2008年07月01日

●ブレトンウッズ会議開催のタイミング(EJ第2358号)

 いわゆるブレトンウッズ会議が開催されたのは、1944年7
月のことです。第2次世界大戦はその次の年に終わっていますの
で、米国を除く連合国のほとんどが、長期間の戦争に疲弊しきっ
ていたのです。
 どの国も米国に経済支援や軍事的支援――武器の貸与・売買な
どを求めており、もし、米国がそれに応じないと、どの国も破滅
してしまう――そのような特異な環境の下で、ブレトンウッズ会
議が開催されたのです。
 したがって、各国とも米国の顔色を窺っており、いきおい米国
の発言力が会議を圧したといっても、過言ではない状況だったの
です。どこの国も米国に対して反対することができにくい雰囲気
があったことは確かです。
 この会議における米国の狙いは、莫大な金の保有をベースにす
るドルの優位性を利用して、各国の中央銀行が、金に兌換できる
唯一の通貨をドルとすることを各国政府に受け入れさせることに
あったのです。
 これが実現すると、米国は自国の通貨であるドルを刷るだけで
世界中の富を手に入れられることになるのです。他国から見れば
そういう米国のみが利する通貨制度をそう簡単には受け入れられ
ないというのは当然のことです。
 しかし、米国には反対できず、この通貨体制は成立してしまっ
たのです。ルーズベルト政権のときに、世界恐慌から脱却するた
めの経済政策として採択された金に関する一連の法律を通し、ひ
たすら金を備蓄して、大戦の末期にドル基軸通貨制を世界に認め
させる米国の戦略は緻密に練られ、実行に移されたのです。
 さて、ブレトンウッズ体制の下では、米国は「1ドル=35ド
ル」という平価を維持する責任があります。もし、米国が対外収
支で、赤字を出した場合は、黒字国の中央銀行に対して、金で支
払う義務があるのです。しかし、この約束を米国は必ずしも忠実
に果たしているとはいえないのです。
 そういう黒字国のほとんどは当初は戦後に急速な経済発展を遂
げた日本や西ドイツであり、ブレトンウッズ会議には出席できな
かった国なのです。米国はそういう国に対してはさまざまな政治
的圧力をかけて、ドルを金に兌換させないようにしたのです。
 たとえば、ジョンソン大統領は西ドイツに対し、ソ連陣営と国
境を接している西ドイツが安全でいられるのは、米軍が駐留して
いるからであるとして、ドルを金に兌換しようとする動きを事前
に封じています。
 このブレトンウッズ体制――1953年〜1961年のアイゼ
ンハワー政権のときは、比較的、安定的に機能していたのです。
唯一小規模な景気後退があったのです。それは、1958年に起
こったドル危機です。
 そのとき米国は、22憶5000万ドルの金を外国の中央銀行
に売却しなければならないことになったのです。この金額は、F
RBが一年間に喪失した金の量としては史上最大なのです。
 この金の大量流出に驚いたアイゼンハワー政権では、財務長官
が下院の財政委員会に呼び出され、証人喚問を受けることになっ
たのです。その模様の一部を再現してみます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 財務長官:1952年には120億ドルあった国外のドルの現
  在残高は176憶3000万ドルまで増大しました。さらに
  15億ドルの米国株が外国人によって所有されています。一
  方で、米国の金準備は、1952年が230憶ドルであった
  のに対し、205憶8000万ドルまで減少しています。
 カルステン議員:25億ドルの金の損失というのは、どのくら
  い深刻なのでしょうか。
 財務長官:ドルが外国ならびに投資家の信頼を失い、彼らがド
  ルではなく金で資産を保有したいと望むようになれば、非常
  に大きな問題となります。
 カルステン議員:米国の金備蓄に対する、取り付け騒ぎが起こ
  るということですか。
 財務長官:その通りです。そうなれば最悪の事態です。
 メトカフ議員:そうなる危険性は、大きいのでしょうか。
 財務長官:そうです。しかも、議会が行動を起こすのが遅くな
  ればなるほど、事態は悪化します。これは非常にデリケート
  な問題で、いい加減にあしらうことはできません。一国の通
  貨に対する信用を扱うことは、いつ爆発してもおかしくない
  ダイナマイトを扱っているようなものなのです。
       ――フェルディナント・リップス著/大橋貞信訳
   『いまなぜ金復活なのか/やがてドルも円も紙屑になる』
―――――――――――――――――――――――――――――
 この議会でのやり取りを見るとわかるように、米議会ではこの
問題をまじめに扱って議論しています。しかし、今にして思えば
このドル危機は実にさわやかなものであっことがわかります。
 しかし、それ以後米国政府の金準備は減っていったのです。そ
して、1960年末には180憶ドルを下回るようになります。
1946年には250億ドルあったのですから、15年間でその
3分の1が失われたことになります。この250億ドルという金
の量は、自由世界の全政府・中央銀行が保有する金準備の70%
に該当するのです。
 どうして米国の金準備は減少したのでしょうか。
 理由は複数あります。ドル紙幣の発行残高が増大しているにも
かかわらず、金とドルの兌換価格が「1オンス=35ドル」に固
定されていたことです。しかし、ドルの価値を下げることは米国
としてはできなかったのです。
 もうひとつは、戦災からの復興が進んだヨーロッパ諸国が金準
備を積み上げようとしていたことです。それに、1950年代後
半に発生した米国の国際収支の赤字――これが最もしんこくであ
り、重要なのです。そうしていくうちに、米国がドルを金に兌換
できない状況が起こってきたのです。  ―[金の戦争/17]


≪画像および関連情報≫
 ●「ブレトンウッズ体制」に関するプログより
  ―――――――――――――――――――――――――――
  現在の、ドルを国際決済通貨(基軸通貨)とする世界の経済
  体制を確立したのは、第二次大戦末1944年にアメリカで
  開かれた国際的な「ブレトンウッズ会議」である。この会議
  で定められたブレトンウッズ体制は、ドルを国際決済通貨と
  定め、世界(西側)の主要通貨はすべてドルに一定の固定相
  場でペッグされ、ドルは1オンス35ドルの固定価格で金に
  つながる「準金本位制」だった。ペッグを維持できなくなっ
  た国に緊急融資する機関として、IMF(国際通貨基金)が
  作られた。
   ttp://blog.trend-review.net/blog/2008/05/000706.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

アイゼンハワー大統領.jpg
posted by 平野 浩 at 11:11| Comment(1) | TrackBack(0) | 金の戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
すごいです
Posted by 出会い系 at 2010年07月08日 11:47
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。