2001年08月07日

真の価値がわからない日本の学界(EJ674号)

 青色の光は出たが弱くて暗い青色です。この程度の色ならセレ
ン化亜鉛を使ったもので既に出ています。したがって、この青色
をもっと鮮やかな青色にするにはどうするか――これが大きな課
題となります。中村氏の研究はそこに絞られたのです。
 結晶品質を測る「ホール測定器」という器械があるそうです。
この器械に結集薄膜を入れて「ホール移動度」という数値を測る
のですが、当時の世界最高値は90でした。90以上の結晶薄膜
ができれば、世界初の技術ということになります。しかし、LE
Dの場合、このホール移動度が100や200になっても結晶欠
陥はかなり多く、発光するかどうかわからないのです。
 中村氏は、まず、ホール移動度90という壁をクリアすること
に成功します。窒化ガリウムの結晶薄膜のホール移動度を200
にすることができたのです。これによって、世界一きれいな窒化
ガリウムの結晶薄膜ができたことになります。
 しかし、その世界最高の結晶薄膜で発光させた青色はあまりに
も弱々しく暗い青色だったのです。それでも炭化珪素で作られた
青色LEDよりも1.5倍も明るかったのです。問題はどのぐら
いの時間、光り続けていられるかです。
 実はこの光は1000時間もの長い間光り続けたのです。この
時点で論文嫌いの中村氏もそのことを論文に書いて学会に送った
そうです。そのとき「米国3M社がセレン化亜鉛を使って初の青
色レーザ発振に成功」というニュースが飛び込んできたのです。
 そのとき中村氏は「負けた」と思ったそうです。しかし、この
ニュースが正確でなかったことを中村氏はあとで知ることになり
ます。青色レーザは光ったのですが、寿命が数秒単位しかないと
いうことがニュースには欠落していたのです。日本の新聞によく
ある不完全報道だったのです。
 このニュースと同時に米国の学会から中村氏に講演要請が届き
ます。窒化ガリウム国際会議がセントルイスで開かれるので、出
席して講演して欲しいという要請です。中村氏が書いた論文が評
価された結果なのです。
 この頃には中村氏の日亜化学における立場はきわめてよくない
状況だったようです。中村氏に青色LEDの研究を許可してくれ
た社長はすでに第一線を引き、中村氏を支援してくれる人はいな
くなってしまっていました。
 一番問題なのは、日亜化学の人たちの中に半導体のわかる人は
社長以下一人もいなかったことです。しかし、これが逆に中村氏
にとって幸いしたのです。もし、窒化ガリウムで青色LEDを作
ろうとしていることが会社にわかってしまうと、それが世の常識
に反していることだけに、即座に中止命令が出ただろうと中村氏
はいっているのです。
 最後に鮮やかに青く輝くLEDを目にした時点ですら、日亜化
学の人たちは、それがどのように素晴らしい発見であるか最後の
最後まで分からなかったといいます。なお、この青色LED開発
によって中村氏はやっと開発課長に昇進するのです。
 しかし、窒化ガリウムの国際会議は盛り上がったそうです。と
くに中村氏の話がその寿命が1000時間を越えていることに及
ぶと息を呑むような聴衆のふんい気が伝わってきて、その直後全
員が立ち上がって拍手、スタンディング・オペレーションをして
くれたといいます。
 結局のところ中村氏は窒化ガリウムでは明るい青色が出ないと
いう結論に達し、窒化インジウムガリウムの結晶薄膜を作ること
にしたのです。窒化インジウムガリウムは、窒化ガリウムとイン
ジウムを加えるとできる物質です。インジウムも半導体の材料と
してはよく使われています。
 しかし、実用に耐える品質の窒化インジウムガリウムの結晶薄
膜は世界中の誰もが開発に成功していなかったのです。しかし、
ここまでの開発をほとんど独力でやり遂げた中村氏にとっては、
それは不可能ではなかったのです。やがて実際に光る窒化インジ
ウムガリウムの結晶薄膜を作るのに中村氏は成功したのです。
 そしてこの結晶薄膜を使って、N型半導体とP型半導体でサン
ドイッチにするというダブルへテロ構造のLEDチップを作るこ
とに成功します。ダブルヘテロ構造については、EJ671号で
解説しましたね。
 そして、それぞれを微調整して遂に高輝度青色LEDが完成し
たのです。1993年のはじめのことです。輝度は約1カンデラ
であり、青紫色に光ったPNホモ接合のLEDの約60倍、炭化
珪素の約100倍の明るさだったのです。
 続いて中村氏は、青色半導体レーザの研究開発に取り組むので
す。原理的にはLEDと半導体レーザーは同じですが、レーザー
の方は、鏡面を使うなどして光の方向性をより強くする必要があ
ります。しかし、中村氏は1年ほどで青色半導体レーザーの発振
を成功させるのです。窒化ガリウムなどの結晶薄膜を数十層にし
波長410ナノメートルの青色半導体レーザーを室温でパルス発
振させたのです。世界一短い波長の半導体レーザーが誕生したこ
とになります。
 しかし、耐久性に問題があったので改良しているうちにソニー
がセレン化亜鉛を使って波長515ナノメートルの青緑色のレー
ザーを開発します。ところがその寿命は数時間というレベルだっ
たのです。1997年5月のことです。
 中村氏は同じ年の10月に青色半導体レーザーを温度50度の
条件で1000時間連続して発振させることに成功したのです。
もし、温度20度の条件ではその寿命は10000時間以上とな
り、どこでもレーザーを発振させることができるようになったと
いえます。
 2000年になって中村氏は日亜化学をやめてカルフォルニア
大学の教授になります。新聞は頭脳流出と騒ぎましたが、中村氏
を勧誘した日本の企業も大学もなかったといいます。それどころ
か、中村氏が何回も論文を提出したのに、学界は内容も読まずに
ボツにしていたといいます。日本の企業も学界も本当に価値ある
ものがわかっていませんね。この話題はこれで終りです。


posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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