1999年9月になると、JPモルガンは一段と追い込まれて
いきます。倒産は時間の問題となったのです。一方のチェース・
マンハッタン銀行の方は巨額の負債を抱えながらもなんとかやっ
ていたのです。
JPモルガンはデル・バンコ一族のゴールドマン・サックスに
合併を申し入れたのです。ゴールドマン・サックスとしては、検
討はしたものの、結局申し入れを拒絶します。
さらにJPモルガンは、ドイツ銀行に合併の申し入れたのです
が、ドイツ銀行も断ります。万事休すです。9月7日にJPモル
ガンの金デリバティブ戦略の責任者であるピーター・ハンコック
が辞任します。
そのときウォール街では、9月11日月曜日にJPモルガンは
倒産を発表するであろうという風評が流れたのです。その199
9年9月11日早朝に、チェース・マンハッタンとJPモルガン
の会長が話し合い、たった5分後に2人は記者会見に臨み、両社
の合併を発表したのです。
「JPモルガン・チェース」――合併後の新会社の名称ですが
表面上は対等合併――頭に「JPモルガン」の字がくるものの、
資産規模の大きかったチェース・マンハッタンのJPモルガンの
吸収合併と考えてよいと思います。
問題は、デリバティブ戦略の責任者であるピーター・ハンコッ
クがなぜ辞任したかであり、その後に一体何があったかです。こ
れについては明らかにされた情報はないのですが、既出の鬼塚氏
の推定にしたがって記述します。
ピーター・ハンコックが先に職を辞したのは、JPモルガンの
財務の現況について洗いざらい、チェース・マンハッタン銀行の
会長であるデイヴィット・ロックフェラーに話すことにあったの
ではないかと考えられるのです。
ハンコックとデイヴィット・ロックフェラーとの会談をセット
したのは、おそらくFRB議長のアラン・グリーンスパンであろ
うと考えられます。そこでJPモルガンの金デリバティブの詳細
が明かされ、同じような戦略をとっていたチェース・マンハッタ
ンも、もし、JPモルガンが倒産すると、そのままでは済まない
――すなわち、連続倒産しかねない状況が明らかになっていった
ものと思われるのです。
グリーンスパンとしてもこれらの2大メガバンクが倒産すると
世界恐慌の引き金になるとして、ロックフェラーを口説いたもの
と考えられます。そして、両行が合併して金デリバティブから撤
退することを条件に、FRB、財務省、IMFから相当の資金が
提供されたものと思われます。鬼塚氏は、これについて、次のよ
うに述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
1999年9月11日、両銀行が合併した日こそは、「金の戦
争」における勝者と敗者がはっきり見えた日であった。敗者は
チェース・マンハッタンとJPモルガンの両銀行の敗北の中に
鮮明に姿を見せた。アメリカ最大の銀行が、「金の戦争」を仕
掛けた国際通貨マフィアたちの金デリバティブに敗れたのであ
る。両銀行は一つの銀行になり、21世紀の今日でも営業して
いる。しかし、昔日の面影はない。
――鬼塚英昭著、『日経新聞を死ぬまで読んでも解ら
/金の値段の裏のウラ』/成甲書房刊
―――――――――――――――――――――――――――――
ここにはっきりと、ロンドン、チューリッヒのデル・バンコ一
族――つまり、ロスチャイルド家と米国のロッフェラー家の金を
めぐる争いの構図が見えてきます。
米国を代表する銀行であるチェース・マンハッタンとJPモル
ガン――これらのロックフェラー系統の銀行は、20世紀末に金
の戦争に敗れたのです。
1980年代において実は日本も、それと知らないうちにこの
争いに巻き込まれているのです。この当時日本は米国が金の戦争
で次第に劣勢になりつつあるのを尻目に、大繁栄のときを迎えて
いたのです。いわゆる「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代
です。しかし、その繁栄はロンドンとスイスに巣食うデル・バン
コ一族が仕掛けたものであるという説があるのです。
ブレトンウッズ体制では、ドルは一応金の裏づけがあり、その
ため大量のドルがヨーロッパに流れたのです。ド・ゴール将軍は
そのユーロダラーを強引に金に換えようとし、かなりの金塊をフ
ランスに持ち帰ったことは既に述べた通りです。
しかし、ニクソンショックによってヨーロッパとしては、その
ドルを米国に還流させる術がなくなったのです。1980年代は
金価格の上昇と金デリバティブの登場で米国の銀行・証券会社の
多くが経営難に陥り、資金を必要としていたのです。
そのときロンドンとチューリッヒの国際通貨マフィア――デル
・バンコ一族は、日本の銀行を利用することを考えたのです。当
時日本の公定歩合は米国のそれを超えていたからです。
そこで、ロンドンとチューリッヒの銀行は、大量にあるユーロ
・ダラーを安い利率で日本の銀行に貸し付け、この資金を主とし
て米国に還流させようとしたのです。これを専門的にいうと「イ
ンターバンク取引」というのです。
「インターバンク取引」とは、わかりやすくいうならば、「又
貸し商法」ということになります。日本の銀行は低利で借りたド
ルを米国の企業に低利で貸し始めたのです。金の戦争に疲弊した
米国の銀行は、自分たちの融資先が、次々と日本の銀行による低
利融資に切り替えられていくのをただ指をくわえて見ているしか
なかったのです。これによって、米国の銀行はどんどん体力を弱
体化させていったのです。
しかし、調子に乗った日本の銀行はその資産を米国に流入させ
るだけでなく、日本の株式市場にも注ぎ込んだのです。株式上昇
の一方で、その供給増大が株価の潜在的下落の要因になる可能性
を秘めていたのです。 −―[金の戦争/39]
≪画像および関連情報≫
●インターバンク取引とは何か
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インターバンク取引とは、金融機関や証券会社等の限定され
た市場参加者が相互の資金の運用と調達を行う場。取引参加
者は金融機関に限定され、資金の出し手、取り手の間を短資
会社が仲介する。資金調達の場としては、短期金融市場のう
ちのコール市場、手形市場があり、金融機関がお互いに日々
の短期的な資金の過不足を調整するための取引が行われてい
る。また、外国為替の交換の場として金融機関同士が取引を
する市場のことも指す。外国為替取引ではインターバンク取
引と対顧客取引の2つに大別されるが、通常、外国為替市場
といった場合はこのインターバンク市場のことをいい、ここ
でやり取りされる為替相場のことを、インターバンクレート
(またはマーケットレート)という。
http://allabout.co.jp/glossary/g_politics/w007596.htm
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2008年08月01日
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