
ないのです。
 それに1992年から自己資本比率規制(BIS規制)が実施
されており、海外で業務を営む国際銀行は保有資産の8%以上の
自己資本を持つことが義務づけられていたのです。日本の大手銀
行はすべて海外で業務をする国際銀行であったので、株価が下が
るとこの規制が重くのしかかってきたのです。
 各大手銀行は自己資本8%以上をクリアするために、かなりの
貸し付けを回収せざるをえなくなったのです。当時大手19行の
資本の合計は40兆円――含み益はその10%、すなわち4兆円
を占めていたのです。
 しかし、株価の暴落でこの4兆円はゼロになると、見合いの資
産である50兆円の貸し付けを回収しなければならなくなったの
です。この50兆円の根拠は次の通りです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       4兆円 × 12.5 =50兆円
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 貸し付けを回収するとなると、それはさらに経済に大打撃を与
えることになります。そのため、菊池教授は、自己資本の減少分
に公的資金を注入し、銀行の貸し付けの回収をやめさせるべきで
あるとの提言を行ったのですが、橋本政権はこれを無視し、何の
手も講じなかったのです。
 そのため1997年から銀行は貸し付けの回収をはじめ、これ
によって企業間信用が急速に縮小し、1999年末には、GDP
の10%に当る46兆円の資金が吸い上げられたのです。
 そして、1997年11月、三洋証券、山一証券、北海道拓殖
銀行が相次いで破綻したのです。これは金融恐慌そのものであっ
たのですが、政府はそれを認めようとはしなかったのです。
 しかし、1998年7月の参議院選挙で自民党は惨敗、橋本首
相は退陣し、小渕政権が発足します。小渕首相は蔵相にベテラン
の宮沢喜一氏を迎え、直ちに金融再生に取り組んだのです。まず
財政再建を凍結し、1998年8月に「金融安定60兆円」の法
案を国会で可決させています。
 さらに同じ年の10月に「金融機能早期健全化法案」が可決さ
れ、公的資金枠60兆円のうち、銀行への注入枠25兆円が割り
付けられたのです。この銀行への注入枠の計算は、かねてから銀
行への公的資金注入の必要性を提言していた菊池英博教授の計算
によって決定されたのです。
 そして、同じ10月には日本長期信用銀行、12月には日本債
券信用銀行が破綻しましたが、小渕首相は経済対策23.9兆円
を発表し、やっと金融恐慌は終息し、金融は安定化に向ったので
す。翌1999年2月、日本銀行は与党の要請に応じて、ゼロ金
利政策を採択し、ようやく日本経済は危機を脱したのです。
 しかし、その後の森政権/小泉政権は、またまた緊縮財政、増
税路線で経済を疲弊させつつあります。・・・[日本経済10]


≪画像および関連情報≫
 ・BIS規制について
  自己資本比率は、返済が焦げ付いて貸し倒れとなる可能性が
  ある債権(信用リスク)や、短期取引による保有株などの損
  失(市場リスク)などの総額を分母とし、資本金など銀行の
  資産(自己資本)を分子にして算出する。例えば、10億円
  の自己資本を持ち、貸し出しなどが100億円ある銀行の自
  己資本比率は10%となる。比率が高い銀行ほど貸し倒れや
  株価下落への備えがあることになる。
  http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/special/47/naruhodo150.htm

1768号.jpg
posted by 平野 浩 at 08:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本は本当に破綻危機なのか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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