CFRのルーツは、1919年の「パリ講和会議」にまで遡る
のです。パリ講和会議は、第一次世界大戦の戦後処理を目的とし
て開催された会議です。
この会議に出席したウッドロー・ウィルソン米大統領に対し、
戦後構想のいくつかの提案をするべく著名な学者23名による調
査グループが結成されたのです。彼らはウィルソン大統領に随行
してパリ会議に参加したのですが、調査グループの提案は受け入
れてもらえず、パリ会議によって締結されたベルサイユ条約は調
査グループの目指す方向とは正反対のものになり、彼らを落胆さ
せたのです。
彼らは、国際問題の研究所を作る必要性を痛感し、同じ考え方
を持つ英国代表団のメンバーと一緒になって、国際問題に関する
恒久的な英米研究所を設立し、ロンドンとニューヨークに支部を
置いたのです。1919年5月31日のことです。
この研究所ができるちょうど一年前の時点で、ノーベル平和賞
の受賞者、エリヒュー・ルート氏が中心となって、外交問題の討
議やその情報交換を目的とするインフォーマルなグループができ
ていたのです。そのグループの名前は「外交関係評議会――CF
R」と名付けられたのです。ちなみにエリヒュー・ルート氏は、
セオドア・ルーズベルト政権で国務長官を務めており、多くの人
脈を保有する人物です。
一方、英米研究所は、何の成果もないまま2年が経過した頃、
CFRのことを知り、CFRのエリヒュー・ルート氏に対し、両
研究所の合併を持ちかけたのです。そうしたところ、ルート氏は
この提案に合意し合併が実現したのです。このようにして、19
21年7月29日に新生CFRはスタートしたのです。
ところがこのCFRは、米国にある多くのシンクタンクの中で
も「世界を操る秘密結社」「陰の政府」「巨大な陰謀組織」など
のさまざまな陰謀組織の巣窟とされていますが、その理由につい
て、米国のシンクタンクの事情に詳しい国際ジャーナリストであ
る菅原出氏は、自著で次のように述べています。
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民主党員、共和党員を問わず超党派で構成され、当時は多くの
エリートクラブがユダヤ人の入会に制限を加えていたのに対し
CFRは、発足当時から著名なユダヤ人をメンバーに加えてい
た。さらに「会議の内容を一切公表しない」という原則があっ
たため、その秘密性が後に、数々の憶測を生む原因となった。
――菅原出著『日本人が知らない/ホワイトハウスの内戦』
ビジネス社刊
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実はディヴィッド・ロックフェラー氏は、1949年から70
年の長きにわたり、このCFRの理事を務めていたのです。とく
に、1970年代のはじめにはこの組織の会長職にあり、米国だ
けでなく、世界の政財界に幅広いネットワークを持つ米国経済界
のドンになっていたのです。
CFRの会長を務めるディヴィッド・ロックフェラー氏は、こ
のCFRに限界を感じており、西側資本主義の利益を守るため、
北米、西欧、日本のエリート間のパートナーシップを強化する必
要があると考えていたのです。
こうして誕生したのが、「日米欧三極委員会――TC」なので
す。1973年のことです。半年に一度会合を開き、新興国から
の挑戦をどのように受け止め、国際的な秩序を保ち、国際ビジネ
スにとって安定した環境をどのようにして築き上げるかが討論さ
れたのです。
ディヴィッド・ロックフェラー氏は、TCの目指す目標を共有
し、その意向を反映した政策を実行する米大統領が欲しかったの
です。そして、その白羽の矢が当時のカーター知事に当たったの
です。このTC――三極委員会の初代会長を務めたのが、ズビグ
ネフ・ブレジンスキー氏なのです。
そしてカーター政権が誕生すると、ブレジンスキー氏は、当然
のように国際安全保障問題大統領補佐官に就任するのです。そし
て、そのブレジンスキー氏は80歳になる現在も元気であり、現
オバマ政権においてほぼ同じ役割を担っているのです。
既出のウェブスター・タープレイ氏は、ブレジンスキー氏につ
いて、次のように述べています。
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ブレジンスキーはデイヴイッド・ロックフェラーとともに三極
委員会(TC)を創設した人物である。三極委員会とは、ヨー
ロッパ、アメリカ、日本の国際銀行家たちが、チエース・マン
ハッタン銀行(当時)の総帥デイヴイッド・ロックフェラーの
下に集ってつくり上げた排他的集団だ。そしてブレジンスキー
は1950年代以降、極端な反ソ連、反ロシアのタカ派として
知られてきた人物である。ブレジンスキーはカーター政権で国
家安全保障担当補佐官となり、イラン国王の失脚とホメイニ独
裁政権の樹立を実現させた。現代のイスラム原理主義を生み出
したのも彼だと言っていいだろう。
――ウェブスター・G・タープレイ著/太田龍監訳
『オバマ危険な正体』より/成甲書房刊
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もう一人カーター政権で重要な役割を果たした人に、ポール・
ボルカー氏がいます。カーター大統領は、ボルカー氏を連邦準備
制度理事会(FRB)議長に任命しています。
ところがです。このボルカー氏は既に80歳を超えていますが
現オバマ政権の大統領経済回復諮問委員会委員長のポストに就い
ているのです。ブレジンスキー氏といい、ボルカー氏といい、オ
バマ大統領の意思で選ばれているというよりも、何らかの巨大な
背後の力によって、オバマ氏の側近が形成されているといっても
過言ではないと思います。オバマ政権は、何もかもカーター政権
そっくりであるといえます。 ――[オバマの正体/46]
≪画像および関連情報≫
●日米欧三極委員会についてのカーター氏の述懐
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複雑で重要な外交課題に関して、洞察力のある分析をタイム
リーにしかも継続的に提供する桟会を与えてくれる組織に、
日米欧三極委員会と呼ばれる団体があった。三つの民主的で
先進的な地域のリーダーが集まるこのグループは、半年ごと
に会合を開き、日本や北米や西欧の関心事に対する議論を深
める。この委員会のメンバーになれたことは、私に素晴らし
い学習の機会を与え、多くのメンバーたちが私の外交問題に
関する勉強を助けてくれた。
――菅原出著『日本人が知らない/ホワイトハウスの内戦』
ビジネス社刊
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ディヴィッド・ロックフェラー回顧録