2006年01月18日

講和条件作りへの朝河の関与(EJ1755号)

 朝河貫一は『日露衝突』の刊行に先立って、そのエッセンスを
イェール大学の季刊の論文集『イェール評論』の1904年の春
号(5月)と夏号(8月)の2回に分けて発表しています。
 この『イェール評論』は大学発行の機関誌の中でも非常に権威
が高く、読者はインテリ層に限られてはいるものの、その社会的
影響力はきわめて大きかったのです。とくに5月の論文は「ニュ
ーヨーク・タイムズ」の社説に取り上げられ、両論文ともドイツ
語とイタリー語に翻訳されたのです。
 また、これらの論文は確認されているだけでも、1紙6誌の書
評に取り上げられ、一部には批判もあったが、その多くは交戦国
民であるにもかかわらず、公正な立場で資料を精査して記述して
いると高く評価しているのです。
 朝河はこれらの論文で、この戦いは日本が代表する「新しい文
明」とロシアが代表する「古い文明」の戦いであり、その結果は
世界に大きな違いをもたらし、両国だけではなく、世界が岐路に
立っていることをまず強調しています。
 さらに、そのためにはロシアの南下を阻止することによって、
清国と韓国の「領土保全」と市場の「門戸開放」を確保する必要
がある−−そのために日本はロシアと闘っているという日本の立
場を正当化しています。
 この考え方が、日本はロシアの満州からの撤兵、韓国の「領土
保全」のみを要求すべきであって、まして賠償金など求めるべき
ではないという主張につながるのです。
 1904年5月と8月の『イェール評論』、11月の『日露衝
突』の発刊――これらの朝河の論文がポーツマス講和交渉に少な
からず影響を与えたことは確かなのです。
 さて、ここでなぜイェール大学がポーツマス講和交渉の原案を
作ることになったのかの話に戻ります。直接的には、金子堅太郎
の随行員である阪井徳太郎が旧知の間柄であるイェール大学のス
トーク事務局長に手紙を出したことがきっかけですが、阪井は次
のようにストークに手紙を書いたのです。
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 戦場から(日本軍勝利の)良いニュースが続いている。しかし
 早期に解決するという、わずかな希望さえもない。ニューヘイ
 ブンにいる学識の深い学者たちの間ではどんな雰囲気なのか。
 日本はどのような条件で講和すべきなのか。君自身はどう思う
 か。いつか、君からそれについて聞きたい。
  ――清水美和著、『「驕る日本」と闘った男/日本講和条約
              の舞台裏と朝河貫一』、講談社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 問題は、イェール大学による日露戦争の講和条件作りに朝河が
参加していたかどうかです。はっきりしていることはこの原案が
作成された時点においては、朝河はイェール大学を離れて、ダー
トマス大学の講師をやっていたということです。
 講和交渉の原案作りに携わった学者は次の3人ですが、彼らは
朝河貫一とどういう関係にあるのでしょうか。
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        1.ストークス事務局長
        2.ウールジィ教授
        3.ウィリアムス助教授
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これらの3人はいずれもイェール大学の職員であり、朝河貫一
をよく知っています。まして、2回にわたる『イェール評論』に
よって、朝河が日露戦争に対して、どのような考え方を持ってい
るのかを熟知していたはずです。
 朝河が博士号を取得したのはイェール大学大学院です。博士論
文のテーマは「六四五年の改革(大化改新)の研究」だったので
すが、上記のウィリアムス助教授がその指導を担当したのです。
 フレデリック・ウェルズ・ウィリアムスは、彼の父親がサミュ
エル・ウェルズ・ウィリアムスといって、日本に門戸開放を迫っ
たあのペリー提督の通訳を務めた人物なのです。したがって、そ
の息子のフレデリック・ウィリアムスが大学で東洋史を担当し、
大化改新を扱った朝河の博士論文の指導を担当していることは不
思議ではないのです。
 さらにウィリアムスは、朝河の『日露の衝突』に序文を寄せて
おり、これを見る限り、朝河の日露戦争観に非常に近い考え方を
持っていたといえます。ウィリアムスはその序文の中で日露戦争
について次のように述べているのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「アメリカの人々の(戦争に対する)態度はロシアに対する偏
 見に大きく影響されているわけではない」と断りながら、日本
 はロシアの東アジアに対する圧力を軽減する「世界のための仕
 事」をしていると認める。日本は中国が「その弱さが、西洋列
 強の恥ずべき軍事的野心を誘う国々のリスト」にある状態から
 目覚める手助けをしているのだ。――清水美和著の前掲書より
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ウールジィ教授については、朝河と直接の付き合いはないと考
えられます。しかし、ウールジィ教授は国際法の権威ではあるが
東アジア問題には素人であり、講和条件の内容に関しては、ウィ
リアムスの意見が大きな影響を与えたことは確かであるといえま
す。それはともりなおさず朝河の考え方が反映されたということ
になるのです。
 しかし、朝河はその後日露戦争当時の自分の言動についてはほ
とんど語ることはなかったのです。朝河は日露戦争は、ロシアと
いう「古い文明」と日本が代表する「新しい文明」の戦いである
ことを全米を講演して訴えたのです。その主張は祖国日本によっ
て裏切られたからです。日露戦争後の日本は、「新しい文明」ど
ころか、古い帝国主義そのものになり、韓国併合から中国侵略へ
とのめりこんでいったからです。そして、米国世論は期待を裏切
られた分、反日に傾いたのです。・・・・・・ [日露戦争49]


≪画像および関連情報≫
 ・ダートマス大学について
  ダートマス大学は、ニューハンプシャー州ハノーヴァー市に
  あるアメリカの私立大学である。1769年に設立された全
  米で9番目に古い大学である。アイヴィー・リーグの一つに
  数えられる名門校だが、小規模な大学である。そのために、
  現在でも「ユニバーシティ」という呼称を用いず、「カレッ
  ジ」と名乗っている。        ――ウィキペディア

1755号.jpg
posted by 平野 浩 at 08:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日露戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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