2023年02月24日

●「スコープクローズというネックがある」(第5913号)

 三菱重工業の国産ジェット旅客機撤退の話の続きです。なぜ、
この事業についてEJが追及するかというと、ほとんど国家プロ
ジェクトに近いこの事業の失敗をこのままにしておくと、日本は
今後ジェット航空機というものを製作できなくなるし、「技術の
日本」の誇りに大きな傷がつくからです。
 この事業は、2008年に「三菱リージョナルジェット(MR
J)」としてスタートしましたが、2019年になって、名称を
「三菱スペースジェット(MSJ)」に変更しています。スター
トから11年後にプロジェクト名を変更し、その5年後に事業か
らの撤退を表明しているのです。
 それは、米国では「スコープ・クローズ」という航空会社とパ
イロット組合とが結ぶ労使協定があることを知りながら、三菱重
工がリージョナルジェットにこだわったからであるといえます。
 「スコープ・クローズ」とは何でしょうか。
 広大な領土を有する米国の航空業界では、大きな都市を結ぶハ
ブ(基幹路線)と、各地の小需要路線(スポーク)を結ぶ路線形
態である「ハブ・アンド・スポーク」をとっています。各地の小
需要路線に関しては、大手航空会社は、リージョナル航空会社に
運航の委託をしています。
 しかし、小需要路線のスポークでも、人気路線ができて利用者
が増えると、リージョナル航空会社は、大型航空機を使ってその
需要を満たそうとします。この現象は、大手航空会社のパイロッ
トたちの仕事をリージョナル航空会社に奪われることを意味して
います。
 そこで、大手パイロット組合は、自分たちの仕事を守るため、
リージョナル航空会社と話し合い、運航に関する制限事項を決め
ているのです。2016年12月1日に合意されたリージョナル
・ジェットへの制限は次のようになっています。
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       座席数:最大76席
    最大離陸重量:39トン(8万6000ポンド)
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 しかし、三菱重工のプロジェクトは、最初から座席数90席の
リージョナルジェット機(MRJ─90)を基本モデルとしてき
たのですが、2016年に上記の制限が決まり、座席数と重量の
制限をオーバーしてしまったのです。
 そこで、「MRJ─90」に関しては、2019年に制限の見
直し検討が行われるので、それに期待をかけると共に、制限が緩
和されない場合に備えて、「MSJ─70」を並行して開発する
ことにしたのです。このモデルは、座席数76席で、最大離陸重
量はギリギリでクリアしています。
 そして、2020年6月に、カナダのボンバルディアのCRJ
事業を買収しています。買収額は、5億5000万ドル(約57
6億円)といわれています。この頃には、6度目の商用初号機引
き渡し延期で「凍結」か「撤退」がささやかれていたにもかかわ
らずです。目的はMSJのアフターケアで、CRJのネットワー
クを活用するためです。
 この買収について、長年日本航空で機長を務め、現役当時ジャ
ンボジェットの乗務時間で、世界最長の記録を保持していた航空
評論家の杉江弘氏は、次のように述べています。
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 MRJでも、サポート体制には力を入れていくと一応言ってき
たものの、今回のCRJの買収劇を見ていると、当初から本当に
十分なサポート体制を構築できる計画があったのかと疑わざるを
得ない。ボンバルディア側は航空事業から手を引いて、今後は鉄
道事業だけに経営戦略を変更していこうとするなかで、三菱側の
CRJ事業の買収はいわば渡りに船であった。それだけに三菱側
としては、今回の買収によって今後コスト面で経営にどう影響を
与えるかという不安材料も加わったかたちである。
                  https://bit.ly/3EuwGM3
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 三菱重工にとって不幸だったのは、「三菱スペースジェット」
が最も重要な時期に、コロナ禍が重なったことです。新型コロナ
の流行により、東京五輪も延期になり、航空機需要が消滅したこ
とがMSJに追い打ちをかけたかたちです。
 三菱重工によるCRJ買収によって、リージョナルジェットの
分野では、ブラジルのエンブラエルと中国のARJが残ることに
なります。エンブラエルは、ブラジルの航空機メーカーであり、
世界第3位の旅客機メーカーでもあります。中国のARJについ
ては、中国国内でしっかりと、シェアを確保しています。
 大きなネックは、これら2社に対して、MSJは価格面では対
抗できないことです。MSJの50億前後という価格に対して、
エンブラエルは約35億円、中国のARJにいたっては30億円
前後の価格といわれます。ボーイング757〜800の価格が約
51億円といわれているので、価格が高すぎます。
 杉江弘氏は、この国産ジェット開発の失敗の原因の一端は、三
菱の「上から目線」と「秘密主義」も関係しているとして、次の
ように述べています。
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 私は2008年秋からエンブラエルのパイロット要員として、
県営名古屋空港にあるジェイエアで勤務を始め、翌2009年3
月より機長として乗務を開始した。一方、三菱航空機のMRJ生
産開発拠点はジェイエアの会社からわずか数百メートルの地にあ
った。そこで私が仮に三菱航空機のスタッフだとしたら、ライバ
ルのエンブラエルのことは当然気になり、それを実際に操縦して
いるパイロットや会社から参考になる話を聞こうとするはずであ
る。しかし、私を含め、同僚のパイロットやジェイエアの会社に
も一切のコンタクトはなかった。   https://bit.ly/3Z9ann8
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           ──[メタバースと日本経済/029]

≪画像および関連情報≫
 ●三菱重工業が国産ジェット開発を断念 → 日本が航空機を
  つくれない理由
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   三菱中工業が、国産初のジェット旅客機「スペースジェッ
  ト(SL、旧MRJ)」の開発を断念し、事業から撤退する
  ことを決めました。2008年に日本初のジェット旅客機を
  つくろうとしてスタートした開発プロジェクトは、15年の
  歳月をかけて失敗に終わったということです。
   日本は「ものづくり」が得意な国と言われます。特に乗り
  物には定評があります。自動車にしても鉄道にしても船にし
  ても、日本のメーカーがつくるものは品質がいいといわれて
  世界で高い評価を受けています。ただ、航空機は世界で存在
  感がまったくありません。
   旅客機はアメリカのボーイング社とヨーロッパのエアバス
  社が世界の2強で、日本の航空機産業はボーイング社の下請
  けに甘んじているケースがほとんどです。そうした現状を打
  破しようとしてスタートしたのが旧MRJプロジェクトでし
  たが、結局、打破できませんでした。どうして日本の航空機
  産業は自前の旅客機をつくれないのでしょうか。
   その原因を探るため、日本の航空機産業の歴史を振り返っ
  てみましょう。日本の航空機産業は軍用機の開発からスター
  トしました。第1次世界大戦で航空機が威力を発揮したこと
  から、日本も軍用機の開発に力を入れ始めました。第2次世
  界大戦が始まると、開発に拍車がかかり、名機と言われる戦
  闘機が次々に太平洋戦争に投入されました。
                  https://bit.ly/3SnmECj
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航空評論家/杉江弘氏.jpg
航空評論家/杉江弘氏
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | メタバースと日本経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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