2009年09月14日

●「ブレジンスキーとは何者か」(EJ第2655号)

 ここまで44回にわたって、第44代米大統領、バラク・フセ
イン・オバマという政治家を分析してきたのですが、今回から彼
を背後から支えている人物というか勢力について述べていきたい
と思います。オバマ大統領を背後から支えていると思われるのは
次の人物です。
―――――――――――――――――――――――――――――
  ズビグネフ・ブレジンスキー(1928年3月28日〜)
―――――――――――――――――――――――――――――
 ブレジンスキー氏といえば、一般的にはコロンビア大学教授と
して知られています。彼がコロンビア大学教授をしていたのは、
1960年から1989年までです。さらにブレジンスキー氏は
カーター政権当時の国家安全保障担当大統領補佐官を務めたこと
でも知られています。
 注目すべきことは、ブレジンスキー氏が2008年の米大統領
選挙において、オバマ陣営の外交問題顧問を務めており、現オバ
マ政権にも隠然たる影響力を与えていると考えられることです。
 それでは、オバマ氏は、どこでブレジンスキー氏と知り合った
のでしょうか。
 考えられることは、オバマ氏は1981年から83年の間にコ
ロンビア大学でブレジンスキー氏に見い出されたのではないかと
いうことです。
 これについて、『オバマ危険な正体』の著者、ウェブスター・
タープレイ氏は、次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 奇妙なことに、オバマはコロンビア大学時代についてほとんど
 語ろうとしない。コカインやマリファナといった違法ドラッグ
 を使用していた事実は率直に認めているのに、なぜかコロンビ
 ア大学で過ごした日々については驚くほど口が堅い。ニューヨ
 ーク・タイムズ紙の取材で大学時代に受けた講義、教授、活動
 友人に関する質問を受けても、一切答えていないのだ。一体オ
 バマは何を隠しているのか。大学時代の逸話よりもはるかにイ
 メージの低下を招きそうな事実でさえ非常にオープンに明かす
 のになぜこの一点だけに異常とも思える秘密主義を貫くのか。
      ――ウェブスター・G・タープレイ著/太田龍監訳
           『オバマ危険な正体』より/成甲書房刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 この本の著者であるタープレイ氏は、オバマ大統領が話さない
ので、推論するしかないがと断って、「オバマは1981年から
83年の間に直接ブレジンスキーを通じて、あるいはその息のか
かった教授によって、ブレジンスキー勢力に取り込まれている」
と述べているのです。
 このズビグネフ・ブレジンスキー氏という人物は一体何者なの
でしょうか。
 これについて述べる前に1977年1月20日に米大統領に就
任したジミー・カーター氏に言及する必要があります。なぜなら
カーター政権と現オバマ政権は多くの類似点があるからです。
 ジミー・カーター氏はきわめて知名度の低いジョージア州の知
事だったのです。そのカーター氏が、1975年から76年にか
けて行われた米大統領選挙に彗星の如く現れて、フォード大統領
に勝利したのです。そのとき、彼が選挙中に掲げたスローガンは
次のようなものであったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
   私は決して国民に嘘はつかない/ジミー・カーター
―――――――――――――――――――――――――――――
 こういう耳触りの良いスローガンは、オバマ大統領の「チェン
ジ」や「イエス・ウイ・キャン」に通じるものがあります。そし
てオバマ氏もまったくの無名の候補者であったのです。
 当時米国民は、ウォーターゲート事件による醜聞に辟易として
おり、今までの政権とは違うものを求めていたのです。そういう
ときに米国民の期待に応えるように、庶民派のイメージを最大限
に打ち出したジミー・カーター氏が登場したのです。
 カーター大統領は、就任式当日、防弾ガラスで完全武装された
大型リムジンには乗らず、シークレットサービスの反対を振り切
り、ロザリン夫人と小さな娘エイミーと一緒に議事堂からホワイ
トハウスまで歩いて登場したのです。そっくり同じではありませ
んが、オバマ氏も同じようなことをやっています。
また、マーティーン・ルーサー・キング牧師の片腕だった黒人の
アンドリュー・ヤング氏を閣僚級の国連大使に就けるなど、異例
の人事をやってのけ、国民を熱狂させたのです。少なくとも就任
当初は国民の絶大なる支持を得ていたのです。
 しかし、米国の大統領ほどの地位に就くには、強いバックが必
要なのです。カーター氏はジョージア州の知事になるため、同州
を含む南部全域に大きな影響力を持つエリート集団「アトランタ
・エスタブリッシュ」の人たちとのコネクションを求め、知事に
なってからもそのエリート集団との関係を一層密にしていったの
です。これが彼にチャンスをもたらしたのです。
 ある日、カーター知事に大きなチャンスが訪れるのです。19
71年11月のことです。カーター氏はある有力者の昼食会に招
かれたのです。その有力者とは、ディヴィッド・ロックフェラー
氏――チェース・マンハッタン銀行の頭取でロックフェラー・グ
ループの総帥です。
 そのときの昼食会には、カーター氏のほか、当時『タイム』誌
の編集長だったヘドリ−・ドノバン氏も招かれ、一緒に会談して
いるのです。カーター氏は、この昼食会がきっかけになって、米
大統領の道が開けてきたのです。
 その経緯を語るには、米国の有名なシンクタンク「外交関係評
議会」(CFR)と「日米欧三極委員会」(TC)について知る
必要があるのです。ロックフェラー氏は、このCFRとTCの創
立に深くかかわっているからです。これについては、明日のEJ
でお話します。         ――[オバマの正体/45]


≪画像および関連情報≫
 ●ジミー・カーターについて
  ―――――――――――――――――――――――――――
   1977年、米国民はワシントンと関係のない外部の人間
  がいい、と考えはじめ、それにピッタリの男が現れた。ジミ
  ー・カーターである。彼はメリーランド州アナポリスの海軍
  士官学校を820人中59番の成績で卒業した頭脳明晰な男
  だった。その後、海軍の伝統ある潜水艦課程で訓練を積む一
  方で、原子物理学の学習にも精を出した。彼は生涯を海軍で
  過ごしたいと考えていたが、結果的にジョージア州プレーン
  ズのカーター家の広大なピーナッツ農場を引き継ぐことにな
  り、これが彼をやがて金持ちにしていった。
        ――コルマック・オブライエン著/平尾圭吾訳
  『大統領たちの通信簿』より/集英社インターナショナル刊
  ―――――――――――――――――――――――――――

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ウェブスター・タープレイの本
posted by 平野 浩 at 04:19| Comment(0) | TrackBack(0) | オバマの正体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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