の王者であり、その世界シェアは50%を超えていた」と話すと
びっくりした顔をします。確かに、半導体における日本のシェア
が6%を切っている現状を見れば、「信じられない」と考えるの
は、むしろ自然であるといえます。
なぜ、50%を超えるシェアが6%になってしまったのか──
このことを振り返ってみることは、けっして無駄なことではない
と思うので、少していねいに考えてみることにします。原因は4
つあります。
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@日米半導体協定による米国の圧力
A垂直統合に固執し構造改革に失敗
B魅力的な製品を作り出せない資質
C内向きで海外企業の連携が少ない
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第1の原因は「日米半導体協定による米国の圧力」です。
そもそも半導体産業は、終戦直後の1947年のトランジスタ
の発明からはじまるのです。本格的にトランジスタの工業生産が
はじまるのは1950年代半ばからですが、このとき、日米では
その発展のしかたが大きく異なっており、自然に住み分けができ
ていたといえます。
トランジスタが発明される前は真空管が使われており、当時主
力の電気製品であるラジオは、現在の電子レンジぐらいの大きさ
だったのです。ソニーをはじめとする日本のメーカーは、真空管
の代わりにトランジスタを使うことによって、弁当箱程度の大き
さの小型ラジオを製作したところ、これが世界的に大ヒットし、
日本の花形輸出商品になります。
これに続いて、日本の家電メーカーは、白黒テレビ、カラーテ
レビ、VTRもトランジスタを使って、真空管式よりはるかに良
いものができるようになり、それが後のソニーのウォークマンな
どにつながっていきます。その結果、半導体を使った家電製品は
日本の独壇場になり、世界中を席巻したのです。
これに対して米国の半導体産業はどうかというと、軍事用にシ
フトし、ミサイルやロケットにトランジスタを使うことによって
軽量化を実現させ、遠くまで飛ばせるようになります。1958
年にはトランジスタに続いてIC(集積回路)が発明され、これ
が主流になります。集積回路は爪ぐらいの大きさにトランジスタ
を何百個も搭載することができ、これによって、米国のアポロプ
ロジェクトでは、有人宇宙船の制御システムとしてICが数多く
搭載され、その結果として、人類は無事に月に降り立つことがで
きるまでになったといえます。
このように、「日本は家電用/米国は軍事用」という住み分け
ができていたので、この頃は貿易摩擦などは起きなかったし、米
国は日本を警戒していなかったのです。1960〜1970年代
のことです。
しかし、1971年にインテル社がコンピュータに搭載される
DRAMというメモリを開発し、日本でも生産しはじめるように
なって、日米間の確執がはじまります。DRAMは、1キロビッ
トからはじまり、それが4キロビット、16キロビットと、約3
年ごとに4倍ずつ増えるのですが、16ビットまでは米国がりー
ドしており、日本など眼中になかったといえます。しかし、64
ビットになると日本が追いつき、日本が米国をリードするように
なります。
米「フォーチューン」誌は、DRAMにおける日本の発展につ
いて、1981年に2回にわたり、次の特集記事を掲載し、米国
に警戒を促し、これによって米国に大ショックを与えたのです。
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「日本半導体の挑戦」 1981年 3月
「不吉な日本半導体の勝利」1981年12月
──「フォーチューン誌」
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フォーチューン誌の3月の記事には、シリコン・ウェハーに擬
した土俵上で関取(日本人)とレスラー(米国人)がにらみ合っ
ているイラストが描かれていましたが、そのイラストを添付ファ
イルにしてあります。
このフォーチューン誌の記事がきっかけになり、米国は「日本
はダンピングをしている」という難癖をつけ、米商務省が調査に
乗り出します。そして1986年9月に締結されたのが、「日米
半導体協定」です。その内容たるやひどいもので、不平等協定そ
のものであったといえます。日米半導体協定の重要条項をピック
アップすると、次の2つに要約されます。
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1.日本市場における外国製半導体の購入拡大
日本政府は、外国製半導体の国内のシェアをモニターし、
これを20%以上に拡大させるよう努力する。
2.日本製半導体製品のダンピングを防止する
日本政府は、日本の半導体メーカー各社に半導体のコスト
と販売データなどを4半期ごとに米国へ提出する。とくに、
DRAMとEPROMについては、米国政府がFMV(公正
販売価格)を決定して各メーカーに指示する。
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ふざけた話です。1つは、当時半導体における日本のシェアは
圧倒的で、日本国内での外国製品のシェアは10%ぐらいしかな
かったのです。それを倍の20%に引き上げよというのです。こ
の数値目標が日本の半導体産業の発展を阻むことになります。
2つ目はもっとひどい。重要半導体のDRAMとEPROMに
ついては、コストや販売データを日本に提出させたうえで、価格
については米国が決めるというのです。当時は中曽根康弘内閣の
時代ですが、国力の差とはいえ、なぜ、日本政府は、何もできな
かったのでしょうか。 ──[メタバースと日本経済/060]
≪画像および関連情報≫
●「米国は30年前と同じ」、日米半導体交渉の当事者がみる
米中対立
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「このままでは中国は八方ふさがりだ。まるで30数年前
と同じですよ」
こう話すのは元日立製作所専務の牧本次生氏。1986年
から10年間続いた日米半導体協定の終結交渉で日本側団長
を務めた、半導体産業の歴史の証人だ。米国と中国が繰り広
げる半導体をめぐる対立に日米半導体摩擦を重ね合わせる日
本人は多い。牧本氏は「ここで覇権争いに負けたら、中国は
30数年前の日本のように競争力がそがれるだろう」と警鐘
を鳴らす。
米国は2020年9月に華為技術(ファーウェイ)に対す
る輸出規制を発効し、中芯国際集成電路製造(SMIC)向
けの製品出荷にも規制をかけた。「『一国の盛衰は半導体に
あり』をよく理解している米国は、ファーウェイやSMIC
への禁輸など、中国のエレクトロニクス産業の生命線を絶と
うとしている」(牧本氏)
牧本氏は、最先端半導体の製造技術で中国に追いつかれな
いよう米国が神経をとがらせていることに注目する。微細化
に欠かせない露光装置を手掛けるオランダの装置メーカー、
ASMLの機器や技術が中国に渡らないよう、米国は19年
からオランダ政府に働きかけてきた。
https://bit.ly/3AFQ1HO
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1981年3月「フォーチュン誌」記事