2009年09月16日

●「ブレジンスキーの戦略地政学」(EJ第2657号)

 ズビグネフ・ブレジンスキー氏は、徹底的なロシア嫌いで知ら
れています。正確にいうと、彼は独裁主義者と共産主義者が大嫌
いなのです。それは彼の生い立ちと深い関係があるといえます。
 ズビグネフ・ブレジンスキー氏は1928年3月28日にポー
ランドで生まれています。
 ブレジンスキー氏は、旧ポーランド領(現在はウクライナ領)
の名家ブジェジンスキ家の出身なのです。外交官であったタデウ
シュ・ブレジンスキー氏は1931年〜35年までドイツのベル
リンに赴任したので、ズビグネフ少年も父と共にドイツで過ごし
ナチ党の台頭を目の当たりにしたのです。
 その後、タデウシュ一家は、ソビエト連邦の首都モスクワに赴
任したのです。当時ソ連は、スターリンによる大粛清の嵐が吹き
荒れており、ズビグネフ少年は図らずも、ナチ党の横暴に続いて
ソ連の恐怖政治を目撃してしまったのです。
 1938年にタデウシュ一家は、カナダに赴任したのです。し
かし、1939年にはナチス・ドイツがポーランドに侵攻したた
め、一家はポーランドに帰国できなくなってしまったのです。そ
れに、第二次世界大戦が終わってもソビエトの共産主義者によっ
て、祖国ポーランドが支配されてしまったので、またしても帰国
が実現できなくなったのです。
 ズビグネフ少年にしてみれば、ナチスは、第二次世界大戦が終
わって消滅してしまったものの、ソビエト連邦はその後も残り、
現在もロシアとして存在しています。そういうわけで、ズビグネ
フ・ブレジンスキー氏の怒りの対象がソ連やロシアになったのは
そういうわけなのです。
 ソ連が崩壊した原因はいろいろありますが、その原因のひとつ
として、ソ連のアフガニスタン侵攻があることは確かです。9月
9日のEJ第2652号で、ソビエト軍のアフガニスタン侵攻に
ついてはウラがあると書きましたが、以下、これについて書くこ
とにします。
 米国という国は、敵国を倒す方法として、いろいろな仕掛けを
行い、その敵国と他の国(仮にB国とする)とを戦争させるよう
に追い込むのです。そして、B国に対して密かに資金や武器など
の支援を行い、敵国の経済を疲弊させて力を弱めるという高等戦
略をとってきたのです。
 そういう例をカーター政権において多く見ることができます。
ブレジンスキー氏は、当時ソ連(ロシア)を米国にとって最大の
敵とみなしてこの戦略を展開しているのです。この戦略のことを
ブレジンスキー氏は「戦略地政学」と呼んでいます。
 そのひとつの例は、カーター政権がカンボジアのポル・ポト政
権を支持したことです。ポル・ポト政権は大量虐殺政権といわれ
その評判は最悪だったにもかかわらずです。
 しかし、ポル・ポト政権は当時中国の支援を受けており、北京
とモスクワを何とか対決させようと画策してきたブレジンスキー
氏にとって、中国は大切なカードだったのです。既出のタープレ
イ氏はこれについて次のように述べています。
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 ポル・ポト政権はハノイ政府に倒されたあとも、国連に議席を
 持ちつづけた。これは、ブレジンスキーが支配するカーター政
 権の強い後押しがあったからだ。ブレジンキーがこのような措
 置をとったのは冷戦対策としてであり、中国カードを温存する
 ためにも中国とソ連を接近させないためだった。しかしこの頃
 には、ポル・ポトが大量虐殺を行っていた事実は明らかになっ
 ていた。 ――ウェブスター・G・タープレイ著/太田龍監訳
           『オバマ危険な正体』より/成甲書房刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 アフガニスタンにソ連軍が侵入したのは1979年12月24
日のことです。この状況を作り出したのはカーター政権時の米国
の策略――すなわち、ブレジンスキー氏の仕掛けなのです。19
98年1月15日〜21日におけるブレジンスキーとヌーヴェル
・オブセルヴァトゥール紙の記者とのやり取りの一部です。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ブレジンスキー:歴史の公式記録によればCIAがイスラム聖
 戦士を支援しはじめたのは1980年だ。すなわち、旧ソ連軍
 がアフガニスタンに侵攻した1979年12月24日以降だ。
 実は今日まで秘密にされてきたが、事実はまったく違う。実際
 には、カブールの親ソ政権に抵抗する反対勢力に秘密支援を行
 うようにカーター大統領が最初の指令を出したのは、1979
 年7月3日だ。私は当日、この秘密支援はソ連の軍事介入を引
 き起こすだろうと説明した覚書を大統領に送っている。
 記者:あなたは危険性を認識しつつも、この秘密作戦に賛同し
 た。しかしあなた自身、旧ソ連が戦争を起こすことを望み、そ
 れを誘発しようとしたのではないか?
 ブレジンスキー:それは少し違う。我々は、旧ソ連に軍事介入
 を強制したのではない。旧ソ連が介入する可能性があると知り
 つつ、その可能性を広げただけだ。
      ――ウェブスター・G・タープレイ著/太田龍監訳
           『オバマ危険な正体』より/成甲書房刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 同じようなことが、日露戦争でも起こっているのです。当時の
セオドア・ルーズベルト大統領は、日露両国が戦争で国力を十分
消耗したと判断した時点で戦争終結の調停者として動き、両国に
講和条約を締結させたのです。
 セオドア・ルーズベルト大統領は、米国からも国際社会からも
賞賛され、この功績によってノーベル平和賞まで受賞しているの
です。国家の争いとはこういうものです。
 希代の戦略家であるズビグネフ・ブレジンスキー氏は、現在も
オバマ政権内で健在なのです。ロシアの指導者たちはブレジンス
キー氏をつねにマークしており、警戒心を怠っていないといわれ
ています。           ――[オバマの正体/47]


≪画像および関連情報≫
 ●ズビグネフ・ブレジンスキーの警告/ねこまたぎ通信より
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ブレジンスキーが示唆する最も明らかで不穏なものは、ブッ
  シュ政権がイランへの軍事攻撃を正当化する言い訳となるこ
  とを捏造するかもしれないということであった。ブレジンス
  キーが「イランとの軍事衝突のためのまことしやかなシナリ
  オ」と呼んでいるのだが、彼は次のような一連の事柄を採り
  上げた。「イラクでの失敗がその基点となる。続いてそれを
  イランのせいにして非難し、次に何らかの挑発行為をイラク
  で行うかまたは米国内で起こるテロ活動をイランのせいにす
  る。そしてついには、言うところの『防衛的な』米国のイラ
  ンに対する軍事行動を起こすことになる・・・。」
  こうしてブレジンスキーは米軍によるイラン攻撃が、あたか
  もイランの挑発とされるものへの防衛的な反応であるかのよ
  うに紹介されながら、極めて攻撃的な行動となるであろうと
  いう見解を述べた。そして、さほど明白な言い方ではなかっ
  たのだが、ホワイトハウスは戦争への口実を与える米国内で
  のテロ攻撃を捏造する、あるいはわざとやらせる能力がある
  ことを指し示しながら言葉を結んだ。
        http://d.hatena.ne.jp/takapapa/20070208/p1
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ズビグネフ・ブレジンスキー氏.jpg
ズビグネフ・ブレジンスキー氏
posted by 平野 浩 at 04:16| Comment(0) | TrackBack(0) | オバマの正体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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