2009年09月09日

●「オバマ大統領のアフガン戦略」(EJ第2652号)

 オバマ大統領は、2009年中にイラクから兵を引き上げ、ア
フガニスタンの米軍を6万人規模に増強して、アフガニスタンに
おけるテロとの戦いを本格化しようと明言しています。どうして
オバマ大統領は、アフガニスタンでの戦争にそこまでこだわって
いるのでしょうか。
 昨日のEJでもご紹介したように、アフガニスタンにおけるテ
ロ戦争に対しては、米国民の半分以上が「価値がない」と考えて
いるのです。米国民としては、イラク戦争でさんざんな目になっ
ているのに、なぜアフガニスタンで新しい戦争をはじめようとし
ているのか理解できないと考えているのです。
 オバマ大統領は、アフガニスタンでの戦争をはじめるにあたっ
て、次のようにいっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 われわれはテロリストだけを相手にする。アフガニスタンで戦
 う相手はテロリストだ。アフガニスタンの国民はわれわれの敵
 ではない。  ――日高義樹著『オバマ外交で沈没する日本』
                        徳間書店刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 一見まともな言葉のようにみえます。しかし、この言葉は50
年前の1961年にホワイトハウス入りしたときのケネディ大統
領の次の言葉にそっくりなのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 われわれはベトコンだけを敵とする。ベトナムの人々と戦うつ
 もりはまったくない。
        ――日高義樹著『オバマ外交で沈没する日本』
                        徳間書店刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 どこの国でもそうですが、アフガニスタンはとくに外国の軍隊
に占領されることを嫌っています。それは、アフガニスタンの歴
史を調べてみるとわかることです。
 紀元前四世紀のことです。アレキサンダー大王は、当時の精鋭
部隊10万人を率いてアフガニスタンに攻め込み、インド国境の
カイバル峠までを占領したのです。ここには、現在パキスタンの
北西辺境州に位置しており、そこには「パシュトゥン族」と呼ば
れる民族が多く住んでいたのです。
 このパシュトゥン族は、推定1500万人以上とされています
が、アフガニスタンでは全人口の43%(国連2002年推計)
を占める最強の民族なのです。
 アレキサンダー大王がアフガニスタン全土を占領したとたん、
最強のパシュトゥン族を中心とするアフガニスタンの住民全部が
テロリストになって襲いかかってきたのです。アレキサンダー大
王はカイバル峠で孤立し、退却を余儀なくされ、10万人を超え
る精鋭部隊は、ほとんど全滅してしまったのです。
 続いてアフガニスタンに侵攻したのは英国なのです。1839
年から1842年までの第一次アフガニスタン戦争では、英国軍
が勝利し、首都カブールを占領したのです。その当時のアフガニ
スタンの国王はドスト・モハメッド・カーン氏だったのですが、
ロシアの援助を受けていたのです。英国は国王を退位させ、英国
寄りのシュジャー・シャー氏を国王の地位につけたのです。
 ところが1841年になると、またしても首都カブールを守っ
ていた英国軍とインド軍は、最強のパシュトゥン族の襲撃を受け
るようになり、両軍は、首都カブールからの撤退を余儀なくされ
るのです。撤退する英国軍は、パシュトゥン族を中心とするゲリ
ラの襲撃を受け、ほとんど全滅してしまったのです。まさに「歴
史は繰り返す」といえると思います。
 20世紀に入った1979年12月24日、今度はソビエト軍
がアフガニスタンに侵攻したのです。なぜ、ソビエトはアフガニ
スタンに侵攻したのかについてはウラがあり、これについては改
めて明らかにする予定です。
 この戦争でソビエトは新型のヘリコプターや戦車を動員し、首
都カブールを簡単に占領してしまいます。しかし、間もなくアフ
ガニスタン全土でソビエト軍に対する反乱が相次いで起こり、ソ
ビエト軍はナパーム弾や高性能爆撃を行い、100万人を超すア
フガニスタン人を殺したのですが、反乱は激しくなるばかりだっ
たのです。やはりパシュトゥン族を中心とするゲリラは執拗その
もので、ソビエト軍を苦しめたのです。
 被害のあまりの大きさに動揺したソビエト・ゴルバチョフ大統
領は、1988年4月14日、12万人を超す遠征部隊の総引き
上げを決断するのです。しかし、ソビエト軍は、この戦争で1万
5000人が戦死し、数万人が負傷する結果となったのです。
 アフガニスタン側も、100万人を超す戦死者と数百万人が家
を失うなど大きな被害を受けたのですが、この難敵を追い返す勝
利を掴んだのです。
 ソビエトがアフガニスタンとの戦闘を終えたのは、1989年
2月15日だったのです。つまり、ソビエト軍は実に10年間に
わたってアフガニスタンとの戦争を続け、結局は敗退してしまっ
たのです。そしてこれがソビエトの国力を弱め、ソビエト連邦の
崩壊につながったのです。
 そして、2001年9月11日、米国において発生したテロリ
ストによる攻撃を契機として、米国はアフガニスタンに軍隊を派
遣して、同盟国と共に現在もテロ掃討の戦争が続いています。し
かし、現在アフガニスタンの状況はタリバンの優勢が伝えられ、
厳しい情勢になっているのです。
 オバマ大統領は、アフガニスタンのパシュトゥン族と提携し、
タリバンと戦っていく方針ですが、パシュトゥン族との話し合い
はあまりうまくいっていないのです。外国人の占領を嫌うパシュ
トゥン族が米軍が今後兵力を増強すればするほど敵対心を持つ可
能性があり、予断を許さない状況になっています。もし、パシュ
トゥン族が敵に回ると、またしても歴史の示す通りの結果になる
可能性は大きいのです。     ――[オバマの正体/42]


≪画像および関連情報≫
 ●パシュトゥン族について
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  イスラーム教への信仰心が強く、民族の名誉などを重視する
  傾向が強い。パシュトゥン族は、伝統的に《パシュトゥーン
  ワリ》という、部族の社会規範(慣習法)で機能、《ズィル
  ガ》と呼ばれる部族会議で、重要事項を決定している。非常
  に保守的であり、パシュトゥン族の男性は、下記の3箇条を
  重視する。   《バダル》=復讐。
          《メールマスティア》=客人接待
          《ナナワティ》=逃亡者の庇護
  http://gotenyama2.web.infoseek.co.jp/Hito/hito_PK_pashu_otoko.html
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パシュトゥン族.jpg
パシュトゥン族
posted by 平野 浩 at 04:20| Comment(0) | TrackBack(0) | オバマの正体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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