イン・オバマという政治家を分析してきたのですが、今回から彼
を背後から支えている人物というか勢力について述べていきたい
と思います。オバマ大統領を背後から支えていると思われるのは
次の人物です。
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ズビグネフ・ブレジンスキー(1928年3月28日〜)
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ブレジンスキー氏といえば、一般的にはコロンビア大学教授と
して知られています。彼がコロンビア大学教授をしていたのは、
1960年から1989年までです。さらにブレジンスキー氏は
カーター政権当時の国家安全保障担当大統領補佐官を務めたこと
でも知られています。
注目すべきことは、ブレジンスキー氏が2008年の米大統領
選挙において、オバマ陣営の外交問題顧問を務めており、現オバ
マ政権にも隠然たる影響力を与えていると考えられることです。
それでは、オバマ氏は、どこでブレジンスキー氏と知り合った
のでしょうか。
考えられることは、オバマ氏は1981年から83年の間にコ
ロンビア大学でブレジンスキー氏に見い出されたのではないかと
いうことです。
これについて、『オバマ危険な正体』の著者、ウェブスター・
タープレイ氏は、次のように述べています。
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奇妙なことに、オバマはコロンビア大学時代についてほとんど
語ろうとしない。コカインやマリファナといった違法ドラッグ
を使用していた事実は率直に認めているのに、なぜかコロンビ
ア大学で過ごした日々については驚くほど口が堅い。ニューヨ
ーク・タイムズ紙の取材で大学時代に受けた講義、教授、活動
友人に関する質問を受けても、一切答えていないのだ。一体オ
バマは何を隠しているのか。大学時代の逸話よりもはるかにイ
メージの低下を招きそうな事実でさえ非常にオープンに明かす
のになぜこの一点だけに異常とも思える秘密主義を貫くのか。
――ウェブスター・G・タープレイ著/太田龍監訳
『オバマ危険な正体』より/成甲書房刊
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この本の著者であるタープレイ氏は、オバマ大統領が話さない
ので、推論するしかないがと断って、「オバマは1981年から
83年の間に直接ブレジンスキーを通じて、あるいはその息のか
かった教授によって、ブレジンスキー勢力に取り込まれている」
と述べているのです。
このズビグネフ・ブレジンスキー氏という人物は一体何者なの
でしょうか。
これについて述べる前に1977年1月20日に米大統領に就
任したジミー・カーター氏に言及する必要があります。なぜなら
カーター政権と現オバマ政権は多くの類似点があるからです。
ジミー・カーター氏はきわめて知名度の低いジョージア州の知
事だったのです。そのカーター氏が、1975年から76年にか
けて行われた米大統領選挙に彗星の如く現れて、フォード大統領
に勝利したのです。そのとき、彼が選挙中に掲げたスローガンは
次のようなものであったのです。
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私は決して国民に嘘はつかない/ジミー・カーター
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こういう耳触りの良いスローガンは、オバマ大統領の「チェン
ジ」や「イエス・ウイ・キャン」に通じるものがあります。そし
てオバマ氏もまったくの無名の候補者であったのです。
当時米国民は、ウォーターゲート事件による醜聞に辟易として
おり、今までの政権とは違うものを求めていたのです。そういう
ときに米国民の期待に応えるように、庶民派のイメージを最大限
に打ち出したジミー・カーター氏が登場したのです。
カーター大統領は、就任式当日、防弾ガラスで完全武装された
大型リムジンには乗らず、シークレットサービスの反対を振り切
り、ロザリン夫人と小さな娘エイミーと一緒に議事堂からホワイ
トハウスまで歩いて登場したのです。そっくり同じではありませ
んが、オバマ氏も同じようなことをやっています。
また、マーティーン・ルーサー・キング牧師の片腕だった黒人の
アンドリュー・ヤング氏を閣僚級の国連大使に就けるなど、異例
の人事をやってのけ、国民を熱狂させたのです。少なくとも就任
当初は国民の絶大なる支持を得ていたのです。
しかし、米国の大統領ほどの地位に就くには、強いバックが必
要なのです。カーター氏はジョージア州の知事になるため、同州
を含む南部全域に大きな影響力を持つエリート集団「アトランタ
・エスタブリッシュ」の人たちとのコネクションを求め、知事に
なってからもそのエリート集団との関係を一層密にしていったの
です。これが彼にチャンスをもたらしたのです。
ある日、カーター知事に大きなチャンスが訪れるのです。19
71年11月のことです。カーター氏はある有力者の昼食会に招
かれたのです。その有力者とは、ディヴィッド・ロックフェラー
氏――チェース・マンハッタン銀行の頭取でロックフェラー・グ
ループの総帥です。
そのときの昼食会には、カーター氏のほか、当時『タイム』誌
の編集長だったヘドリ−・ドノバン氏も招かれ、一緒に会談して
いるのです。カーター氏は、この昼食会がきっかけになって、米
大統領の道が開けてきたのです。
その経緯を語るには、米国の有名なシンクタンク「外交関係評
議会」(CFR)と「日米欧三極委員会」(TC)について知る
必要があるのです。ロックフェラー氏は、このCFRとTCの創
立に深くかかわっているからです。これについては、明日のEJ
でお話します。 ――[オバマの正体/45]
≪画像および関連情報≫
●ジミー・カーターについて
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1977年、米国民はワシントンと関係のない外部の人間
がいい、と考えはじめ、それにピッタリの男が現れた。ジミ
ー・カーターである。彼はメリーランド州アナポリスの海軍
士官学校を820人中59番の成績で卒業した頭脳明晰な男
だった。その後、海軍の伝統ある潜水艦課程で訓練を積む一
方で、原子物理学の学習にも精を出した。彼は生涯を海軍で
過ごしたいと考えていたが、結果的にジョージア州プレーン
ズのカーター家の広大なピーナッツ農場を引き継ぐことにな
り、これが彼をやがて金持ちにしていった。
――コルマック・オブライエン著/平尾圭吾訳
『大統領たちの通信簿』より/集英社インターナショナル刊
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ウェブスター・タープレイの本