2008年06月27日

●ルーズベルトとヒットラーの経済政策(EJ第2356号)

 米国の金の戦略を最初に仕掛けたのは、第32代米国大統領フ
ランクリン・D・ルーズベルトであることは間違いのないところ
です。彼が大統領職にあったのは、1933年〜45年の長きに
及んだのです。
 この1933年に首相になったのが、ドイツのアドルフ・ヒッ
トラーなのです。そして、その翌年にヒットラーは国家元首にな
るのです。そのため、ルーズベルトとヒットラーはいろいろな面
で比較されるのです。
 ルーズベルトとヒットラーは、どちらも国の経済が最悪のとき
にトップに就任しています。ルーズベルトの場合は、1929年
からはじまった世界恐慌の真っ只中であったし、ヒットラーの場
合は、第1次世界大戦後の壊滅的な経済からぜんぜん立ち直って
おらず、深刻なデフレ不況の状態にあったのです。
 奇しくもルーズベルトとヒットラーは、ともに全体主義的経済
政策――政府による公共投資を拡大してデフレの脱却を図るケイ
ンズ的経済政策を実施したのです。
 しかし、こと経済政策の成否については、ヒットラーはルーズ
ベルトに圧勝したのです。ルーズベルトがニューディール政策を
実施した結果、1933年に25.5 %という最悪の失業率は、
1937年には14.3 %まで下がったのですが、翌年には再び
19.1 %に跳ね上がっているのです。
 これに対して、ヒットラーは45%もあった失業率を劇的に減
少させ、第2次世界大戦前の1939年には2O分の1にするこ
とに成功しているのです。ルーズベルトとヒットラーの差はどう
して生まれたのでしょうか。
 実際にやったことには大きな差はなかったのです。しかし、2
つの点で大きく異なっていたのです。
 ひとつは「トップに対する信頼」の差です。
 ヒットラーの場合は、世界大戦に敗れてどん底に落ちたドイツ
の救世主として、圧倒的多数の国民の支持を得て、トップの座に
就いています。
 ルーズベルトは民主主義国家の選挙戦に勝利してトップの座を
射止めています。しかし、ルーズベルトは民主党であり、反対派
の共和党もいるのです。国民全体がルーズベルトを支持したわけ
ではないのです。ヒットラーとは大きな差があります。
 もうひとつは、「政策の徹底度」の差です。
 米国の大統領は独裁主義者ではないのです。したがって、政策
の遂行は反対派の意見をできる限り汲み上げるので、どうしても
妥協の産物となるのです。
 とくにケインズ的政策をとる場合、どうしても政府債務の累積
額が増大するので、必ずといってよいほど財政均衡主義者のヒス
テリックな反対を呼び起こすのです。いったん好転に転じた経済
が再び暗転したのは、この政策のぶれによるものです。現在の日
本も同じ状況に陥っています。
 これに対してヒットラーの場合はドイツは完全な全体主義国家
であり、その徹底力はほぼ100%に近くなります。こういう場
合、政府債務は激増しますが、反対する者はいないため、経済は
急速に回復するのです。
 それにしても、ルーズベルト大統領の場合、その経済政策に関
しては、英国から送り込まれたケインズが直接指南をしたのに対
し、ヒットラーは自分の考えで、きちんと正しい手を打っている
のです。これは大変なことであると思います。
 ヒットラーはユダヤ人を一種のスケープゴートにして、資本家
と労働者との19世紀的な階級的な対立を解消しています。その
ため、ドイツ民族は一致団結して国家のために奉仕労働を行った
ので、ドイツの生産力は飛躍的に向上し、それが経済を活性化さ
せる原動力となったのです。
 これに対して米国は民主主義であり、ニューディール政策には
賛否両論が多かったので、一致団結にはほど遠いものがあったの
です。ニューディール政策が思うように効果が上がらないことに
対して、ルーズベルトはいささか焦ったようです。そして、考え
たのです。「国民を一致団結させるのは、国外に敵を作り、それ
を叩くというかたちをとるしかない」と。
 そして、その格好のスケープゴートとして選ばれたのが日本な
のです。日本の悪行を暴き、米国民を激怒させる――そうして、
日本を敵として第2次世界大戦に参戦すると考えたのです。戦争
しか財政支出を急激に増やす方法はない。そうしないと、ドイツ
に後れをとってしまうとルーズベルトは考えたのです。
 ルーズベルトは、日本が三国同盟(日独伊)を宣言した直後に
知日派の海軍情報部極東課長アーサー・マッカラム少佐に密命を
与えたのです。その密命とは、日本を挑発し、米国を攻撃させる
策略の遂行です。
 マッカラム少佐は、いわゆるABCD包囲網と呼ばれる貿易制
限網を形成し、経済封鎖を行ったのです。ABCDとは次の国を
指しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
     1.A ・・・・・ アメリカ/America
     2.B ・・・・・ イギリス/Britain
     3.C ・・・・・ 中  国/China
     4.D ・・・・・ オランダ/Dutch
―――――――――――――――――――――――――――――
 マッカラム少佐は、ハワイに潜入した日本のスパイを自由に動
き回らせ、ハワイを攻撃させようとしたのです。日本がマライ半
島やインドネシアという英国やオランダの植民地だけを攻撃し、
ハワイを攻撃しないことを最も恐れたのです。
 そして自国の太平洋艦隊にも一切日本が攻撃してくるという情
報を伝えなかったのです。それでいて、狡猾にもルーズベルトは
天皇に対して戦争をしないよう親書まで呈上しています。攻めた
のは日本を強調するためです。     ― [金の戦争/15]


≪画像および関連情報≫
 ●マッカラム・メモに言及しているプログ
  ―――――――――――――――――――――――――――
  最近、平井修一氏の「マッカラム・メモ」翻訳で、その全容
  を知ることができた。「マッカラム・メモ」・・・昭和十五
  年十月七日に米海軍諜報部のアーサー・H・マッカラム少佐
  が海軍提督のウォルター・アンダーソンと提督ダドリー・ノ
  ックスに提出した戦略メモのことである。アンダーソンとノ
  ックスは、ルーズベルト米大統領が最も信頼を寄せた軍事顧
  問の一員。メモは機密扱いで私たちは知るよしもなかったが
  平成六年に五十年ぶりに機密扱いが解除されている。あらた
  めて読んでみるとルーズベルトは「マッカラム・メモ」のス
  テップ通りに政略を展開し、挑発された日本は無謀な日米戦
  争に突入した歴史が明らかにされた。
            http://blog.kajika.net/?eid=345841
  ―――――――――――――――――――――――――――

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posted by 平野 浩 at 04:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 金の戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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