をまとめたのか――今週はその謎を解いていきましょう。
イェール大学は、ニューヨークからボストンまでの長距離列車
アムトラックに乗ると、ちょうど中間にニューヘイブンという街
があるのですが、そこにイェール大学があります。この街のダウ
ンタウンは、イェール大学のキャンパスそのものといってよい大
学都市なのです。
この大学は、ブッシュ父子大統領、クリントン元大統領、ヒラ
リー上院議員など、著名な政治家の母校でもあり、ハーバード大
学、プリンストン大学とともにBIG3を形成する名門大学とし
て知られているのです。
大学のキャンパスの中でもひときわ重厚な趣のゴシック建築の
尖塔を持つ建物が有名なスターリング図書館です。このスターリ
ング図書館の中に研修室を持ち、終生学問の研鑽を重ね、この大
学で一生を終えた日本人の歴史学の教授がいたのです。その名前
は朝河貫一といいます。ご存知でしょうか。
彼の墓は故郷の二本松にも分骨されてはいますが、本体はイェ
ール大学の墓地にあるのです。この教授の名前を知っている日本
人は、ほとんどいないと思いますが、彼は学術メディアの面で日
露戦争に重要な関わりを持つ人物であり、米国におけるアジア研
究の創始者とまでいわれる高名な学者だったのです。
それでは、このことと日本の講和条件をイェール大学の学者が
作ったこととはどのように関係するのでしょうか。
これには朝河が米国で何をやったのかについて、少し詳しく知
る必要があります。朝河は1896年にダートマス大学の1年に
編入し、夢であった米国留学を実現しています。そして、日露戦
争の講和交渉が行われた1905年には、米国において将来を嘱
望される31歳の青年学者になっていたのです。
そのとき、朝河は1903年にイェール大学大学院を卒業し、
母校であるダートマス大学の講師として東洋史を教えていたので
す。イェール大学の大学院では、学位論文「大化の改新の研究」
を書き、日本人ではじめて博士号を授与されていたのです。
朝河はダートマス大学の学生の頃から、日本はロシアと戦わざ
るを得ない運命にあり、ロシアの満州への進出を食い止めない限
り日本の発展はありえないとする外交論文を多く書いていたので
す。これらの論文はもちろん巧みな英語で記述され、当時の米国
のインテリ層に日本の置かれたポジションを理解させるのに大い
に貢献したのです。
そして、1904年11月、朝河は米国のインテリ層を中心に
大きな反響を巻き起こした英文による次の書籍を表したのです。
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朝河貫一著 『日露衝突――その原因と問題点』
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この本が出版された頃、日本は旅順の203高地要塞攻略にし
のぎを削っていたのです。戦争の最中に交戦国の一方である日本
の学者が米国においてその戦争そのものを取り上げ、その原因と
問題点を分析した本を出すのは異例であり、米国のインテリ層の
間では大きな話題となったのです。この本の序説には、次の記述
があります。
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もしロシアが勝つならば、韓国と満州だけでなく、モンゴルも
ロシアの属国になるか、あるいは保護国になるかであろう。日
本の発展は阻止され、その国勢は衰退しよう。ロシアは東洋の
すべての国家権力に対して支配する立場をとる。世界の貿易国
は、アジアの重要な経済分野から大部分か、あるいは完全に排
除される。
――朝河貫一著 『日露衝突――その原因と問題点』より
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当時は工業化、大量生産の時代になりつつあったのです。問題
はその市場をどこに求めるかです。それは当然のこととして、東
洋に公開市場を求めることになります。この意味において、日本
と欧米諸国の利害は一致していたのです。とくに日本にとって韓
国は重要であったのです。
しかし、朝河は「ロシアは例外である」というのです。なぜか
というと、ロシアは工業生産の発展がきわめて遅れていた国だっ
たからです。
そのようなロシアが軍事的進出で手に入れた満州の未開発の資
源を生かすには、工業生産の発達した米国や日本などのライバル
国を追い出して、貿易を独占する必要があり、そのため、ロシア
は排他政策に依存する――朝河はこう指摘します。
つまり、ロシアは多くの製品を輸入して少ししか輸出しない貿
易システムであるので、競争を軍事的に排除し、陸への巨大なる
拡張を続けるしかないといっているのです。
さらに朝河は、ロシアは経済的利害というよりも「偉大な拡張
する帝国の栄光」のために軍事的に進出する可能性を指摘してい
るのです。これは大変危険なことです。
ロシアは旅順を手にすることによって、首都北京への水路を確
保し、やがて北京の陥落や清国の大分割という事態をもたらすこ
とになる危険性を強調します。
さらにロシアは満州を領有すれば韓国占領も容易であって、韓
国南海岸に不凍港を確保し、海軍基地を建設する――その結果、
ロシアは満州を安全に確保し、韓国・清国を併合する極東構想を
実現してインドに向うであろうと、ロシアの危険な体質を批判し
たのです。
このように朝河貫一は、米国において日露戦争の世界史的意義
を説き、日本という国家をバックアップするために全力を尽くし
たのです。しかし、朝河の名はなぜか歴史の闇の中に埋没され、
多くの日本人は朝河貫一の名を知らないでいます。私自身も東京
新聞・編集局編集委員の清水美和氏の著書によって、はじめて知
ったのです。 ・・・・・ [日露戦争47]
≪画像および関連情報≫
・清水美和著、『「驕る日本」と闘った男/日本講和条約の舞
台裏と朝河貫一』
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日露戦争勝利で増長する日本を批判、さらには日米衝突と敗
戦を予見し、正史から抹殺された青年学者がいた。日米現地
取材によってその歴史の舞台裏に追る。現代日本のあり方に
一石を投じる一冊。 ――ビーケーワンより
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