2008年07月11日

●「金の戦争に敗れたニクソン」(EJ第2366号)

 ここまで見てきたことは、各国の金をめぐる争奪戦――まさに
金の戦争です。
 世界の金を支配する――この目標を達成するには、世界の金の
総量ついて知る必要があります。世界には一体どのくらい金があ
るのでしょうか。
 ここにデータは古いのですが、1993年当時の貴重なデータ
があります。これによると、金の地上在庫は10万6000トン
といわれているのです。その内訳は次の通りです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 総量 106000トン
  10600トン ・・・ 工業用消費 ・・・ 10%
  25440トン ・・・ 個人投機家退蔵 ・ 24%
  33920トン ・・・ 宝飾品消費 ・・・ 32%
  36040トン ・・・ 公的部門 ・・・・ 34%
 ――――――――――――――――――――――――――
 106000トン              100%
 ――鬼塚英昭著、『日経新聞を死ぬまで読んでも解らない/金
              の値段の裏のウラ』/成甲書房刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 公的部門の金塊は「36040トン」――このうちの80%は
各国の中央銀行が保有としているとされる金塊です。28832
トンがそれに該当します。
 この金塊はIMFを含めて各国の中央銀行の金庫にある――と
誰もが考えていますが、本当にあるのでしょうか。ある有力な情
報筋によると「ない」と明言しています。
 ニクソンによるドルの金兌換が停止された直後、ニクソン大統
領をはじめとする米国の通貨当局は、本当に事態の深刻さ正確に
理解していたのかどうか、理解に苦しむところです。なぜかとい
うと、信じ難いことに当局はこれといって何もしていないからで
す。ちょうど現在の日本の福田政権のようにです。この政権は本
当にこの経済危機に当たって何もしていないのです。といっても
これは日本の話ではありますが・・・。
 ただ、ドイツ連銀とスイス国立銀行の2行だけは、ドルを支え
るために大規模な介入を行っていたのです。この2行は事態を正
確に把握していたといえます。
 ニクソン政権が事態を正確に把握していなかったことの証明は
ニクソン・ショックから4ヵ月後の1971年12月に、首都ワ
シントンのスミソニアン博物館で10ヶ国蔵相会議が開催された
中で明らかになったといえます。
 この会議で何が決まったのでしょうか。
 金「1オンス=38ドル」が決まったことです。ドル平価の切
り下げです。なぜ、このレベルなのでしょうか。既にロンドン市
場では、金は43〜44ドルで取引されていたからです。もっと
理解し難いことは、ブレトンウッズ体制の基本構想である固定相
場制が維持されたことです。
 このスミソニアン会議での決定についてニクソン大統領は次の
声明を出しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 このスミソニアン会議で成立した合意は世界史上もっとも重要
 な金融協定である。          ――ニクソン大統領
―――――――――――――――――――――――――――――
 これは明らかに空威張り、自画自賛であるといわれても仕方が
ないでしょう。それは、1971年12月にこの会議があって、
その翌年の2月13日――再びドル平価の切り下げがあったから
です。今度は「1オンス=42.22ドル」でしたが、そのとき
市場は「1オンス=75ドル」になっていたのです。
 あのフェルディナント・リップスは、このときのニクソンにつ
いて、次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ニクソンは、国際収支赤字の急増とヨーロッパ金市場の急拡大
 に直面していたにもかかわらず、アメリカが固定相場制のもと
 ドルで金を償還する能力を失っていることを理解していなかっ
 た。それとも、理解しようとしなかったのだろうか。とにかく
 ドルの価格がもはや維持不可能となったのは、金のせいではな
 かった。真の原因は、銀行システムによる信用創造が行き過ぎ
 ていたことにある。通貨もまた、他の財と同じく、その価値は
 希少性で決まるため、信用創造が進んでマネーサプライが増え
 れば、ドルは価値を失わないではいられないのであった。
   フェルディナント・リップス著/大橋貞信訳/徳間書店刊
   『いまなぜ金復活なのか/やがてドルも円も紙屑になる』
―――――――――――――――――――――――――――――
 1973年3月26日、ロンドンでの金価格は、遂に史上最高
値の「1オンス=90ドル」をつけたのです。それ以後、金の固
定相場制は、あってなき存在となったのです。あらゆる通貨の価
値は市場で決められるようになっていったからです。
 1973年10月、OPEC(石油輸出国機構)は、石油価格
が、1バレル2.11ドルから10ドル以上に上昇するまで生産
を制限すると決定したのです。これによって、スミソニアン協定
の合意は事実上意味を失ったのです。
 さてこのあと、例のウォーターゲート事件によって、ニクソン
大統領は1974年8月8日に辞任に追い込まれます。別にこの
通貨制度破綻の責任を取っての辞任ではなかったのですが、彼が
金の戦争に敗れ去ったことは確かなことなのです。
 ニクソンが辞任し、後を継いだ副大統領のフォードは、197
5年1月1日にきわめて重要な決定をするのです。しかし、その
決定はフォード大統領自身が決めたものではなく、そうさせたい
闇の勢力があって、ニクソンを失脚させ、フォードを大統領に誕
生させたのです。
 フォード大統領はどういう決定をしたのでしょうか。この問
題は来週に取り上げます。     ―――[金の戦争/25]


≪画像および関連情報≫
 ●ウォーターゲート事件とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  事件は、ニクソン政権の野党だった民主党本部があるウォー
  ターゲートビルに、不審者が盗聴器を仕掛けようと侵入した
  ことから始まった。当初ニクソン大統領とホワイトハウスの
  スタッフは「侵入事件と政権とは無関係」との立場をとった
  が、ワシントンポストなどの取材から次第に政権の野党盗聴
  への関与が明らかになり、世論の反発によって合衆国史上初
  めて現役大統領が任期中に辞任に追い込まれる事態となった
  のである。             ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

ウォーターゲート・ビル.jpg

posted by 平野 浩 at 04:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 金の戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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