2023年11月10日

●「初めてゼロ金利を実施した速水総裁」(第6043号)

 2023年11月8日付の日本経済新聞に「隠れ円安」が取り
上げられています。「隠れ円安」とは何でしょうか。該当記事の
リードを再現します。
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◎対ドル以外円安止まらず 円キャリー取引が拡大
 対ユーロで15年ぶり安値圏 対シンガポール38年ぶり
 外国為替市場で、円が米ドル以外の通貨に対して下落する「隠
れ円安」が進んでいる。対ユーロでは約15年ぶり安値圏、対シ
ンガポールドルではおよそ38年ぶりの安値圏に沈む。投資家心
理の重荷だった米金利の上昇が一服し、低金利の円を借りて高金
利通貨で運用する「円キャリー取引」が拡大。弱い円は当面続く
との見方が目立つ。
       ──2023年11月8日付、日本経済新聞より
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 円は、10月31日には「1ドル=151円74銭」と、今年
最安値をつけたものの、7日の東京外国為替市場では「1ドル=
150円近傍」で推移するようになっています。この1円以上の
円高水準によって、少なくとも日米金利差の拡大は一応止まった
ものと考えてよいと思います。
 しかし、それはドルに対してのものであり、他の通貨に関して
は安値更新が相次いでいます。これが「隠れ円安」です。この傾
向に対して、野村証券・後藤祐次郎チーフ為替ストラテジストは
次のように述べています。
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 為替を含めた市場のボラティリティー(変動率)が低下したこ
とで、円キャリー取引の魅力が上がった。
       ──2023年11月8日付、日本経済新聞より
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 ここで「円キャリー取引」について知る必要があります。これ
に関しては、少し歴史を振り換える必要があります。「ミセス・
ワタナベ」についても触れる必要があります。
 日本がデフレに入る直前の1998年夏のことです。このとき
マクドナルドはハンバーガーを平日限定で65円に値下げしてい
ます。同社のハンバーガーの価格は、1995年時点で210円
だったので、来日3年で70%も価格を下げたことになります。
 ちょうどその頃、ユニクロが原宿店を出して1900円のフリ
ースを全国的なブームに仕立てています。この価格破壊に消費者
は、大行列を作ったものです。
 一見「良い物価下落」に見えますが、そうはならなかったので
す。なぜなら、賃金まで下がってしまったからです。当時の消費
者物価指数は、前年同月比で、マイナス0・1%に転落し、19
99年11月にはマイナス1・2%まで落ち込み、本格的なデフ
レに突入しようとしていたからです。当時の日銀総裁は、速水優
氏だったのです。
 この速水総裁がゼロ金利をはじめるに至るまでには、さまざま
なことがあったのですが、その経緯は後で述べることにして、速
水日銀は、1999年2月にゼロ金利政策を開始したのです。当
時の政策金利は0・25%であり、金利を下げる余地はきわめて
限られていましたが、政策金利は3月初旬には実質0%に到達し
ています。
 しかし、2000年8月11日、速水総裁は、ゼロ金利政策を
解除してしまうのです。デフレ脱却に関係のある経済指標のいく
つかが、持ち直していたからです。しかし、この8月11日の金
融政策決定会合では、審議委員の間で、多くの混乱があったとい
われます。そのなかから、速水総裁と山口泰副総裁と、反対意見
を述べた植田和男審議委員(現日銀総裁)の意見を以下に示すこ
とにします。
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◎速水優日銀総裁
 成長率が著しく高まることは期待しがたいと思うが、少なくと
も日本経済はデフレ懸念の払拭が展望できる情勢には至ったもの
と判断する。ゼロ金利政策を解除してコール金利を0・25%前
後で推移させるようにすることが可能かつ適当な段階に至ったと
考えている。
◎山口泰日銀副総裁
 需要の弱さによる物価の弱さは大体解消しつつある。物価が弱
含みで推移するなら、技術進歩要因とか流通構造の変化要因によ
る部分が大きい。
◎植田和男審議委員
 まだ大きな水準の需給ギャップが存在している。適正金利は若
干のマイナスか、ぎりぎりプラスになったぐらいの可能性を否定
できない。もう少しはっきりプラスになるまで、ゼロ金利を維持
する議論に魅力を感じる。          ──河浪武史著
         『日本銀行/虚像と実像/検証25年緩和』
                     日本経済新聞出版
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 情報によると、植田和男氏がこのときゼロ金利解除に反対票を
投じたことが、23年後の総裁指名のひとつの要素になったとい
われています。この速水総裁によるゼロ金利政策解除の意向につ
いては、当時の宮沢蔵相も事前に知っており、宮澤蔵相は周知の
審議委員に電話で政府は反対を申し入れたといわれます。
 しかし、金融政策決定会合では、ゼロ金利政策解除については
賛成7票、反対2票(中原委員、植田委員)の賛成多数で正式に
決まっています。
 この速水総裁による早すぎるゼロ金利解除について、結果責任
は免れなかったのです。政府の反対まで押し切って、強行したこ
ともあって、日銀には「金融緩和に消極的な中央銀行」のレッテ
ルが張られてしまったからです。そしてこれが黒田総裁の異次元
金融緩和まで延々と続くことになります。
           ──[物価と中央銀行の役割/053]

≪画像および関連情報≫
 ●禍根残したゼロ金利解除、緊迫の駆け引き明らかに
  日銀議事録
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   日銀は2011年1月27日、2000年7〜12月に開
  いた政策委員会・金融政策決定会合の議事録を公開した。同
  年8月に日銀は、政府の反対を押し切ってゼロ金利政策を解
  除。緊迫のやり取りが明らかになった。
   解除に向けて議論を先導したのは、議長の速水優総裁。非
  常措置のゼロ金利政策は、「条件がそろえば元に戻すのが当
  然。そうしないと市場のバイタリティーが出てこない」と持
  論を展開した。
   そごうが経営破綻した直後の7月は「少し間が悪い」(武
  富将委員)として解除を見送った。8月には株価が落ち着き
  を取り戻し「そごう問題の影響にも、一応見極めがついた」
  (藤原作弥副総裁)として議論が一気に加速。雇用・所得環
  境も改善し、多くの委員が、「デフレ懸念の払拭が展望でき
  るような情勢に至った」と判断。ゼロ金利解除の流れが決ま
  る。正副総裁を含む9人の政策委員のうち、解除に反対した
  のは中原伸之委員と植田和男委員。物価がプラスに転じてい
  ない段階での利上げに異を唱えた中原委員は、「デフレ懸念
  払拭」という抽象的な判断基準を痛烈に批判した。株価など
  を気にした植田委員を藤原副総裁が「できるだけ多くのひと
  の賛同を得たい」と勧誘する一幕もあった。
                     ──日本経済新聞
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速水優元日銀総裁.jpg
速水優元日銀総裁


posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 物価と中央銀行の役割 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする