2008年12月31日

●「間違ったデフレ政策による円安バブル」(EJ第2482号)

 今日は2008年の大晦日です。今まで大晦日までEJを書い
たことはありません。しかし、今年はやります。これで、EJの
お休みは土日祝日のほか正月の3日間のみとなります。新聞には
休刊日がありますが、EJには休みはないのです。
 今から考えると、間違いのすべては、2002年の秋からはじ
まっているのです。2002年の秋とは何でしょうか。繰り返し
になりますが、2002年9月から小泉政権で竹中平蔵氏が経済
財政政策担当に任命されていることです。日本はこのときから、
日本らしさというものが失われていくことになります。
 その当時日本経済はデフレの状態にあったのです。竹中経財相
はデフレ脱却のために日銀の協力を強く求めます。そして竹中経
財相を擁する小泉政権は「デフレ脱却」を目指して強引な円安誘
導政策を実施したのです。それは、日本のためではなく、米国の
要望に沿ったとしか思えないのです。そして、この政策が円安バ
ブルを生み出したのです。2002年の秋に当時の小泉首相と竹
中経財相は次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 首相の小泉純一郎は2002年10月18日、臨時国会の所信
 表明演説で『デフレ克服に向け、政府・日本銀行は一体となっ
 て総合的に取り組みます』と述べた。その少し前の同年10月
 11日、経済財政諮問会議では金融・経済財政担当相をつとめ
 る竹中平蔵がこう話している。『デフレ克服に向け、政府・日
 銀は一体となって、強力かつ総合的な取り組みを実施しなけれ
 ばならない』。
  ――榊原英資著、『強い円は日本の国益』/東洋経済新報社
―――――――――――――――――――――――――――――
 2002年10月というと、マクロ面ではありますが、日本経
済は景気回復の局面に入っていたのです。その証拠に2003年
の実質GDP成長率は1.4 %、2004年には2.7 %にまで
達しているのです。
 そういう戦後最長の景気が続く中で、日銀は政府の圧力に負け
て2006年までゼロ金利を続けたのですが、これは今考えると
信じ難いことであるといえます。
 榊原氏によると、この時点でのデフレは、必ずしも需要が過少
だったために起こったものではなく、供給側の要望によって起こ
されたものであり、過剰な対策は不要だというのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 いいデフレ、悪いデフレという言い方は必ずしも適切ではない
 かもしれませんが、この時期のデフレはどちらかというといい
 デフレで、「デフレ脱却」「デフレ脱却」と騒ぐようなもので
 はなかったのです。ただ、このデフレに対するネガティブな認
 識は、小泉・竹中だけではなくかなり多くのエコノミストやジ
 ャーナリスト達に共通していました。(中略)しかし、21世
 紀初頭に起こったデフレは明らかに今までとは異なったもので
 した。このデフレはいわば構造的デフレとも言うべきもので、
 中国、インドあるいはベトナム等が世界経済に統合されること
 によって生産プロセスが変わり、ハイテク製品等の価格が下落
 することによって起こつたものです。
  ――榊原英資著、『強い円は日本の国益』/東洋経済新報社
―――――――――――――――――――――――――――――
 それなら、なぜ物価は下落したのでしょうか。
 価格が下がったのは、榊原氏の指摘の通り、インドあるいはベ
トナムなどが世界経済に統合されることによって国内市場におい
て、ハイテク製品――とくにテレビや携帯電話などの価格が大幅
に下がり、これが物価下落に拍車をかけたのです。
 それからもうひとつ、この年末にきて大きな社会問題になって
いる雇用構造の変化が原因で、平均賃金が物価拡大にもかかわら
ず下落を続けたのです。雇用構造の変化とは、いうまでもないこ
とながら正規雇用の減少と非正規雇用の拡大のことです。景気拡
大でも賃金が下落したので、企業のコスト増による物価上昇圧力
がかからなかったのです。
 よく誤解されることですが、「デフレ=不況」という認識を持
つ人がいます。三菱UFJ証券・チーフエコノミストである水野
和夫氏は、「デフレ=不況」の考え方は誤りであり、デフレは好
不況に関係がないといっています。そして、榊原氏のいう「構造
デフレ」について、次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、デフレと好不況は直接関係ない。市場統合によって生
 ずるデフレは『構造』であり、好不況はあくまで4年ごとに繰
 り返す『循環』である。デフレから脱却すれば景気が持続的に
 回復するとか、景気を回復させれば、デフレから脱却できると
 いった考え方は、構造と循環を混同した議論である。
  ――榊原英資著、『強い円は日本の国益』/東洋経済新報社
―――――――――――――――――――――――――――――
 長過ぎたゼロ金利の維持が日本からの資本の流出を加速し、円
キャリートレードを生み、さらにそれに平行して数次にわたる巨
額の円高介入をやった結果、円安バブルをつくり出したのです。
 その円安バブルが今回のサブプライム問題に端を発する未曽有
の金融危機によってはじけて円高になったのです。しかし、これ
は円高というよりも、本来あるべき円の価値に戻ったというべき
です。したがって、この円高はこのまま進行すると、70円台に
なる可能性もあるといわれます。円高は日本にとって悪いことで
はありませんが、輸出立国を目指してきた日本にとっては痛手で
す。これからどうするべきでしょうか。
 円高・内需拡大策をテーマとして、40回にわたって書いてき
ました。しかし、テーマが大きいので、まだすべてを書き切れて
おりません。そこで、ここまでを前編とし、新年より後編(テー
マは変わりますが)を書いていきたいと思います。ここまでのご
愛読を感謝します。読者の皆様、良いお年をお迎えください。新
年は5日からはじめます。 ―――[円高・内需拡大策/40]


≪画像および関連情報≫
 ●構造デフレの世紀/榊原英資
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  日本は「失われた10年」と言われる難しい時期を経験して
  きた。少なくとも、結果的には財政・金融政策を全開にし、
  財政赤字はG7諸国で最も高いレベルまで累増し、金利はゼ
  ロにまで引き下げられた。しかし、相も変わらず議論はさら
  なる財政赤字の拡大、金融の追加的量的緩和をめぐって戦わ
  されるだけで、この10余年の経験、状況の変化を勘案した
  ものになっているとはとても思えないのである。「失われた
  10年」の最大の失敗はデフレが構造的であり、政策によっ
  て逆転できないという冷厳な現実を認識できなかったところ
  にあるのではないだろうか。
       http://www.utobrain.co.jp/review/2003/081801/
  ―――――――――――――――――――――――――――

榊原氏と水野氏.jpg

posted by 平野 浩 at 04:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 円高・内需拡大策 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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