2008年06月20日

●ルシタニア号はなぜ攻撃されたか(EJ第2351号)

 日本が日露戦争のときにロスチャイルド一族からお金を借りて
いたように、ロスチャイルド一族は戦争を格好のビジネスにして
いるのです。したがって、彼らから資金援助を受けると、結果と
して戦争に導かれることになります。
 そういう意味で、米国のウッドロー・ウィルソン大統領は、ロ
スチャイルドの仕掛けによって第一次世界大戦に米国を巻き込ん
だといえるのです。米国は、第一次世界大戦のときも、第二
次世界大戦のときも国民の反対によって参戦していなかったのに
“ある巧妙な仕掛け“によって参戦させられているのです。
 第一次世界大戦が始まったのは1914年のことですが、その
前年の1915年のこと、アイルランド沖を航行していた英国船
籍の客船ルシタニア号がドイツ海軍のUボートから発射された魚
雷によって沈没するという事件があったのです。
 これによって米国人128人を含む1198人が犠牲になった
のです。この事件により、戦争とはいえこのドイツの“野蛮な”
攻撃に対して、中立であった米国議会が反ドイツのムードになっ
ていったのです。
 しかし、米国の参戦を決定づけたのは、ある電報の傍受に成功
したことによります。その電報は「ツィンメルマン電報」という
のですが、ドイツ帝国の外務大臣、アルトゥール・ツィンメルマ
ンからメキシコ政府に宛てた電報なのです。それは、次のような
内容です。
―――――――――――――――――――――――――――――
 もし、米国が参戦するなら、ドイツ帝国はメキシコと同盟を結
 ぶ意思がある。米国へのメキシコの先制攻撃はドイツがサポー
 トする。大戦でドイツが勝利した場合は、テキサス、ニューメ
 キシコ、アリゾナの3州はメキシコに返還する。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ドイツ政府にとって不幸だったことがもうひとつあります。そ
れはミュンヘンのメダル業者がルシタニア号の撃沈を祝うメダル
を制作してしまったことです。このことをドイツ政府は、英国の
新聞報道で知ったのですが、後の祭りだったのです。
 それにドイツは米国に対して無制限潜水艦攻撃を通告しており
当時の国際法としては、ルシタニア号は攻撃対象となっても仕方
がなかったのです。
 しかし、戦後になってとんでもないことがわかったのです。ル
シタニア号の積み荷には173トンもの弾薬が入っており、ドイ
ツは事前に米国に対して「船には乗るな」という警告をしていた
のです。そこには積み荷の目録も付いていたのです。
 ところが、ウィルソン大統領はあくまで積み荷の件は認めず、
目録は開封禁止にし、財務省の倉庫に隠したのです。つまり、大
統領は何もかも知っていて、米国人がルシタニア号に乗るのを禁
止しなかったことになります。
 1918年にドイツは、ウィルソン大統領の「14ヶ条の平和
原則」の提案を受け入れて、休戦が成立したのです。この提案の
中にあった国際平和機構が後に「国際連盟」になり、現在の国際
連合になるのです。しかし、ウィルソン大統領の提案であるとい
うことは、そこにもロスチャイルド一族の影が見え隠れすること
になるのです。
 1919年の戦後賠償問題を取り決めるパリ講和会議において
も不可解なことがあったのです。というのは、会議へ臨むウィル
ソン大統領の顧問団は、ウォール街の銀行家と国際共産主義者か
ら構成され、驚くことに米国の議員は民主党員さえ同行していな
かったからです。
 その講和会議において、この戦争の敗戦国であるドイツに課せ
られた戦時賠償金は実に1320憶マルク――当時のドイツのG
DPの約3倍という過酷なものでしたが、その支払い先はモルガ
ン商会だったのです。それは、英国が戦争のためにモルガン商会
から多額の借金をしており、ドイツからの賠償金はその返済に直
接あてられたからです。
 このような巨額の賠償金が戦争で疲弊したドイツに払えるはず
がないのです。賠償金を支払うため、ライヒスバンクは国債と交
換に通貨を乱発し、遂にハイパーインフレが起きてしまいます。
1923年になると、物価はなんと20憶倍に跳ね上がってしま
い、このインフレがヒトラー政権の誕生につながるのです。
 米国のシンクタンクの中でひときわ有名なものに外交関係評議
会――CFRというのがあります。このCFRの起源は、前期の
「パリ講和会議」――第一次世界大戦の戦後処理を目的として開
かれた会議に遡るのです。
 実はこの会議は、戦後処理のいくつかのオプションを提示する
目的で結成されたプロジェクトであり、実際にパリ講和条約にメ
ンバーは出席しているのです。しかし、そのときは彼らの提案は
ウィルソン大統領には取り上げてもらえなかったのです。
 一方、セオドア・ルーズベルト政権の時の国務長官エーリッヒ
・ルートが中心になって、外交関係評議会(CFR)という似た
目的を持つ組織が1918年6月に発足していたのです。結果と
して、パリ講和会議に出席したプロジェクトとこのCFRが合体
して、1921年7月29日に新生CFRとなったのです。
 そのCFRの初代会長はあのポール・ウォーバークであり、そ
の創設会議には、ジェイコブ・シフ、J・P・モルガン、アヴァ
レル・ハリマン、ジョン・D・ロックフェラー、ウォルター・リ
ップマン、ジョン・フォスター・ダレス、アレン・ダレス、クリ
スチャン・ハーターなどの錚々たるメンバーが集結したのです。
 こういう重要な会議やプロジェクトのメンバーには、ロスチャ
イルド、ロックフェラー一族がちゃんと入っているのです。CF
Rは現在でも米国政権の国際・外交問題に大きな影響を与えてい
るのです。そして、米国政権の要職の多くに、このCFRのメン
バーが就いています。なお、CFRは「フォーリン・アフェアー
ズ」という外交評論誌を有しており、いつも大胆な議論がそこに
展開されています。          ― [金の戦争/10]


≪画像および関連情報≫
 ●豪華客船/ルシタニア号について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  1907年の就航当時は世界最大最高速の画期的な豪華客船
  であった。大西洋横断を5日以下に縮め、平均速力が25ノ
  ットを越えた最初の船で、姉妹船のモーリタニア号は技術革
  新が猛烈なスビードで進んだ20世紀前半に大西洋横断速度
  記録(ブルーリポン)を22年間保持し続けた。また、主機
  に当時まだ実験段階の粋を出ていなかった蒸気タービン機関
  を採用した初めての大型船でもあった。建造に当たっては、
  国家有事の際に軍に徴用される事を前提に、政府から多額の
  補助金が交付されていた。そのため、高い防水隔壁や縦通隔
  壁など、当時の客船としては水密区画が整備されていた。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

ルシタニア号.jpg
posted by 平野 浩 at 04:18| Comment(1) | TrackBack(0) | 金の戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
常識的に考えて下さい。

戦争で利益を得る武器商人の立場に立てば、戦争がダラダラと長引く方が好ましいわけです。

WW1の展開、独墺土と英仏露の戦力が均衡して長期戦になるというのは武器商人にとっては理想的な展開です。

米国を参戦させれば、均衡が崩れ、終戦が早まります。

武器商人にとっては下策です。
Posted by 探求者 at 2008年06月22日 00:48
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック