2005年12月20日

ポーランド兵士戦線離脱作戦(EJ1741号)

 明石がシリアスクに会って、2人のロシアへの諜報戦争が開始
された頃のこと、明石は東京の参謀本部次長、長岡外史に対して
ポーランドからひとつの小包を送っています。
 小包を解くと、中から銅板が出てきたのです。銅板には一人の
将校が石碑の前で泣き崩れる図が彫ってあったのです。送ってき
たものはそれだけであり、手紙一本入っていなかったのです。
 しかし、これを見て、長岡外史はすぐピンときたのです。当時
ポーランドはロシアに併合されており、ポーランドの将校がロシ
ア当局に身内を殺されて嘆いている構図だと判断したのです。日
本もぼんやりしているとこんな目に遭いますよという明石の訴え
である――長岡は受け取ったのです。
 もし、日本がロシアに敗れると、一体どうなるでしょうか。こ
れについて『坂の上の雲』には次のように書いてあります。
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  朝鮮半島は、ロシアの領土になるだろう。日本は属邦になる
 ことは間違いない。ロシア帝国はその威容を示すためにヘルシ
 ンキでやったと同様、壮大な総督官邸を東京に建てるだろう。
 さらに太平洋に港をもちたかったというながい願望をはたすた
 めに横須賀港と佐世保港に一大軍港を建設するにちがいない。
  憲法は停止し、国会議事堂を高等警察の本部にするに相違な
 く、さらに幕末以来、ロシアがほしかった対馬を日本海の玄関
 のまもりにすべく大要塞を築き、島内に政治犯の監獄をつくる
 であろう。銃殺刑の執行所をもうけるであろう。
  いまひとつ、東京には壮麗な建物ができるにちがいない。ロ
 シア帝国はその国教であるギリシャ正教をその軍隊同様、専制
 の重要な道具にしており、げんにヘルシンキの中央広場にこの
 異教の大殿堂がつくられているように、日比谷公園に東洋一の
 壮麗な伽藍をつくるであろう。
        ――司馬遼太郎著、『坂の上の雲』第6巻より
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 明石がカストレンとシリアスクにストックホルムの隠れ家で会
ったとき、シリアスクはある具体的な提案をしているのです。
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 満州ではロシア兵に混ざってポーランド人が徴兵されて戦場に
 送り出されている。しかし、ロシアのためには血を流したくな
 いと考えているポーランド人は多い。そこで、このポーランド
 人の兵隊を戦線から離脱させる工作をしようではないか。
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 確かにポーランドでは、大量の徴兵が行われており、それもロ
シアに楯突く屈強な若者や医者、科学者などを重点的に狙って徴
兵していたのです。シリアスクはこのことを新聞の報道で知った
のです。
 シリアスクは、ポーランド国民民主党党首であるロマン・ドム
スキーに手紙を書き、ロシアを揺さぶる陰謀に加担しないかと説
得したのです。ドムスキーからはすぐに「賛成」の返信が届いた
のです。ちょうどそのようなときに、シリアスクは明石と会うこ
とになったのです。
 ロシア兵に加わっているポーランド兵を戦線から離脱させる計
画について明石は日本の参謀本部から了解を取りつけ、この計画
は明石の指示により、ドムスキーが東京で準備をすることになっ
たのです。日本側の担当者は、明石の上司である参謀本部主任部
長、福島安正だったのです。
 ドムスキーは、数万部の反戦ビラを印刷して、ポーランドから
徴兵される兵士にひそかに持たせ、戦場で配らせる案を福島に説
明し、その文案を示したのです。
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 ロシア皇帝はロツ、ジラルドフ、ドムブロワなどでポーランド
 労働者を惨殺した。その皇帝のために諸君は戦うのか。日本は
 強い。その背後には、英国、米国がついている。ロシアは負け
 る。日本軍を見たら投降せよ。日本軍は諸君の名誉を重んじて
 身柄を取り扱うだろう。その約束は日本政府との間ですでにで
 きている。――水木楊著、『動乱はわが掌中にあり/情報将校
           明石元二郎の日露戦争』より。新潮社刊
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 ポーランド兵士の戦線離脱作戦は、実は鴨緑江の渡河作戦で見
事に花開いたのです。明石のところに届いた暗号報告によると、
前線で降伏を勧告する大量のビラが撒かれ、ポーランド兵士が動
揺し、ロシア人上官の命に従わず、大量脱落したと報じていたの
です。さらに、ポーランド国内でも、ロシアからのさらなる徴兵
要求に対して抗議デモが発生し、流血騒ぎが起こっているという
のです。ドムスキーの作戦は成功したのです。
 しかし、ロシアもさるものです。ドムスキーの作成したビラを
発見し、ポーランド兵士を分散させたり、後方に回したりしたの
で、さらなる効果は期待できなくなったからです。
 明石は、このほかにシベリア鉄道破壊作戦にも挑んだのですが
こちらは警戒が厳重であり、ほとんど戦果らしい戦果は挙げるこ
とができなかったのです。
 明石は少し焦っていたのです。日本軍は鴨緑江渡河作戦は成功
したものの、5月になって日本軍のミスで多くの軍艦を沈めるな
どの作戦の不手際が露呈してきたからです。
 巡洋艦・吉野は戦艦・春日と衝突して沈没し、戦艦・初瀬が水
雷に触れて轟沈するなど、貴重な船を沈めたのです。国際市場は
正直なもので、ロンドンの金融市場では日本の公債の価格が下落
をはじめたのです。このままでは戦費の調達が苦しくなる。何と
かしなければと、明石はストックホルムで焦っていたのです。
 もっと大きな工作をする必要がある――そのためには、レーニ
ンを動かす必要がある。しかし、外交官の役職が邪魔になる。明
石は自分をもっと自由に動けるようにして欲しいと参謀本部に要
求したのです。参謀本部はそれに応えて、「欧州移動武官」のよ
うな役職を与えたのです。     ・・・・ [日露戦争35]


≪画像および関連情報≫
 ・明石元二郎とシリアスク
  シリアスクの写真は入手が非常に困難。次の本に掲載されて
  いたものを発見。
  デー・ペー・パブロフ+エス・アー・ペトロフ著、左近毅訳
  『ロシア側史料で明るみに出た諜報戦の内幕/日露戦争の秘
  密』、成分社刊

1741号.jpg
posted by 平野 浩 at 08:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日露戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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