2005年12月16日

明石大佐の能力を買った男(EJ1739号)

 明石元二郎を見出したのは、児玉源太郎なのです。児玉源太郎
は、実は士官学校を出ていないのです。戊辰戦争に藩の献功隊士
として参加します。のちに陸軍に入り、佐賀の乱、神風連の乱、
西南戦争に従軍、戦争によって武勲を立て、大本営参謀本部第一
局長、陸軍大将にまで昇りつめた人です。
 児玉は陸軍大学校の校長をしていた時期がありますが、そのと
き教官としてきていたメッケルの講義を聴講し、意見を交わした
ことがあるのです。のちにメッケルは「あなたが日本で教えた者
たちの中で、これはと思った者がおりますか」と聞かれたとき、
即座に「コダマ」と答えているのです。
 その児玉は一風変わっていた明石元二郎の才能を早くから見抜
いており、使える男であると考えていたのです。しかし、周りは
そうではなかったようです。
 明石の上司に当るペテルブルグ時代の駐露公使の栗野慎一郎で
さえ、彼の能力を見抜けず、開戦の直前に外務省に「優秀な間諜
が欲しい」と要請したほどだったのです。いつも一緒にいる明石
の能力に気づいていなかったわけです。
 しかし、児玉は、明石がつねづねロシアという国を次のように
とらえていることを知っていたのです。明石は外国に赴任すると
語学と同時にその国の歴史を冷静に把握することを怠らず、その
国の現状を誰よりも正確に把握していたのです。
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 ロシアの国土を掠奪し、ロシア国民を虐げているのは、ロシア
 皇帝とその宮廷である。ロシアにおけるすべての政治悪はここ
 に根源している。             ――明石元二郎
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 児玉は、戦場が満州である以上、清国を味方につけ、ロシアの
革命煽動が必要であると考えていたのです。そして、清国工作は
青木宣純、ロシア工作は明石元二郎が適任と考えて、素早く手を
打ったのです。
 当時清国では、袁世凱が清朝において有力な勢力を形成してい
たので、袁世凱を味方に引き入れる必要があったのですが、その
袁世凱に信用されていたのが青木宣純という宮崎県出身の砲兵大
佐だったのです。青木は北京の公使館付武官をしていたことがあ
り、そのとき袁世凱と親交が生まれたのです。
 話を明石に戻します。児玉は決断すると、参謀本部の留守役を
担当していた長岡外史少将に工作資金として明石に100万円を
送らせたのです。当時の100万円について、明石工作の詳細に
ついて書かれている水木楊氏の著作に、次のように記述されてい
ます。大変面白い本です。
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 陸軍が明石一人に自由に任せた資金は当時の資金で百万円。そ
 のときの米の値段と現在のそれとを比較すると、およそ七千二
 百倍。単純にいっても、百万円は七十二億円の米を買う購買力
 を持っていた。一九○五年の国家予算が現在の十二万分の一だ
 から、予算金額上の百万円は千二百億円という莫大な金額にな
 る。明治政府がいかに明石工作に力を入れたか分かろうという
 ものだ。 ――水木楊著、『動乱はわが掌中にあり/情報将校
           明石元二郎の日露戦争』より。新潮社刊
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 水木氏の本には明石のお金の扱い方について面白いことが書い
てあります。明石の家は貧乏でお金に困っていたそうです。小学
校時代は教科書も他人のものを借りて写して使わなければならな
いほど困っていたそうです。
 それだけに母親の躾けは厳しく、お金のために性根を曲げない
よう育てられたのです。そのためか、明石は終生お金には恬淡と
しており、俸給は副官が明石ではなく夫人に渡すことにしていた
といわれます。本人に渡すと、それを無造作にポケットにねじ込
み、なくしてしまうことが多かったからです。
 しかし、明石は公金にはそれほどまでしなくてもというほど、
几帳面に扱ったのです。例の工作資金の百万円は、帰国後、上司
が舌を巻くほど細かな使途報告書を提出し、残金27万円を返却
したのです。仕事の性格から使途明細も返却もいらないお金だっ
たのですが、彼はきちんと返却したのです。
 英国のノンフィクション・ライターのリチャード・ディーコン
は、その著作『日本の情報機関』において、次のように書いて明
石を賞賛しています。
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 工作資金を残し、しかも明細を付けて返した、珍しいスパイ・
 マスター           ――リチャード・ディーコン
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 明治37(1904)年2月8日、ペテルブルグの日本公使館
が日露開戦によって公使以下引き上げることになり、一行は一路
ストックホルムを目指したのです。交戦中はストックホルムに公
使館を移すというのが栗野の考え方だったのです。ストックホル
ムなら、ロシアの情報は入ると考えたのですが、市内にはロシア
の官憲がストックホルムの政府機関に目を光らせており、まして
日本人の諜報行為など許さないという状況だったのです。
 一行を乗せた列車がストックホルム駅についたとき、ホームに
は多数の紳士や軍人が集まっていたのです。これは、ロシアを引
き上げてきた日本の公使館一行を歓迎するスウェーデンの人たち
だったのです。
 スウェーデンにとってロシアは歴史的に絶えざる恐怖そのもの
だったのです。いつ北境から攻め込んでくるかわからない――こ
のことが悩みの種だったのです。その強敵ロシアに極東の日本と
いう小国が果敢にも立ち向かう――その日本の勇気に感動して、
密かに支持しようとして、公使館一行を駅頭に出迎えたというわ
けです。スウェーデンは、ロシアの恐ろしさを知り尽くしている
国であるだけに日本の行くすえを他人事とは思えない――何とか
がんばって欲しいと激励に来たのです。 ・・ [日露戦争33]


≪画像および関連情報≫
 ・ビタリー・グザーノフ氏/ロシアの歴史作家
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  満州の前線における諜報戦が戦術的とすれば、欧州を舞台に
  した明石工作は戦略的・政治的謀略活動だった。ロシア国内
  でインテリゲンツィア(知識層)を中心に国民の間に革命気
  運が高まっていた状況で、日本との戦争に反対の声を上げさ
  せ、加えて、革命諸政党をロシアの敗北に向け活動するよう
  に仕向けた明石元二郎の役割は非常に重要だ。
       ――読売新聞取材班著、『検証/日露戦争』より
                      中央公論新社刊
  ―――――――――――――――――――――――――――

1739号.jpg
『動乱はわが掌中にあり/
 情報将校明石元二郎の日露戦争』
posted by 平野 浩 at 08:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日露戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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