2008年07月03日

●ド・ゴールが仕掛けた金の戦争(EJ第2360号)

 当時の米国政府が何よりも恐れたのは、金が投資対象として有
利であると認識されることだったのです。そのため米国はそう思
われない対策を強化したのです。これを「アンチ金政策」という
のです。
 そういう「アンチ金政策」によって、米国の金鉱産会社は次々
と倒産に追い込まれる事態に発展したのです。実は1960年代
の終わりから、米国政府はブレトンウッズ体制を放棄するしかな
いと考えはじめていたのです。
 1964年10月の英国の総選挙で労働党が勝利します。これ
によって、ポンドに激しい売り圧力が浴びせられ、金の投機需要
に火がついたのです。
 それに1965年になると、フランスのド・ゴール大統領が米
国に対して金の戦争を仕掛けたのです。米国のドルを激しく批判
し、金本位制の回帰を訴えたのです。このことが、ロンドンの金
市場における買い圧力の一層の上昇原因になったのです。
 ド・ゴールという人はどういう人物だったのでしょうか。ウェ
ブサイトの「ド・ゴール伝」から引用します。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ド・ゴールの外交政策の基本は、(体制は西側だが)東西いず
 れの陣営にも属さずフランス独自の「自立」と「栄光」を求め
 る点に集約されている。ド・ゴールは、反アメリカの姿勢から
 64年には中華人民共和国(アメリカと敵対)を承認し、同年
 にはソ連と通商条約を締結した。さらに66年9月にカンボジ
 アを訪問したド・ゴールはアメリカの東南アジア政策(ヴェト
 ナム戦争)を厳しく糾弾したりもした。この内、中華人民共和
 国を承認したことは、東アジアへの影響力拡大を目指すと共に
 ソ連と対立する中国と結ぶことによって、ソ連の西欧政策を緩
 和し、その上でソ連とも協調するという思惑があったようであ
 る。          http://www.kaho.biz/degaulle.html
―――――――――――――――――――――――――――――
 ド・ゴールは、1962年頃から米国から金を購入しはじめて
おり、1966年までにニューヨークからパリへ輸送された金の
総量は30憶ドル分に達したのです。ド・ゴールは、明らかに金
プールから抜け出そうとしていたのです。
 1967年7月にフランス銀行は、これ以上金の提供を続けて
いけないとして、金プールからの脱退を表明したのです。これに
より事態は急変します。
 1967年11月18日、ポンド平価は、1ポンド=2.80
ドルから、2.40ドルに切り下げられたのです。これによって
投機はドル売り金買いに向かい、大規模なゴールドラッシュに発
展したのです。そして、11月末には金プールからの流出した金
は、10憶6000万ドルに達したのです。
 その背景となったのは、アメリカの経常収支が1967年に赤
字基調に変わったことや、正式に金兌換請求権をもつ公的保有ド
ルだけで、金準備を上回ったためです。
 ジョンソン政権は、そうなっても「1オンス=35ドル」を守
り続けたので、1968年3月までに米国の金準備は、105憶
ドル、3憶オンスまで落ち込んだのです。
 これをもって、米通貨当局は、遂に金価格の維持を断念したの
です。その結果、自由金市場では自由に価格が決まるようになっ
たのですが、公的取引では今までどおり公定価格が用いられると
いう「二重価格制」をとるにいたったのです。これは米政府が金
価格の高騰を抑え込むためにとった最後の抵抗だったのです。
 これに対してド・ゴール大統領は、ブレトンウッズ体制につい
て、次のように述べているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 アメリカは自国のインフレを輸出している。アメリカ本国に還
 流されないドルが増加し、今や破局的な割合に達している。ド
 ルの時代は終わったのである。  ――シャルル・ド・ゴール
 ――鬼塚英昭著、『日経新聞を死ぬまで読んでも解らない/金
              の値段の裏のウラ』/成甲書房刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 1969年3月18日、米連邦議会は、財務省がドル紙幣の発
行残高の25%に相当する金準備を持たなければならないとする
要件を廃止したのです。これによって、国家のマネーサプライと
金準備の間にあった最後の砦がなくなったのです。これによって
ブレトンウッズ体制は崩壊したのです。
 ド・ゴール大統領は野心を持っていたのです。彼は、フランス
独自の政治と外交と経済の道を目標としたのです。当時の西側諸
国の米国一辺倒の外交を批判し、35ドルの金の公定価格を2倍
にするよう求めたのです。当時、フランスの金備蓄は米国に次い
で第2位になっていたことをド・ゴールは利用しようとしていた
のです。
 ド・ゴール大統領は、次のように西側諸国の指導者に訴え続け
たのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 合衆国だけがドルを印刷し、外国の資金を調達できる。私たち
 は外国との貿易で利益を上げることでしか外国の通貨または金
 を稼ぐことができないではないか。
 ――鬼塚英昭著、『日経新聞を死ぬまで読んでも解らない/金
              の値段の裏のウラ』/成甲書房刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 明らかにド・ゴールはフランスの覇権を唱えていたのです。し
かし、1968年5月、フランス国内で大規模なストライキの渦
が巻き起こり、これによってフランス経済は大きな痛手を負うこ
とになったのです。ド・ゴールの威信は地に落ち、自らの地位を
賭した国民投票にも敗退するのです。そして、彼は政治の世界か
ら去っていったのです。        ―[金の戦争/19]


≪画像および関連情報≫
 ●「中東戦争/6日戦争」について
  ―――――――――――――――――――――――――――
 1967年6月5日から始まった中東戦争によって、ポンド危
 機が深刻化します。ゴラン高原におけるユダヤ人入植地の建設
 を巡ってアラブ側とイスラエルとの間で緊張が高まりつつあっ
 たのです。イスラエルはエジプト、シリア、イラク、ヨルダン
 の空軍基地に先制攻撃を仕掛けたのです。緒戦でアラブ側は、
 410機の軍用航空機を破壊されたのです。制空権を失ったア
 ラブ諸国は、地上戦でも敗北し、イスラエルはヨルダンのヨル
 ダン川西岸地区・エジプトのガザ地区とシナイ半島・シリアの
 ゴン高原を迅速に占領したのです。戦争前と比較し領土を約4
 倍以上に拡大したことになるのです。なお、6日で勝敗が決し
 たため「6日戦争」とも呼ばれるのです。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

シャルル・ド・ゴール.jpg

posted by 平野 浩 at 04:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 金の戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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