2005年12月13日

ジェイコブ・シフとの出会い(EJ1736号)

 1000万ポンドの公債発行という高橋是清の要請に対して、
銀行団は次の条件を提示してきたのです。
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  1.発行公債はポンド公債とする
  2.関税収入を抵当とする。
  3.利子は年6分(6%)とする
  4.期限は5ヶ年とする
  5.発行価格は92ポンドとする
  6.発行額の最高限度を300万ポンドとする
         ――田畑則重著、『日露戦争に投資した男/
        ユダヤ人銀行家の日記』より 新潮文庫143
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 英国の銀行団は2の「関税収入を抵当とする」に対して「サー
・ロバート・ハートのような処置を取る」という付帯条件を付け
てきたのです。
 この条件に対して高橋は本気で怒ったそうです。「サー・ロバ
ート・ハートのような処置を取る」というのは、ロバート・ハー
トは清国の総税務司で、40年あまりにわたって清朝の海関行政
を支配した人です。銀行団としては、サー・ロバート・ハートの
ような英国人を派遣して、利子がちゃんと支払われるよう日本の
税関を管理するという意味です。
 高橋是清は、次のように述べて絶対に譲らず、ついに抵当権を
名目だけのものにしてしまったのです。
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 冗談じゃない。日本政府は外債のみならず、内国債でも利払い
 を怠ったことはない。            ――高橋是清
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 高橋が不満だったのは6の「発行額の最高限度を300万ポン
ドとする」という項目です。しかし、日本政府の命令である10
00万ポンドは開きがあり過ぎてまとまりそうもないので、本国
と連絡をとって半分の500万ポンドとし、その代わり期限を7
年に、発行価格92ポンドを93ポンドとするよう申し入れ、強
引に銀行団を承知させたのです。高橋は大変なタフ・ネゴシエー
タといっていいでしょう。
 しかし、あと500万ポンド足りない。これをどうするか――
高橋は悩んでいたのです。しかし、残りの500万ポンドは思い
もかけない人の申し出によってできてしまうのです。
 1904年4月23日と24日の両日にわたって、銀行団との
仮契約を結んだときのこと。高橋の友人でニューヨークの投資銀
行スパイヤーズのロンドン支店長アーサー・ヒルがお祝いにと、
晩餐会を開いてくれたのです。
 高橋はヒル邸で行われた晩餐会において、ジェイコブ・シフと
いうユダヤ系米国人と知り合いになるのです。シフはニューヨー
クの投資銀行クーン・ロープ商会の首席代表であり、毎年恒例の
ヨーロッパ旅行のさい、たまたまロンドンに立ち寄ったところ、
ヒルから晩餐会に招待を受けたと高橋に伝えていたのです。
 晩餐会でシフなる人物は高橋の隣に座って、しきりに日本経済
の状態、生産の状況、開戦後の人心はどうかなど、細かに質問を
してきたというのです。
 その話の中で高橋は、本当は1000万ポンドを募集するよう
国から命令を受けていたのだが、500万ポンドしか契約できず
困っているという話をしています。
 晩餐会の翌日、例のアレクサンダー・シャンドが高橋のところ
にやってきて、シフが今回の日本公債の残額の500万ポンドは
自分が引き受けて、米国で発行したいといっていることを告げた
のです。とにかく高橋は昨夜までシフという人物を知らなかった
ので、ロンドンの銀行団と相談したのです。
 そうすると、銀行団は異存はないということで、シフの申し入
れを受け入れることにしたのです。何はともあれ、高橋は本国か
ら命じられた1000万ポンドの起債はクリアしたのです。それ
にしてもシフはどうして起債に応じてくれたのでしょうか。
 本当のところははっきりしないのですが、どうやらシフは晩餐
会で高橋に偶然に会ったのではないようなのです。そこには、英
国側のシフに対する周到なる根回しがあったのです。
 実は日露戦争の起きる4〜5年前から、ペテルブルグの銀行家
が蔵相ウイッテの命を受けてシフのところにロシアの中期国債の
発行を頼みにやってきていたのです。しかし、シフはこれを断っ
ています。シフはユダヤの同胞を虐待するロシア政府は許さない
という姿勢からです。
 シフの親友の英国人にアーネスト・カッセルという人物がいる
のです。このアーネスト・カッセル――当時、ロンドンではあの
ロスチャイルド家を凌駕するほどの信望を得ていたといわれるの
です。日本に投資してもよいというシフに対し、カッセルは日本
に理解のある説明をしてくれているのです。カッセルは日本の事
情に通じていたのです。
 のちにシフはカッセルと一緒に国王エドワード7世から午餐に
招かれているのですが、その席上国王は、シフが日本国債発行に
参加する決断をしたことをとても喜んでいたというのです。
 これでわかることは、英国としては日本からの申し入れ通り、
1000万ポンドの公債を引き受けたいが、ロシア帝室との関係
もあって、英国があまり日本に肩入れするのはきわめて問題があ
る。そこで、とりあえず英国銀行団が半分を引き受け、あとの半
分は英国が根回ししてシフにやらせる――こういう筋書きではな
かったかと思います。
 ロシアは日露戦争開戦後も、内相プレーヴェを使って、執拗に
シフに対して働きかけていますが、シフは頑としてこれを拒んで
いるのです。このような意味において、ジェイコブ・シフは、日
露戦争に大きな影響を与える活躍をしたのです。高橋是清の交渉
――銃や剣こそ使いませんが、これも紛れもなく戦争そのもので
あるといえます。          ・・・ [日露戦争30]


≪画像および関連情報≫
 ・1904年4月にシフがロスチャイルド卿に宛てた手紙
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  「過去4、5年にわたりロシア政府はアメリカ市場での起債
  に向けて努力を続けてきたが、それを私(シフ)が無に帰せ
  しめてきたことを誇りに思う」   ――ジェイコブ・シフ
         ――田畑則重著、『日露戦争に投資した男/
        ユダヤ人銀行家の日記』より 新潮文庫143
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1736号.jpg
posted by 平野 浩 at 08:44| Comment(1) | TrackBack(0) | 日露戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
シフ氏の戦費支援のお陰で日露戦争に勝利することができことに対し、来日した際、明治大帝をはじめ日本が最大限の歓待をしたとのことを知り、改めて我が国の持つ律義さに感動した。
Posted by 石内  勉 at 2010年05月08日 23:59
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