2009年02月06日

●「ロシアが嫌うNATOの東方拡大」(EJ第2506号)

 昨日述べたように、ロシアはMD網の欧州配備計画に反対して
いますが、本当のところロシアはそれに対してそんなに深刻には
考えていないと思います。ロシアの軍事能力から見てMDはそれ
ほど脅威ではないと思えるからです。
 それよりもロシアが気にしているのは、NATO――北太平洋
条約機構の拡大の方なのです。もともとNATOは、旧ソ連を盟
主とする東側陣営に対する西側陣営の集団防衛組織です。結成さ
れたのは1949年であり、次の西欧12ヶ国を原加盟国として
発足したのです。
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    1.アメリカ合衆国    7.ルクセンブルグ
    2.カナダ        8.アイスランド
    3.イギリス       9.ノルウェー
    4.フランス      10.デンマーク
    5.オランダ      11.イタリア
    6.ベルギー      12.ポルトガル
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 1949年といえば、いわゆる米ソ冷戦が激化していたときで
す。前年にはソ連が西ベルリン(米国・英国・フランスの管理地
区)を封鎖し、西ベルリンを獲得しようとして米国とソ連が一触
即発の事態に陥る「ベルリン封鎖」が起こっています。
 このNATOに対抗してソ連も、1955年にワルシャワ条約
機構を作り、ヨーロッパで2つの防衛機構が対峙することになっ
たのです。
 冷戦が終了してワルシャワ条約機構は消滅したのです。という
より、消滅せざるを得なくなったのです。これに対してNATO
の方は、今日に至るまで存続しています。それどころかNATO
は加盟国を増やし、全ヨーロッパ的な集団防衛機構として発展し
てきています。
 ロシアが強く反発しているのは、NATOの拡大、とくに東方
への拡大なのです。これについて、北大名誉教授の木村汎氏は近
著で、次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ソ連邦の事実上の後継国であるロシア連邦は、このようなNA
 TOの拡大、とりわけ東方への拡張傾向にたいして強く反発し
 ている。まず、ワルシャワ条約機構が解散したにもかかわらず
 NATOが解体しないのはフェアではない。また、NATOの
 ような軍事・安保組織が存在しつづけるのは、仮想敵の存在を
 前提しているにちがいない。そのような仮想または潜在的な敵
 の有力候補は、おそらくロシアだろう。さらに、NATOがか
 つてソ連の同盟国であった中・東欧、バルト3国、独立国家共
 同体(CIS)諸国に参加を「呼びかけ」、彼らを取り込もう
 としているのは、ソ連/現ロシアとこれらの諸国との歴史的な
 結びつきをないがしろにする挑戦行為にほかならない。
            ――木村汎・名越健郎・布施裕之共著
 『「新冷戦」の序曲か――メドベージェフ・プーチン双頭政権
                の軍事戦略』より/北星堂刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 確かに冷戦終結以降かつての旧ソ連の勢力圏の国々がなだれを
打って、NATOに加盟しているのです。1999年の第1次拡
大から2008年の第3次拡大までにNATOに加盟した国を上
げると次のようになります。
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   第1次東方拡大/1999年
    ・ポーランド、ハンガリー、チェコ
   第2次東方拡大/2004年
    ・スロバキア、ブルガリア、ルーマニア、スロベニア
   ・エストニア、ラトビア、リトアニア
   第3次東方拡大/2008年
    ・クロアチア、アルバニア
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 さらに、ウクライナとグルジアもNATOに加盟を求めていま
すが、2008年4月の初めに開催されたブカレストでの首脳会
議では、加盟決定問題を先送りしています。
 グルジアについては、ロシアが軍事侵攻し、ロシアと国境を接
する南オセチアとアブハジアについては、親ロロシア独立に動く
ものと思われますが、ウクライナはどうなるのでしょうか。
 言語で分けると、ウクライナは西部にウクライナ語住民、東部
にロシア語住民が多く住んでいるいわば二重国家なのです。20
04年にそのウクライナ語住民が米国の支援を受けて行った「民
主化運動」によって、反ロシア的なユーシェンコ政権ができたの
です。この民主化運動のことを「オレンジ革命」というのです。
 なぜ、オレンジなのかというと、これには少しいきさつがある
のです。実は選挙結果は2回にわたって、ヤヌコヴィッチ氏が勝
利したのですが、後で不正が行われたことが判明したのです。
 そこで、ユーシェンコ陣営は大規模なデモを行い、やり直し選
挙となったのです。このやり直し選挙において、ユーシェンコ陣
営のシンボルがオレンジのリボンだったのです。そして、世界各
国からの1万2千人の選挙監視員の下で行われた第3回目の出直
し選挙で、ユーシェンコ氏が勝利を収めたのです。
 このオレンジ革命のちょうど一年前の2003年にグルジアで
は「バラ革命」が起こっているのです。やはり、選挙結果に不正
があるとして、当時のシュワルナゼ政権に対して野党が抗議行動
を起こしたのです。そして、11月22日、この日、正統ではな
いとみなされていた新議会が開会されたのですが、サーカシビリ
氏率いる野党支持者は手にバラを持って議会ビルを占拠し、シェ
ワルナゼ政権を倒して、サーカシビリ氏が大統領になるのです。
この経緯からこの事件は「バラ革命」と呼ばれるようになるので
すが、次の年にウクライナで「オレンジ革命」が起こって、ユー
シェンコ政権が誕生したのです。――[大恐慌後の世界/24]


≪画像および関連情報≫
 ●「色の革命」とは何か
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  色の革命では、腐敗が蔓延し、あるいは独裁的である政権に
  立ち向かったさい、または民主主義や民族自決を求めたさい
  に、そのほとんどで非暴力的活動が行われ、これらの動きに
  おいてはその象徴として色や花が当てはめられた。色の革命
  では、非暴力抵抗を実行するという点において非政府組織や
  とくに学生運動が重要な役割を果たしたことが特筆される。
  これらの動きとして挙げられるのは、ユーゴスラヴィア、と
  くに2000年のセルビアにおけるブルドーザー革命や、2
  003年グルジアのバラ革命、2004年ウクライナのオレ
  ンジ、そして暴力が多く用いられたが、2005年キルギス
  のチューリップ革命がある。いずれも問題とされていた選挙
  の結果を受けて大群衆が街頭で抗議行動を実施し、反体制派
  から独裁者とされていたそれぞれの国の指導者の辞任や打倒
  につながった。           ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

ビクトル・ユーシェンコ大統領.jpg
ビクトル・ユーシェンコ大統領

posted by 平野 浩 at 04:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 大恐慌後の世界 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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