あなたはどのように答えるでしょうか。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
1.由利公正
2.大隈重信
3.松方正義
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
いずれも明治政府の財政の担当大臣、かつては大蔵卿(大蔵大
臣)、現在なら財務大臣をやった人である――これが正解です。
ここで明治のはじめから日清戦争までの明治政府の経済・財政
政策についてごく簡単に振り返っておくことにします。
由利公正という人は越前藩の出身であり、越前藩の財政再建に
辣腕を振るって成功させています。その由利公正が初期の明治政
府で財政を担当したのです。由利の前の大蔵卿はあの大久保利通
だったのです。しかし、由利財政は破綻してしまいます。
当時の紙幣には、次の2つの種類があったのです。由利公正は
不換紙幣を使って富国強兵を図る政策をとったのです。何しろ当
時の日本は金も銀も極度に不足している貧乏国だったからです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
1.兌換紙幣 ・・・ 金または銀との交換ができる
2.不換紙幣 ・・・ 金・銀との裏づけがない紙幣
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
できたばかりの政府で、金や銀との裏づけのない不換紙幣を普
及させようとしても誰も信用しないのは当たり前です。結局、由
利財政は破綻するのですが、後に良い教訓を残したのです。その
教訓とは次の3つです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
1.結局政府に信用がなければ不換紙幣は使えない
2.まだ貨幣制度そのものが整っていなかったこと
3.政府財政の基礎となる税金徴収が整っていない
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
由利財政の後の大蔵卿は大隈重信です。明治6年のことです。
大隈重信といえば、早稲田大学の創始者としてあまりにも有名で
すが、由利公正に代わって明治政府の大蔵卿を務めたのです。と
ころで、当時の主要な役所と大臣は次の3つです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
1.大蔵省 ・・・ 大蔵卿
2.内務省 ・・・ 内務卿
3.工部省 ・・・ 工部卿
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
大蔵省は現在の財務省、内務省は殖産興業と地方行政、それに
警察組織を含む巨大な役所であり、工部省は鉱山・製鉄から電信
機械工場などを管轄する役所です。明治6年頃はこれら3つの役
所で政府の役人の53%を占めたというのです。
大隈重信を大蔵卿に任命したのは大久保利通であり、大久保は
当時内務卿、伊藤博文が工部卿を務めていたのです。大隈は大久
保派といってよい存在であり、大久保派が政界を牛耳っていたと
いえます。これを明治6年体制ともいいます。
しかし、大隈自身は、財政は専門ではないといっています。肥
前、すなわち佐賀の出身で、役人としての最初の仕事は外交官だ
ったのです。大隈は大変な秀才であり、外交と財政という困難に
して異質な仕事を両方とも見事にこなしたのです。
大隈重信がまずやったのが「地租改正」です。廃藩置県が行わ
れる前は、各藩ごとに税率はすべて異なったのですが、大隈は日
本全国一律で税金を土地の3%と決めたのです。これによって、
不安定だった税収が一応安定したのです。
しかし、この税制は国としては都合が良いのですが、税金を収
める側は厳しいのです。今までは収穫に応じて支払っていたのに
この改正では収穫高の高低に関係なく、税金を納めなければなら
ないからです。全国的に「地租改正反対一揆」が続発し、結局地
租は2.5%に下げられたのです。
続いて大隈は「殖産興業」に着手しています。これは次の2本
建てで進めたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
1.国営企業を積極運営する
2.民間企業を保護育成する
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
民間企業を保護育成するとは助成金を出すことであり、お金が
かかるのです。大隈はそれを不換紙幣を発行してやろうとしたの
です。由利と同じ手法ですが、地租改正によって財政基盤は安定
していたので、成功すると考えたのです。
しかし、事態はそう甘くはなかったのです。結局物価が上昇し
て、景気は悪化したのです。それに追い討ちをかけたのは、明治
10(1877)年に起こった西南戦争です。西南戦争は西郷隆
盛を盟主として起こった士族による武力反乱です。
景気が悪いうえに、西南戦争による出費がかさみ、財政状況は
さらに悪化したのです。大隈は増税と官営工場の払い下げによっ
て何とかしのごうとします。現代風にいえば、規制緩和と公社・
公団の民営化によって財政赤字の補填を狙ったのですが、成功し
なかったのです。
結局、大隈財政は破綻し、明治14(1881)年に、大隈は
大蔵卿を辞任します。インフレに対して有効な手だてがとれなか
ったことが、失敗の原因です。これを「明治14年の政変」と呼
んでいます。
大隈重信に代わって大蔵卿に就任したのは、松方正義です。松
方正義は西郷隆盛と同じ薩摩人であり、一見すると鷹揚で細事は
気にしない雰囲気があるのですが、実に数字は強く、合理的な考
え方をする人だったのです。日本政府にとっては松方は、最も望
ましい大蔵卿の登場といってよいのです。松方財政については明
日のEJで述べます。 ・・・ [日露戦争27]
≪画像および関連情報≫
・大隈重信について
佐賀生まれ。政治家。父は佐賀藩士。尊皇攘夷派志士として
活躍。維新後、外国事務局判事などを経て、明治3年 (18
70)参議となる。明治6年 (1873)大蔵省事務総裁、つ
いで大蔵卿に就任。征韓論争後、財政の責任者として大久保
利通を補佐した。明治14年の政変で失脚。15年 (188
2) 立憲改進党を組織、東京専門学校(早稲田大学の前身)を
創立。第1次伊藤、黒田両内閣の外相として、条約改正に関
与。第2次松方内閣の外相兼農商務相。31年(1898)憲政党を
組織、首相に就任した。40年(1907)政界を引退したが、のち
復帰。大正3年(1914)再び首相となる。
http://www.ndl.go.jp/portrait/datas/33.html?c=2


