した人をここまで追ってきました。戦時におけるメディア工作の
ため米国に行った金子堅太郎、同じ目的でヨーロッパに派遣され
た末松謙澄、それに戦費の調達の重要任務を担って英国と米国で
活躍したた高橋是清――こうした人たちの縁の下の活躍がなけれ
ば、とても日露戦争は勝てなかったはずです。
また、そういう人物の才能を見込んでを選抜し、それぞれ任務
を与えて必要にして適切な手を打った元老の山縣有朋と伊藤博文
は、やはり優れた政治家といえると思います。
実はこれら3人のほかに軍人でありながら戦場に赴かず、日露
戦争の日本勝利に多大なる貢献をした人物がもうひとりいるので
す。それは、明石元二郎という人物です。
宰相ビスマルクを退けて自ら権力をふるって拡張政策を進めた
ドイツ皇帝ウィルヘルム二世は、明石元二郎のことを次のように
いって称えたといいます。
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明石元二郎一人で、満州の日本軍20万人に匹敵する戦果を上
げている。 ――ウィルヘルム二世
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明石元二郎とはいかなる人物なのでしょうか。しばらく明石に
ついて書くことにします。
1902年――日露開戦より1年半くらい前の夏のことですが
陸軍大佐・明石元二郎は、帝政ロシアの首都サンクトペテルブル
グの駐公使館付武官に任命されているのです。彼には次の3つの
指令が出ていたのです。
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1.ロシアの兵力はどのぐらいの規模か
2.シベリア鉄道の輸送能力のチェック
3.開戦になったときの鉄道の破壊工作
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そうです。明石の仕事とは「軍事情報の収集」、すなわち諜報
活動だったのです。当時ロシアは世界無敵の陸軍国です。その陸
軍の主力は、首都サンクトペテルブルグに結集しています。この
兵力が大挙して満州に進出してくると、日本はひとたまりもなく
蹴散らされてしまうでしょう。
したがって、ロシア陸軍の主力を満州まで出てこれないように
すればよいのです。そのためには、ロシア内部や周辺にくすぶっ
ている反ロシア勢力(革命勢力)と連携してテロや騒動を起こさ
せる――そうすれば軍隊が対応せざるを得ないから、とても満州
などに兵を派遣できなくなるはずです。
それでも少しは兵を満州に送ってくることは考えられる――そ
の輸送手段であるシベリア鉄道の能力はどのレベルのものかを調
査し、可能であれば破壊工作をせよ。これが明石に課せられた仕
事なのです。実に重大な任務です。
結果として明石はこの大仕事をやり遂げているのです。実際に
明石のやった工作が契機になってロシア革命が起こり、ロシア帝
国は崩壊しているのです。後のソ連邦の創始者であるレーニンは
次のようにいっているほどです。
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日本の明石大佐には本当に感謝している。感謝状を出したい
ほどである。 ――レーニン
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ところで、この大仕事をやり遂げた明石について、司馬遼太郎
は、例によって毒舌を浴びせています。彼は明石を「一種異様な
人物」とまえおきして、次のように表現しています。
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軍人のくせに運動神経に欠けていて、走らせてもびりっこだ
ったし、器械体操はまるでできなかったし、その上、服装とい
う感覚においてはまるで鈍感で、自分の姿(なり)というもの
を自分で統御するあたまがまるでなかった。(中略)
ポケットの底はみなやぶれていたし、ときどきボタンがちぎ
れており、軍服のところどころがやぶれていて、サーベルの鞘
などはたいていさびていた。
――司馬遼太郎著、『坂の上の雲』第6巻より。文春文庫刊
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実際の明石大佐に会っていないので、この表現が正しいかどう
かはわかりませんが、少なくとも外交官向きの人ではなかったよ
うに思います。
しかし、その司馬遼太郎でも褒めていたのは、彼の語学力なの
です。明石の士官学校の成績を見ると、フランス語の成績が27
人中のトップであり、語学の修得にかけては大変な努力家であっ
たということです。彼は、赴任した国の言葉を一心不乱に、寝食
を忘れて没頭し、マスターしてしまう――そのさまはまさに「異
様」であり、司馬遼太郎は「語学狂」と命名しています。
そんなわけで、フランス語、ドイツ語、ロシア語・・・何でも
マスターしてしまったのです。あるパーティの席でこんなことが
あったそうです。その席にはドイツとロシアの士官がいたのです
が、ドイツの士官が明石にフランス語で「貴官はドイツ語ができ
ますか」と聞いてきたのです。
明石は「フランス語がやっとです」とわざと下手なフランス語
で答えたのです。そうすると、たちまちそのドイツの士官は明石
を無視して、ドイツ語でロシアの士官と重要な機密について話し
始めたというのです。ドイツの士官にすれば、まったく風采の上
がらない明石を見て、こんな男にドイツ語がわかるはずはないと
きっと考えたのでしょう。
しかし、明石はドイツ語は完全にマスターしていて、その機密
をすべて聞いてしまったというのです。見た目が利口に見えない
というのもスパイの重要な資質なのです。そのせいか、日本の陸
軍内部でも明石の能力を見抜けない人が大勢いたのです。しかし
その明石の能力を買った男がいるのです。・・ [日露戦争32]
≪画像および関連情報≫
・日露関係が険悪になった頃の明石元二郎の詩
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耳をおおう他家の和戦論
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先ず祝す今年四十の春
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