2008年07月14日

●「ひとつの意思を持って進む金の政策」(EJ第2367号)

 ジェラルド・フォードという人は大変運の強い人であるといえ
ます。なぜなら、フォードは一度も選挙をすることなく、副大統
領と大統領になったからです。
 1973年、リチャード・ニクソンの政権下で、スピロ・アグ
ニュー副大統領が収賄疑惑の追及を受けて辞任に追い込まれたの
です。そのとき議会は民主党が多数を占めていて、ニクソンとし
ては共和党のジェラルド・フォードを副大統領にするしかなかっ
たのです。というのは、彼は気さくで楽天的なスポーツマンとい
うキャラクタ−の持ち主であり、敵のいない男だったからです。
 こうしてフォードは副大統領になったのです。そしてその後、
ニクソン大統領がウォーターゲート事件の責任を取って辞任した
のです。そのため、1974年にフォードは第38代米国大統領
になったのです。彼は一度も大統領選に出ていないのです。
 また、彼は3回暗殺されそうになったのですが、いずれも運よ
く事前に犯人は取り押さえられてフォード大統領は助かっている
のです。やはり運が強い人というべきでしょう。
 さて、ニクソン大統領が辞任したのは、1974年8月9日の
ことです。その直後大統領となったジェラルド・フォード大統領
は、大統領に就任するや短い期間で、金にかかわる次の2つの重
要な決定をしているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
     1.1974年12月31日
      ・COMEXで金の先物取引の開始
     2.1975年 1月 1日
      ・国民が金の保有することを認める
―――――――――――――――――――――――――――――
 これら2つのことをフォード大統領が決断したとは思えないの
で、何らかの闇の勢力――国際通貨マフィアか――がフォード大
統領にそれをやることを求めたものと思われます。
 この2つの狙いは何でしょうか。
 第1は「COMEXで金の先物取引の開始」の狙いです。
 COMEX――ニューヨーク商品取引所での金の先物取引の開
始の狙いははっきりしています。それは、ロンドンから金の価格
決定権を奪うことが狙いです。そのために米国は金にからむさま
ざまな政策というか、駆け引きを急ピッチで始めたのです。
 第2は「国民が金を保有することを認める」の狙いです。
 米国が国民の金保有を認めるのは実に40年ぶりのことです。
多くの米国民が金を持つようになれば、民間による金の備蓄が進
み、結果として米国による金の囲い込みが実現することになるの
です。そのためには、国民が金を買いやすいレベルまで金の価格
を下げる必要がある――ニクソン大統領の退陣をまるで待ってい
たかのように、米国による金の政策は見違えるように的確に動き
出したのです。
 1974年12月31日――この日はCOMEXで金の先物取
引の開始を宣言した日なのですが、同時に米国は国家備蓄の金を
200万オンス放出するとアナウンスしたのです。これは相場の
「冷やし玉」が狙いです。さらに有力金融機関には、「金の不買
キャンペーン」を行わせているのです。
 その結果はどうなったでしょうか。
 国民の金保有を認めた時点の金の価格は「1オンス=197.
5ドル」という高値だったのですが、1975年6月の時点では
「1オンス=130ドル」まで下落しています。
 米国はこれに気をよくしてさらに手を打ちます。1976年1
月に「IMFキングストン合意」が行われます。ジャマイカのキ
ングストンで、IMFの暫定委員会が開かれ、変動相場制の正式
承認を含む、IMFの第2次協定改正を決定したのです。ここで
金の廃貨が正式に決まったのです。この制度は、1978年4月
1日に発効となったのですが、これをキングストン合意と呼んで
いるのです。
 このとき、IMFはさらに最貧国を支援するため、保有する金
の6分の1を売却しているのです。これによって、金価格は19
76年8月には「1オンス=103ドル」まで急落したのです。
 一方の金の先物市場はどのように推移したのでしょうか。
 米国の先物市場の中心はシカゴだったのです。シカゴ先物取引
所は(IMM)は、ニューヨークのCOMEXよりも規模が大き
かったのです。1975年1月1日の金売買解禁と同時に両市場
で金の先物取引が開始されたのですが、IMMはCOMEXに敗
れ、金の先物市場から去ることになります。カナダの金先物市場
も敗北してしまい、COMEXだけになります。
 どうして、COMEXはこんなに強いのでしょうか。
 それは、COMEXのバックにロンドンとチューリッヒ――ロ
スチャイルドがいるからです。その理由は、COMEXはそれに
よって、他の市場にない特殊性を持つからです。池永雄一氏の次
の記述を読んでいただきたいと思います。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ニューヨーク市場の市場との大きな違いは、この先物市場での
 金融オペレーション、つまり鉱山会社のヘッジや投機家(個人
 や商品ファンド、ディラーなど)のスペキュレーションのなど
 が活動の中心となっており、他地域の市場がことごとく現物の
 調達・供給の必要性から生まれ、発展してきたという点を考え
 ると非常に特異な市場と言える。        池永雄一著
          『ゴールド。ディーリングのすべて』より
―――――――――――――――――――――――――――――
 COMEXの最大の強みは、「いつでも即座に金に替えられま
す」というキャッチフレーズが実行できたこと――他の市場では
それが困難であったことにあります。 ――[金の戦争/26]


≪画像および関連情報≫
 ●ニクソンの恩赦をめぐって
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  ニクソンがウォーターゲート事件の結果辞職すると、フォー
  ドは大統領に昇格、「私たちの長い悪夢は終わった」という
  有名な一句を残した。しかしその一ヵ月後、フォードは「ニ
  クソンが犯した、または犯した可能性がある、すべての犯罪
  行為に対し、全面的大統領特別恩赦を与える」と発表した。
  歴史家はこの恩赦が1976年の大統領選挙敗北につながっ
  たと見ている。政治評論家は1976年秋、10月6日の二
  回目のTV討論での失言が大統領選の敗北につながったと見
  ており、世論調査の「ジョージ・ギャラップ」は「選挙戦の
  決定的瞬間」と述べた。       ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

フォード大統領.jpg

posted by 平野 浩 at 04:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 金の戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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