2006年01月12日

メディア戦略でロシアに完敗(EJ1751号)

 講和交渉――日本は戦争については、列強が舌を巻くほど相当
上手になったのですが、国際会議とか交渉などの外交面はとにか
く慣れていないというか下手だったのです。
 日清戦争とその講和交渉――これははじめてにもかかわらず、
比較的うまくいったのですが、三国干渉でせっかく獲得した遼東
半島を後から返還させられている。成功とはいえないのです。
 三国干渉といっても中心はロシア、今回はその狡猾なロシアが
相手なのです。ロシアは戦争と講和については何回もやっており
経験豊富です。したがって、日露の講和交渉は、まるで、大学生
と小学生の対決のようなものだったといえます。
 ロシアの全権ウイッテは、まず、メディアを味方につける戦略
をとったのです。ホテルに詰めかけた報道陣はゆうに100人は
超えていたのです。この報道陣に対し、日露の代表団の対応はあ
まりにも対称的だったのです。
 『検証/日露戦争』では、そのときのウイッテの対応について
次のように伝えています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  ウイッテは報道陣の前に積極的に現われ、よくしゃべって愛
 想を振りまいた。情報に飢えた記者たちにとっては、「一種の
 スーパースター」になった。
  ホテルの従業員たちとも気さくに握手し、子供を見れば抱き
 上げる。皇帝が支配する専制国家ロシアの政府高官という印象
 はなかった。――読売新聞取材班編、『検証/日露戦争』より
                      中央公論新社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これに対し、日本の小村全権は寡黙に徹し、報道陣に対し、話
しかけることをしないばかりかニコリともしなかったのです。作
家の吉村昭氏はその著書『ポーツマスの旗』で、日本の外交姿勢
について次のように述べています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  多様な欧米列強の外交政策に対して、日本の外交姿勢はどの
 ようなものであるべきかを小村は常に考えつづけてきた。結論
 は、一つしかなかった。歴史の浅い日本の外交は、誠実さを基
 本方針として貫くことだ、と思っていた。列強の外交関係者か
 らは愚直と蔑笑されても、それを唯一の武器とする以外に対抗
 できる手段はなさそうだった。
      ――吉村昭著、『ポーツマスの旗』より。新潮社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 小村はウイッテとの最初の会談で、交渉にかかわる秘密の厳守
を申し入れているのですが、ロシア側は一応それを了承したもの
の、全般的にはそれを守らなかったのです。
 記者団としては、少しでも情報は欲しいのです。しかし、日本
側は完黙するのに対し、ウイッテはそれを少しずつ漏らすことに
よって、記者たちをロシアの味方につけようとし、それはある程
度成功を収めているのです。
 気さくで愛想がいい――これを米国人は好むのです。そのこと
をよく知っていたウイッテは、ひたすらそれを装い、教会の礼拝
に住民と一緒に参加したり、慈善の会に顔を出すなど、ロシア人
は英米人と同じ欧米人で、日本人とは違うのだということを意識
的に印象づけようとしたのです。
 また、ウイッテはホテルの従業員には連日50ドルのチップを
ばら撒き、記者たちとも積極的に飲食を共にしたというのです。
当時50ドルは大金です。あまりの露骨さに批判する向きもあっ
たものの、講和交渉開始時点で80%は親日といわれた世論の風
向きが少しずつ変ってきたのです。
 その成果が、地元紙『ポーツマス・ヘラルド』には次の記事と
なってあらわれたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  ロシア人が人々との交流を続け、日本人が厳格に仕事にこだ
 わっていれば、日露戦争に関するニューハンプシャーの世論は
 大きく変わるだろう。両国の代表団がホテルに入ってもう30
 時間たつが、日本側が通常の仕事以外のことをしているのを見
 た人はいない。(ホテルには)有名人と知り合いになりたくて
 たまらない。避暑の若い女性たちが大勢いる。ロシアの代表団
 の一行はすでに多くの女性たちと親しくなっている。
       ――読売新聞取材班編、『検証/日露戦争』より
                      中央公論新社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ロシア代表団が、最初から地元メディアを味方につける戦略を
練っていたのは明らかです。彼らはニューヨークに「カイザー1
号」という船できたのですが、そこにはロシアのプレスの他に英
国、フランス、イタリアなどの有名紙の記者を満載してポーツマ
スにやってきたのです。世論工作のためです。
 その工作は成功しているのです。「ニューヨーク・タイムズ」
紙は、ウイッテについて次のように述べています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ウイッテは人気者になっている。ニューヨーク、オイスター・
 ベイ、ニューポート、ボストン、そしてここポーツマスやニュ
 ーキャッスルでも、彼は温かく受け入れられている。ポーツマ
 スでは歓呼で迎えられた。
       ――読売新聞取材班編、『検証/日露戦争』より
                      中央公論新社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 こういうロシアの「顔のある外交」に対して、小村寿太郎を中
心とする日本の全権団は「顔のない外交」に終始したのです。こ
の姿勢は100年が経過した現在でも何も変わっていない日本外
交のスタイルなのです。
 このようにして、米国世論の一部がロシアに少し傾きかけたこ
とは事実です。そして、この世論の変化は仲介役であるルーズベ
ルトに大きな影響を与えたのです。・・・・・ [日露戦争45]


≪画像および関連情報≫
 ・吉村昭著、『ポーツマスの旗』、新潮社の書評
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  本書は小村寿太郎とポーツマス講和会議の様子を描いたもの
  である。日露戦争の終結にあたって、小村寿太郎の国益をか
  けた闘いが始まった。講和会議では、小村とロシア全権ウィ
  ッテとの外交駆け引きが見ものである。随所に駆け引きの妙
  が描かれている。両者の交渉術、米国世論操作などを読みと
  りながら、それぞれの長所、短所を自分なりに検証するのも
  面白く、大変勉強になるところだ。
  以下は ⇒    http://www.bk1.co.jp/product/257161
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1751号.jpg
posted by 平野 浩 at 08:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日露戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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