ると、物価が上がり、生計費が上昇します。生計費とは生活者が
生活をするうえで必要になる経費のことです。生計費が上がると
生活をしていけなくなるので、労働者は雇用主に賃上げの要求を
出します。
企業が労働者の要求に素直に応じてくれるとは限らないので、
労働者は賃上げ実現のためにストライキを行ったり、それに応じ
てくれる企業に移ろうとしたりします。こういう動きが現在、欧
米で起きていますが、現在の日本では考えられない状況です。
しかし、昭和30年代後半から40年代にかけて、日本でもそ
ういう状況が起きていたのです。私が勤務していた生保会社では
さすがにストライキはしなかったものの、交通機関が長期ストラ
イキをしていて電車が動かないので、会社に何日も泊まり込んだ
りして、仕事をしたものです。
労働者の要求に対して賃上げを実施した企業は、人件費の増加
分を製品やサービスの価格に転嫁します。そうすると、物価がま
た上がって、生計費が増加し、労働者は企業に対して賃上げを要
求します。この繰り返しです。それに企業が応ずると、さらに物
価が上がり、高インフレが進行します。これを「賃金・物価スパ
イラル」といいます。
この「賃金・物価スパイラル」には、3つの条件が整うことが
必要であるとして、渡辺努東京大学大学院教授は、これについて
次のように述べています。
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賃金・物価スパイラルが起こるための基本的な要件は、インフ
レ予想の不安定化です。しかし、それ以外にもいくつかの条件が
必要で、それらが揃ったとき、スパイラルが起こることが知られ
ています。
第1の条件は、労働需要が旺盛であること、そして、それにも
かかわらず労働供給が増えずに労働需給が逼迫し、労働者の交渉
力が強くなっていることです。
第2は企業に関するものです。企業の価格決定力が強く、人件
費の増加分を価格に転嫁する能力をもつことが条件となります。
そして第3の条件は、企業が人件費増を価格に転嫁するか否か
を考える際に、ライバル企業も価格転嫁を行うと確信できること
です。
以上の3つの条件が揃ったとき、労働者は賃上げを要求し、企
業は賃上げを受け入れたうえで人件費増を価格に転嫁するという
ことを行い、スパイラルが生じます。
──渡辺努著/講談社現代新書/2679
『世界インフレの謎』
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しかし、日本の場合は、欧米とは大きく異なります。国際的に
見た場合、日本の賃金がどのような位置にあるのかご存知でしょ
うか。賃金の伸び率があまりにも低いのです。
世界の先進国で構成されるOECD(経済協力開発機構)加盟
国の名目賃金の2000年から2021年の伸び率で見ると、日
本は「−0・2%」で最下位です。同じ年度における実質賃金で
見ると、日本は「0・1%」で、最下位のメキシコ、ギリシャ、
スペイン、イタリアに次ぐビリから5番目です。日本はこんなレ
ベルに甘んじています。
内閣府の資料によると、「1991年=100」とする、20
20年の名目賃金と実質賃金の主要国の伸び率は次の通りです。
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名目賃金 実質賃金
米国 249・1 146・7
英国 243・4 144・4
ドイツ 200・5 133・7
フランス 181・7 129・6
日本 100・1 103・1
註:1991=100とした場合/内閣府資料
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名目賃金とは企業から従業員に支払われる金額のことです。こ
の名目賃金から消費者物価指数に基づく物価変動の影響を差し引
いて算出した金額が実質賃金です。2023年5月9日に厚労省
が発表した3月の実質賃金は、前年同月に比べ2・9%減少し、
12カ月連続のマイナスとなっています。基本給や残業代などを
合わせた現金給与総額は29万1081円で0・8%増加して、
15カ月連続のプラスでしたが、物価の上昇率に追いつかない状
況が続いています。
欧米では、賃金と物価が手を取り合って上昇していますが、日
本では、賃金と物価が手を取り合って凍り付いているのです。添
付ファイルをご覧ください。渡辺努教授の本に出ていたグラフで
すが、棒グラフは、賃金改定(ベースアップと定昇を含む)を行
わない企業の割合がどのように変化したかを表しています。19
75年から90年代前半までは、賃金改定を行わない企業の割合
は2〜3%で、ほとんどの企業は賃金改定を行っていたのです。
ところが1990年代後半になると、賃金改定を行わない企業
の割合が激増し、2000年の始めには、その割合が全体の25
%を超えています。しかし、2010年頃から、賃金改定を行わ
ない企業が減少し、2013年以降は顕著に減少しています。こ
れは、アベノミクスが寄与していると考えられます。
折れ線グラフは、賃金改定を実施した企業の平均賃金改定率を
表しています。目盛りは右です。しかし、賃金改定の幅は限定的
であり、せいぜい2%程度にとどまっています。これを見ると、
日本の場合、すべての企業の平均値が動かず、凍り付いているこ
とがわかります。
このような日本の賃金の実情は、どのようにしたら、変えるこ
とができるでしょうか。
──[世界インフレと日本経済/035]
≪画像および関連情報≫
●誤解が多すぎ「日本の賃金が上がらない」真の理由
宮川勉学習院大学経済学部教授
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日本の経済成長を議論するうえで、「生産性の低さ」は大
きな課題となっている。労働生産性を見ると、主要先進7カ
国(G7)で最も低く、OECDでも23位にとどまる。た
だ、生産性に対する誤解は少なくない。「生産性が低い」と
感じる人がいる一方で、「こんなに一生懸命働いていて、も
うこれ以上働けないくらいなのに、生産性が低いといわれて
も・・・」と思う人もいる。
はたして生産性とは何なのか、生産性を向上させるために
はどうすればいいのか。生産性の謎を解く連載の第3回は、
「生産性と賃金の関係」について、学習院大学経済学部教授
の宮川努氏が解説する。
日本経済の低迷が続く中で、「日本は生産性が伸びないか
ら、低迷が続いている」という議論が行われている。一方、
賃金もまた長期にわたって低迷を続け、2022年7月に行
われた参議院選挙の重要な争点の1つになった。
経済学者は、こうした長期にわたる賃金所得の低迷の背後
には必ず生産性の動向が関係していると考えているが、生産
性への言及は少ない。ここでは、この問題を労働生産性とい
う概念を使って簡単に説明し、生産性向上こそが賃金上昇の
王道であるということを述べたい。
https://toyokeizai.net/articles/-/629479
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賃金改定を行わない企業の割合