2009年02月17日

●「ロシアの頭痛の種は黒海軍港問題」(EJ第2512号)

 グルジア紛争のさい、黒海の状況を伝えるメディアが少なく、
遠く離れた日本では、その緊張感がさっぱり伝わってこないので
すが、実はそのとき黒海は大変なことになっていたのです。
 ウクライナはロシアに対してもうひとつ強みを持っているので
す。その強みとはクリミア半島です。クリミア半島はソ連崩壊後
にウクライナ領になっているのですが、その半島にあるセバスト
ポリという軍港は黒海のちょうど中央に位置し、かつてのソ連邦
の黒海艦隊の基地だったのです。
 現在はどうなっているのかというと、現在もロシアの黒海艦隊
はセバストポリ軍港を基地として使用しているのです。ソ連邦解
体後の1997年に、ロシア・ウクライナ間で締結された協定に
よって、2017年まで租借することになっているからです。ウ
クライナが受け取る租借料は年間9800万ドルといわれます。
 ロシア海軍は、次の4つの艦隊から構成されています。
―――――――――――――――――――――――――――――
          1.   北洋艦隊
          2.バルチック艦隊
          3.   黒海艦隊
          4.  太平洋艦隊
―――――――――――――――――――――――――――――
 このうち黒海艦隊は、現在は80艦艇、1万5000名の水夫
を擁しているのですが、セバストポリ軍港はロシアにとって唯一
の不凍港であり、きわめて貴重な軍港なのです。しかし、それは
ウクライナ領であり、2017年にはウクライナに返還しなけれ
ばならないことになっているのです。
 クリミア半島をウクライナに割譲することを決めたのは、エリ
ツィン元大統領です。どうして、ロシアにとってきわめて重要な
クリミア半島をウクライナに割譲したのか、本当の理由はわかっ
ていませんが、おそらくそれまでの歴史的経緯や欧米諸国に傾斜
しようとするウクライナをロシア側に引き留める代償として与え
たものと思われます。
 2005年以降、プーチン政権はウクライナに対して天然ガス
の価格の値上げを要求するようになっていますが、それに対抗し
てウクライナは、ロシアに対してセバストポリ軍港の利用契約の
見直しを要求して牽制するようになっています。それはおそらく
ロシアに対抗する最も強力な対抗手段になっているのです。
 実際に2006年元旦にロシアがガスの元栓を閉じたとき、ウ
クライナのアナトーリー・フルツェンコ国防相は、セバストポリ
軍港の利用料を約5倍の4億ドルに引き上げるとロシア側に通告
しているのです。
 既に述べたように、2009年元旦にもロシアはガスの元栓を
閉じていますが、その都度ウクライナ側は、セバストポリ軍港の
利用のハードルを上げており、最近では2017年までにロシア
側にセバストポリ軍港からの全面撤退を求めているのです。
 しかし、セバストポリ軍港の租借料はウクライナがロシアへ払
うガス料金未納分を考慮して決められており、延長しない場合に
は、利息を含め約8億ドルを支払う必要が生じます。
 ロシア側としては、もしセバストポリ軍港が使えなくなると、
黒海に面したロシア領のノボロシースク港に黒海艦隊を移さざる
を得なくなるのです。しかし、軍港としては、ノボロシースク港
はセバストポリ港に及ぶべくもないのです。それは地図を見ても
明らかにいえることです。
 ロシアとしては、この軍港問題の決着をどのようにつけるつも
りなのでしょうか。2017年といえばそんなに先のことではな
いのです。最近のロシアとウクライナの政治対立から、セバスト
ポリのロシア領土編入を求める運動が同地に住むロシア人住民に
よって起きており、新たな両国の対立の火種となっています。そ
れは2017年に向けて次第に熱気をはらんできているのです。
 さて、グルジア紛争のとき、黒海ではどのような事態が起こっ
ていたのでしょうか。
 グルジア紛争でロシア軍がグルジアの国境を超えて進軍するよ
りも早く、ロシアの黒海艦隊はセバストポリ軍港を出てソチ港に
入っています。ソチは黒海に面したロシアの土地で、グルジアと
アブハジアとの国境に近い都市です。ロシア軍のグルジア侵攻を
海上から援護するための布石です。ちなみにソチは、2014年
の冬季オリンピックの開催都市になっています。
 米海軍は、人道支援物資輸送の名目で、揚陸指揮艦「マウント
・ホイットニー」(1万8400トン)、イージス駆逐艦「マク
フォール」(8000トン)、巡視艦「ダラス」の3隻が、ボス
ポラス海峡を経由して黒海に入っているのです。
 そのほか、ボーランド、スペイン、ドイツのフリゲート艦も黒
海に入っており、さらにイタリア、ギリシャ、ルーマニア、ブル
ガリアがそれに加わったので黒海は軍艦だらけになったのです。
もし、これにトルコが加わるとNATOの黒海艦隊はすべて揃っ
たことになるのです。まさに一触即発、大戦争に発展しても不思
議ではない状態だったのです。
 これだけNATO黒海艦隊が揃うと、ロシアは思うように戦争
を展開できないのです。なぜなら、ロシアの黒海艦隊はNATO
艦隊と比べると、その能力の面において著しく劣るからです。
 たとえば、米イージス艦「マクフォール」に対しては、ロシア
黒海艦隊の指揮艦「モスクワ」が辛うじて対抗できるできる程度
であり、6隻保有するミサイル駆逐艦は艦齢も古く、イージス・
システムにはとても対抗できないのです。
 しかも、ウクライナは、セバストポリ軍港に停泊中のロシアか
艦船の出航に制限をかけているので、ロシア黒海艦隊の動きはさ
らに封じられてしまうことになります。
 このように考えると、ウクライナはロシアにとって、単にパイ
プラインの通過大国としてだけではなく、軍事的にもきわめて要
衝の地であるといえます。したがって、戦争の火種はここにくす
ぶっているのです。     ―――[大恐慌後の世界/30]


≪画像および関連情報≫
 ●ロシア黒海艦隊の歴史
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  ロシア人が初めて7隻の小型艦をアゾフ海に浮かべたのは、
  第1次露土戦争中の1771年である。この戦争でロシアは
  黒海北岸を獲得している。黒海におけるロシア海軍の行動は
  アゾフ海の艦艇がアフティアル村(1784年にセヴァスト
  ポリに改名)に寄航した1783年に遡ることができる。そ
  の後のこの地域に対するロシアの関心は18世紀末から19
  世紀の間繰り返されたトルコとの戦いで高まっていった。ま
  た、この時代黒海沿岸、特に海に近いユジニィブグ川の河口
  にあるニコライエフでは、造船産業が盛んになった。20世
  紀初頭黒海艦隊の多くの水兵は、バルチック艦隊の水兵と同
  じく、革命熱に沸いていた。結局は失敗に終わった1905
  年の反乱において、戦艦ポチョムキンの艦内で、有名な水兵
  の反乱が起こった。
  http://www.eurus.dti.ne.jp/~freedom3/bla-fleet-killu-axx.htm
  ―――――――――――――――――――――――――――

黒海周辺の地図.jpg
黒海周辺の地図
posted by 平野 浩 at 04:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 大恐慌後の世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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