ホルムのホテル・リード・ベリイの前に平服の明石元二郎はたた
ずんでいたのです。雪が激しく降っており、濃い霧も発生してい
て見通しがきかなかったのです。
午前11時30分頃、一台の馬車が霧をかいくぐって明石に近
づいてきたのです。ドアがわずかに開いています。馬車が止まる
と、素早く明石は馬車に乗り込んだのです。馬車はすぐに走り出
し、霧の中に消えていったのです。
馬車の中で明石は、乗っていたある人物と固く握手をしたので
す。その人物はフィンランド人革命家のコンニ・シリアクスだっ
たのです。フィンランドは当時ロシアの支配下にあり、シリアク
スは、フィンランド独立を目標に過激な地下活動を展開し、ロシ
アの秘密警察に追われていたのです。
明石はその日、フィンランド憲法党の党首、カストレンに会う
ことができたのです。そこは事務所のような部屋だったのですが
何よりも明石を驚かせたのは、壁に明治天皇の肖像が飾ってあっ
たことです。
壁にはもうひとつ、ロシア皇帝ニコライ二世の署名入りのカス
トレンの追放状が貼ってあったのです。おそらく、カストレンは
毎日それを見て、ニコライ皇帝への憎悪を再生産していたものと
思われます。
カストレンは、明治天皇の肖像を見つめる明石に対して次のよ
うにいったのです。
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この日本の皇帝がわれわれを救ってくれることを信じている
――カストレン
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明石はこの席でカストレンとシリアスクに対して次の2つのこ
とを頼んだのです。
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お願いが二つあります。第一はフィンランド、ポーランド、
コーカサス、ウクライナなど、ロシアの支配下に置かれた国々
にはどのような革命グループがあり、実際にどれくらいの力を
有し、どのような活動をしようとしているかが知りたい。第二
は、ロシア政府はどのような軍事行動を起こそうとしているか
把握したい。この二点について情報をいただけないかというこ
とです。 ――水木楊著、『動乱はわが掌中にあり/情報将校
明石元二郎の日露戦争』
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明石のこの第一の要望についてシリアスクは承諾したのですが
第二の要望については拒否しています。しかし、カストレンは、
その場で電話を取り上げ、スウェーデンの陸軍に電話をかけたの
です。そして、イヴァン・アミノフというスウェーデン参謀大尉
と電話で協議をはじめたのです。その結果、ベルゲンという名の
参謀少尉をペテルブルグに派遣することになったのです。
カストレンのいうのは、もし、自分たちがロシアのスパイをや
ると、フィンランドはロシアに併合されているので、形式的には
反逆ということになり、ロシア秘密警察の取締りが一層強くなる
――だから、この役割はスウェーデン人にやらせた方がよいとい
うものだったのです。
このように、フィンランドの革命分子とスウェーデン陸軍とは
つながっていたのです。それはスウェーデンがロシアに対してい
かに強い恐れと反感を持っていたかを十分に物語るものです。実
際にベルゲン少尉はロシア国内にスパイ網を拡大し、それが日本
に貴重な情報をもたらすことになるのです。
このコンニ・シリアクスと同世代のフィンランドの有名な作曲
家に、ヤン・シベリウスがいます。そのシベリウスの作品に交響
詩『フィンランディア』
ィンランドの政情と深い関係があるのです。
ロシア皇帝ニコライ2世によりフィンランドは自治権を取り上
げられ、民衆はロシア軍の傍若無人な圧力に日々苦しんでいたの
です。そんな中で祖国を愛する人々の間から、フィンランドの歴
史を描いた演劇『いにしえからの歩み』の上演の話が持ち上がっ
たのです。この演劇のための付帯音楽として書かれたのが、交響
詩『フィンランディア』
1899年11月に、この劇と共に全6曲の付随音楽がヘルシ
ンキで初演され、感動を呼ぶ終曲が特に大好評でした。そして観
る側も演る側も、皆祖国への熱き想いを新たにしたのです。この
終曲は「スオミ」――これはフィン語で「フィンランド」を意味
する――と名付けられたのです。そして、1900年のパリの万
国博覧会で独立したひとつの曲――交響詩『フィンランディア』
として初演されています。これは大成功だったのです。
ニコライ二世は直ちに弾圧を加えて演劇は中止に追い込まれま
す。しかし、フィンランド国民はひるまず、タイトルを変更して
同じ曲を演奏し、また弾圧。さらに名を変えて上演。そのたびに
フィンランドの独立運動は一層盛り上がっていったのです。
そしてこの曲の中間部にある美しい旋律にはいつの間にか歌詞
が付き、「フィンランディア(フィンランド賛歌)」として合い
言葉のように歌われるまでになったのです。そして、1917年
フィンランドは独立を勝ち取ったのです。
このことを知って交響詩『フィンランディア』
気が付くことがあります。曲は低音楽器によるうめくような和音
で始まりますが、これはロシアの圧制をあらわしています。そし
て、ロシア軍の銃撃や爆撃を思わせる金管楽器のリズムや低弦の
うねりが示されます。しかし、軽快な主部に入り、中間部は木管
と弦のコラール。ここが歌詞のついた部分です。主部が再現した
のち、全員で先ほどのコラールを高らかに奏して力強く終結する
――この曲は当時のフィンランドのことを描いた作品なのです。
そのフィンランドのカストレンとシリアスクと明石――ロシアは
大変な強敵を誕生させてしまったのです。・・ [日露戦争34]
≪画像および関連情報≫
・ヤン・シベリウス/交響詩『フィンランディア』
この曲を改めて聴くときは、カラヤン/ベルリン・フィルの
演奏をお勧めしたい。実にわかりやすく素晴らしい演奏だか
らである。これを含めて、この曲のCDは次のアドレスをク
リックすると参考になる。
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http://www.kapelle.jp/classic/sibelius.html
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