リチャード・ニクソンがやっと大統領の地位を勝ち取ることが
できたのは、1968年の大統領選挙のときです。ニクソンはそ
れに先立って、1962年11月のカルフォルニア州知事選挙に
出馬したのですが、対立候補のエドムンド・ブラウンに大差で破
れ、ニクソンはもう二度と浮かび上がれないであろうといわれて
いたのです。
しかし、ニクソンは大方の予想を覆し、民主党の大統領候補、
ヒューバート・H・ハンフリーを僅差で破り、念願の大統領にな
ることができたのです。就任は1969年のことです。このとき
米国のドル本位制はどうにもならないところに来ていたのです。
このときのニクソンの様子をあのフェルディナント・リップス
は、次のように書いています。
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ところがニクソン政権は1970年の107億ドルという破滅
的な財政赤字と、1971年第1・四半期の50億ドルの赤字
そして同年のドル危機を「完全なる沈黙」と「驚くほどの冷静
さ」で眺めていたのである。
――フェルディナント・リップス著/大橋貞信訳
『いまなぜ金復活なのか/やがてドルも円も紙屑になる』
徳間書店刊
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リップスは、米国政府の対応を「不気味で愚鈍な楽観主義」と
こきおろしています。あまり長く危機的状況下にいると、自分た
ちが危機の中にいることがわからなくなるとリップスはいってい
るのです。
ニクソン大統領とコナリー財務長官がどのようにドル危機を認
識していたかは推測するしかありませんが、状況のあまりのひど
さに現実を直視するしかなかったのではないかと考えられます。
そしていよいよ1971年8月になると、米国のドル建て対外
短期債務は600億ドルに達し、その3分の2は海外の公的機関
が保有していたのです。
仮に金価格を「1オンス=35ドル」で計算すると、米国の金
準備は、97億ドルまで減少していたのです。そして、1971
年8月9日には、金価格は43.94ドルの高値を更新している
のです。
ドイツのマルクは変動制への以降後、7%上昇――これによっ
てドルは約10%減価したことになります。まさに通貨危機の到
来です。スイスの銀行は通貨危機が拡大するのを恐れて、一時ド
ルの取引を停止しています。
そして遂にイングランド銀行とスイス国立銀行は、保有するド
ルと金とを交換するよう米国政府に求めてきたのです。この問題
を受けて、1971年8月10日、ニュージャージー州の海岸地
帯にある保養地マントロキングにおいて、通貨危機について会議
が開かれたのです。
銀行家、エコノミスト、金融スペシャリスト、そして政府関係
者、財務次官のポール・ボルカーもやってきて討議に加わったの
です。論点は次の通りです。
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・金利を引き上げる
・信用拡張のペースを緩めない
・金価格の引き上げ(=ドルの対金引き下げ)
・金兌換の停止
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さまざまな意見が出されたのですが、どれもこれも説得力を持
たなかったのです。一番議論が沸騰したのは、金価格の引き上げ
――つまり、ドルの対金引き下げだったのです。ボルカー次官は
理解は示したものの、結局この案は議会の承認が得られないであ
ろうということで否決されたのです。
当時の米国の国民は、米国こそは世界のリーダーであると信じ
ており、そういう国民に米国の通貨が価値を失っていることを告
げるのは政治家としてしのびないと考えたのです。
ルーズベルト大統領のニューディール政策のときは、国民のす
べてが危機を理解していたのに対し、この時点での米国国民は、
自国の危機の深刻さを何も知らされてはいなかったのです。
結局、この日の会議の結論は、「金兌換の停止」ということに
なったのです。
外国が保有するドルを米財務省が金で償還することを禁止する
――これは、金の支払い不履行ならびに国際通貨協定の拒絶その
ものであり、そういう意味で、米国は発展途上国に転落したのも
同然だったのです。
かくして、マントロキング会議の5日後の8月15日――ニク
ソン大統領は金兌換の停止を発表するにいたるのです。これによ
って、ブレトンウッズ体制は崩壊したのです。
フェルディナント・リップスは、そのときのニクソンの声明に
ついて、次のように手厳しく批判しています。
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ニクソンは声明の中で、通貨危機は国際的な通貨投機筋のせい
であると5度も非難している。超大国の指導者の発言とは思え
ない下品さでもって、スケープゴートに責任をかぶせたのだ。
――フェルディナント・リップス著/大橋貞信訳
『いまなぜ金復活なのか/やがてドルも円も紙屑になる』
徳間書店刊
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今から考えると信じられない話ですが、そのとき、金がドルの
裏付けではなく、ドルが金に価値を与えていると本気で信じてい
た役人がいたのです。当時のFRBのヘンリー・ワリッチ議長が
金相場の動きを「余興」と呼んでいたように、勘違いしていた連
中が多かったようです。そのため、金兌換停止のあと、ニクソン
政権は、ほんとんど何の手も打っていなかったことからもそれは
いえるのです。 ―――[金の戦争/24]
≪画像および関連情報≫
●リチャード・ニクソンについて
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ニクソン大統領は就任後は東側諸国に対して硬直的な態度を
取り続ける国務省を遠ざけ、官僚排除、現実主義・秘密主義
外交を主とするホワイトハウス主導の外交を展開し、国家安
全保障担当大統領補佐官のヘンリー・キッシンジャーととも
に、これまでの封じ込め政策に代えて融和的なデタント政策
を推進する。 ――ウィキペディア
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2008年07月10日
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