2008年06月12日

●「トリフィン・ジレンマ」と松井理論(EJ第2345号)

 前回のEJでお話しした「トリフィン・ジレンマ」のトリフィ
ンとは、ロバート・トリフィンというベルギー生まれのイェール
の経済学者です。ブレトン・ウッズ会議でのケインズ理論に関連
する国際金融政策で有名になった人です。
 この世界の学界で通説となっているといわれる「トリフィン・
ジレンマ」について真正面から堂々と異を唱えている日本人の学
者がいます。この学者は、民間銀行出身で、途中から学界に入っ
た松井均氏――東京国際大学教授です。松井理論は今回のテーマ
にも深い関係があるので、既出の谷口智彦氏の著書をベースにし
てご紹介することにします。
 「トリフィン・ジレンマ」――正確には「流動性ジレンマ論」
というのですが、松井均氏はこれを「誤謬の学説」であるとし、
第2次大戦後の米国に、国際収支節度から逸脱する絶好の理論的
口実を与えたと批判しているのです。
 「流動性ジレンマ論」が展開されるトリフィンの主著とは、次
の書籍です。邦訳も出ています。
―――――――――――――――――――――――――――――
       ロバート・トリフィン著/小島清・村野孝共訳
  『金とドルの危機/新国際通貨制度の提案』/勁草書房刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 この本の共訳者の小島清氏と村野孝氏といえば、斯界の大御所
的存在の人ですが、松井均氏は彼らの「流動性ジレンマ論」につ
いて、次のように批判しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 たとえば、小島氏は。基軸通貨米ドルが米国の経常収支赤字の
 みによって世界に供給され、しかもそれが基軸通貨制なかんず
 く単一基軸通貨の制度的必然であったと考えておられる・・。
 これは、国内金融にたとえて言うならば「国内で最も大手の市
 中銀行が毎期の損益計算書において営業赤字を記録しなければ
 預金通貨は市中に供給され得ない」と主張するに等しい。
        ――谷口智彦著、『通貨燃ゆ/円・元・ドル・
         ユーロの同時代史』より/日本経済新聞社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 これについて松井均氏は、基軸通貨国は流動性(決済資金)を
供給する市中銀行のように、短期融資や貿易信用供与によって、
世界経済の成長に必要な通貨を供給できるし、それによって赤字
を計上しなければならない必然性など、どこにもないというので
す。松井理論を要約すると、次のようになります。
―――――――――――――――――――――――――――――
 基軸通貨制とりわけ単一基軸通貨制であっても、基軸通貨国が
 国際収支の節度を守り、・・・基礎収支を均衡ないし黒字に保
 ち、派生的発行(短期貸付け)によって基軸通貨を対外供給す
 れば、基軸通貨の信認維持と対外供給量拡大とは両立可能であ
 り、ジレンマが生ずべき必然性は存在しない。
        ――谷口智彦著、『通貨燃ゆ/円・元・ドル・
         ユーロの同時代史』より/日本経済新聞社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 この松井理論――1990年代末〜2000年代初頭にかけて
日本で実施された金融の「量的緩和」政策の是非をめぐる議論に
おいても登場したのです。
 2000年の前後において、日本ではデフレが進行しており、
その対策として、大方のエコノミストは「マネーの総量を増やす
政策」をとるべきであると主張したのです。
 問題は、マネーの総量を増やす政策のマネーとは、どういうマ
ネーなのかということをめぐって、経済学者と日銀・銀行エコノ
ミスト意見は、次の2つに分かれたことです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1.ここでいうマネーは「ベースマネー」のことであり、日銀
   がそれを行うべきである ← 通貨学派
 2.企業などの民間経済主体の経済行為によって生み出される
   マネーを増やすのである ← 銀行学派
―――――――――――――――――――――――――――――
 両学派の意見は噛み合わず、実際に行われたのは日銀当座預金
残高を積み上げる――要するにベースマネーの積み上げに目標を
定める「量的緩和」政策が長く続くことになったのです。しかし
その効果については今一つ不明確のままになっています。
 これに対して松井理論――銀行学派の考え方は、具体性であっ
てわかりやすいのです。松井均氏によると、近代的な金融市場に
おける通貨発行の順序は「まず、預金通貨が発行され、その後に
現金通貨――ベースマネーが発行されるのであって、その逆はあ
り得ない」というのです。
 しかし、実際に行われたのはその逆の方であり、預金通貨の発
行に結びつかなかったのです。松井均氏は、マネーの総量を増や
すには、例えば、市中銀行が積極的に必要な短期融資などを行い
持ち込まれた手形が銀行によって割り引かれ、手形を持ち込んだ
企業の預金口座に融資相当残高が増えたとき、預金通貨はつくら
れたのです。中央銀行からのベースマネーが供給されるのはその
後のことであるべきというのです。
 この松井理論に立つと、米国は基礎収支――いわゆるプライマ
リーバランスを健全に維持しながら、フルに銀行機能を発揮する
ことによって、世界に成長・決済通貨を供給する基軸通貨国とし
ての責任を果たせることになります。つまり、ニクソン・ショッ
クは防げたかもしれない――松井氏はこう主張するのです。
 しかし、これはあくまで学者の理論上の話であって、理論的に
どんなに誤りがあったとしても、当時の米国の指導者――すなわ
ち、政治家たちの間では、トリフィンの「流動性ジレンマ論」は
幅広く信じられていたのです。
 まして、ブレトン・ウッズ体制は、今と違って金の裏付けのあ
るドルを扱っており、堅実そのものと考えられます。それでも崩
壊した理由は何なのでしょうか。    ― [金の戦争/04]


≪画像および関連情報≫
 ●「ベースマネー」とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ハイパワードマネーとは、現金通貨と民間金融機関が保有す
  る中央銀行の預け金の合計のこと。日銀の統計では、マネタ
  リーベースと呼ばれており、実際に金融業界でもこの名称が
  使われる。ベースマネーとも呼ばれる。現金通貨とは、日銀
  券と硬貨の合計であり、中央銀行の預け金としては、金融機
  関が保有している日銀当座預金残高がこれに当る。マクロ経
  済学の教科書では、中央銀行はこれをコントロールすること
  によって、間接的にマネーサプライを調節することができる
  ため、金融政策の一つの指標とされている。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

谷口智彦氏の「通貨燃ゆ」.jpg
posted by 平野 浩 at 04:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 金の戦争 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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