2005年12月09日

松方財政による日本の財政基盤(EJ1734号)

 由利公正と大隈重信の財政政策の目的は、ともに富国強兵を実
現することにありました。国が豊かになるには何よりもその前提
として国民が豊かになる必要があります。そのためには国に産業
を興して輸出主導の国家にし、国力を養って軍備を強化する――
この点においては、由利も大隈も同じことを考えていたのです。
 この殖産興業という考え方は、松方正義も同じように考えてい
たのです。しかし、由利と大隈が不換紙幣の大量発行でインフレ
を起こしており、松方としてはこれを何とか修復する必要があっ
たのです。
 松方は「財政が健全化しない限り、景気はよくならない」と考
えていたのです。そこで、超緊縮財政を敷き、無駄な出費は極力
抑える政策――つまり、デフレ政策を実行したのです。そして、
紙幣は銀の裏づけのある兌換紙幣を発行することにしたのです。
 金や銀に交換できない不換紙幣を発行すると、国民としてはい
つそれが紙切れになってしまうかわからないので、できる限り急
いでモノに換えようとします。お金で持っているよりも、モノで
持っていた方が安心だからです。
 もし、多くの国民がそのように考えて行動すると、モノの値段
が上昇し、インフレ状態になります。由利や大隈の場合はこれで
失敗したのです。そこで、松方は銀の裏づけのある兌換紙幣だけ
を発行し、発行済みの不換紙幣の償却を行ったのです。兌換紙幣
であれば、紙切れになることはないので、モノで持っている必要
はない――したがって、物価の上昇は起きないのです。
 加えて、松方は増税を行っています。酒税、タバコ税、地方税
を増税し、徹底的なシブチン政策で4年間で4000万円の剰余
金をつくることができたのです。明治14年度の歳入は、およそ
6400万円でしたから、この剰余金4000万円確保は、とて
も大きかったのです。
 松方はここで会社設立ブームを起こし、殖産興業政策を推進し
ようと考えたのです。デフレ政策によって物価は下落しており、
落ち着いてきていたので、「安い金利でお金を借りることができ
る」と奨励するとともに官営工場の払い下げを推進したので、狙
い通りの会社設立ブームが起きてきたのです。
 そして、輸出増加を図って国内産業の成長を促し、松方が大蔵
卿に就任した一年後の明治15(1882)年には、日本銀行を
開業します。これによって、150行を超えていた国立銀行が普
通銀行になり、由利、大隈時代に発行した銀行券の償却も着実に
進められていったのです。
 このように文章で書くと、松方財政になってからは何もかもう
まくいったようにみえてしまいますが、厳しい緊縮財政と徹底的
紙幣縮減は、当然のことながら、国民経済に強いデフレを引き起
こし、コメ相場は1881年〜1884年にかけて5割も下落す
るという事態が発生しているのです。
 しかし、由利、大隈、松方という3人の大蔵卿がその手法こそ
それぞれ違っていたものの、殖産興業という目的が一致していた
ことにより、結果として、それ以後の民間産業発展のための基盤
を提供することになったのです。とくに松方正義の作った近代的
財政金融制度は後の日本の発展にとても役立ったのです。
 銀行、鉄道などの近代産業、紡績、生糸、鉱物、雑貨などの輸
出産業、食品などの消費財産業が、在来企業のすそ野を拡大する
かたちで発展し、日本の経済を牽引する役割を果たしたのです。
 松方財政によって少しずつ国内産業が立ち上がりつつあったそ
の矢先に日清戦争が起きたのです。しかし、その当時の日本の財
政は、明治初期と比べものにならないくらいに安定しており、戦
争によって、すぐに経済が崩壊するような事態にはならなかった
のです。
 しかし、軍事力は脆弱そのものだったのです。そのために、戦
争には勝ったものの、ロシア、ドイツ、フランスによる三国干渉
を跳ね返す力がなかっのです。そのため、政府の目標は軍事力増
強に一点に絞られたのです。
 さいわいにして、日清戦争では、台湾と澎湖島という土地、2
億テール(当時の日本円で3億1000万円)の賠償金を手に入れ
ています。そのため、この3億円を超える賠償金はすべてが軍備
拡充に当てられたのです。
 その結果として陸軍と海軍は次のように目標を立て、実際に増
強されていったのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ≪陸軍≫
   常備 7個師団・平時兵員 5万人/戦時20万人
  →常備13個師団・平時兵員15万人/戦時60万人
 ≪海軍≫
  →20万トン超の艦艇保有
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 しかし、国の経済基盤がようやく安定してきたとはいえ、ロシ
アを相手に戦えるほど日本は豊かになったわけではないのです。
既に述べたように、日露戦争には19億8600億円かかってい
ます。これに対して、明治36年度の国家予算は2億5000万
円しかなかったのです。どのようにして、この莫大なる戦費を捻
出したのでしょうか。
 ほとんどは借金で賄うしかないですが、国内で調達できたお金
は次の通りです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
     手持ちの資金 ・・・ 5億0000万円
     国内向け国債 ・・・ 4億7000万円
     臨時事件公債 ・・・ 1億9900万円
    ――――――――――――――――――――
               11億6900万円
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 あと8億円強不足しています。日本はこの8億円もの資金をど
のようにして調達したのでしょうか。 ・・・ [日露戦争28]


≪画像および関連情報≫
 ・松方正義について
  鹿児島生まれ。政治家、財政指導者、元老。父鹿児島藩士。
  日田県知事、租税頭、大蔵大輔などを経て、明治13年 (1
  880) 内務卿となる。翌年大隈重信が政変で追放されると
  参議兼大蔵卿に就任。いわゆる「松方デフレ」と呼ばれる緊
  縮財政を実施。第1次伊藤、黒田、第1次山縣、第2次伊藤
  第2次山県各内閣の蔵相。この間首相として2度組閣し、蔵
  相を兼任した。のち日本赤十字社社長、枢密顧問官、議定官
  貴族院侯爵議員、内大臣を歴任。日本銀行の創立、金本位制
  度の確立など、財政指導者として功績を残す。元老としても
  重きをなした。
  http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/194.html?c=0

1734号.jpg
posted by 平野 浩 at 08:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日露戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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