2022年11月22日

●「ライバルに力を与える戦略/MS」(第5859号)

 サティア・ナデラ氏がCEOに就任したとき、ITの世界では
次の2つのことが起きていたのです。これについては、昨日触れ
ましたが、再現します。
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          @デバイスの多様化
          Aクラウド化の拡大
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 2007年6月29日、アップルはアイフォーンを発売。名前
は、世界的に大ヒットしたデジタルオーディオプレーヤー「アイ
ポッド」にちなんで付けた名称です。このアイフォーンについて
バルマーCEOは、単に批判するだけでなく、マイクロソフトの
デベロッパーたちを囲い込むことによって、アイフォーンのエコ
システムへの参入を阻止しようとしたのです。それでも、もし、
デベロッパーたちがアップルと組んだら、今後、マイクロソフト
関連の仕事はそのデベロッパーには一切させないようにすると圧
力をかけています。
 ここで「エコシステム」というのは、一つの製品を作るために
多くの企業が協業することが必要ですが、そういう協業のシステ
ムをエコシステムといいます。アイフォーンの場合、内蔵カメラ
やスクリーン、組み立て、アプリ、販売などをそれぞれの企業が
担当しなければなりませんが、そういう協業のシステムを「エコ
システム」と呼んでいます。元来の意味は、生態系を表す用語で
同じ領域で暮らす生物や植物が、お互いに依存しながら生態系を
維持している仕組みのことを指していう言葉です。
 バルマーCEOのやったことは、アップルを敵とみなして攻撃
し、相手の息の根を止めるというマイクロソフトの従来の戦略で
す。ナデラ氏もそのとき、それはそれで正しいと考えていたとい
います。しかし、アイフォーンは、15億台近くが販売され、ア
プリ開発者とアクセサリーメーカーのための巨大ビジネスを生み
出し、われわれの生活を一変させた驚異のマシンです。
 既にそのとき、従来のマイクロソフトの戦略は機能不全に陥っ
ていたといえます。これについて、プレジデント・オンライン誌
は、バルマー時代のマイクロソフトについて、次のように批判し
ています。
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 フォーブス誌は「バルマー氏は、今日のアメリカの大手上場企
業の中で最悪のCEOだ」と断じた。同様の評価をしていたのは
フォーブス誌だけではないだろう。彼の攻撃的な自分以外はすべ
て敵とみなすような態度のせいで、マイクロソフトは、スマート
フォン、ソーシャル・メディア、クラウドなどが中心となる時代
に乗り遅れた。彼の任期中に起きた大きな変化にはすべて乗り遅
れたと言ってもいいだろう。もちろん、ITのように変化の速い
業界で企業を経営していれば、失敗はつきものだが、それにして
も失敗が多すぎた。
 問題はただ新しい発想を排除したことだけではない。バルマー
は元来、極めて知的能力の高い人だ。ビル・ゲイツと同じくハー
バード大学出身で特に数学には秀でた才能を発揮した。また、大
変な読書家でもある。平静な時には、すぐに怒りを露わにする自
分を恥じることもあった。強い気持ちがつい表に出てしまうこと
があるのだと自己弁護をしてはいたが・・・。
 だが、本人がいくらあとで悔やもうと、招いた結果が変わるこ
とはない。バルマーがCEOを退任すると発表した日、マイクロ
ソフトの株価は、一気に7・5パーセントも上昇した。
                  https://bit.ly/3At9XxS
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 このバルマーCEOの失敗からナデラCEOは多くのことを学
んでいます。現代はデバイスが多様化しています。いいかえると
「PCからスマートフォンへ」という流れができているのです。
以前はスマホを使う人はPCを持っていたのですが、今ではスマ
ホだけしか持っていない人も増えています。
 この流れが読めていれば、マイクロソフトは、ハードウェアに
は手を出さず、ソフトウェアで勝負すべきであったといえます。
もともとPCのOSで90%以上のシェアを持つマイクロソフト
ですから、マイクロソフトと組めば、その企業は多くのメリット
が得られるはずです。
 創業者のビル・ゲイツ氏は、「マイクロソフトはソフトウェア
の企業である。ハードウェアに手を出すべきでない」というスタ
ンスです。それにもかかわらず、バルマーCEOは、タブレット
としても使えるノートPCの「サーフェス」の開発を行っていま
す。この件で、バルマーCEOは、ビル・ゲイツ氏と意見の対立
があり、不仲になったともいわれています。
 ナデラCEOは、マイクロソフトのソフトウェアを生かすこと
によって、「ライバルに力を与える」戦略に打って出ることを決
め、自らシリコンバレーを訪れ、競合他社のエンジニアたちと会
い、次々と提携を結んでいったのです。とくに長年のライバルで
あるアップルとの提携は注目されます。
 アイフォーンよりも良いハードウェアを作るという従来の戦略
を止め、アイフォーン向けのアプリを作り、アイフォーンでマイ
クロソフト製品を多く使ってもらう戦略に切り換えたのです。こ
れは営業戦略の大転換です。アップルのマックPCやアイパッド
でもマイクロソフトのソフトウェアが使えるようにするだけでな
く、ウインドウズをゲーム機のOSにも、IоTのOSとしても
使えるようにしたのです。
 このことは、マイクロソフトを潤すだけでなく、ライバルにも
力を与えることになります。マイクロソフトはPCのOSで90
%以上のシェアを持つ世界最大のソフトウェア会社であり、他の
企業とのコラボレーションは、相手企業にも多くのメリットを与
えることになるからです。これは、従来のマイクロソフトでは、
考えられないほどの戦略転換であるといえます。
           ──[ウェブ3/メタバース/035]

≪画像および関連情報≫
 ●インド頭脳に未来を託す――マイクロソフトなどグローバル
  企業のトップ人事
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   米国のマイクロソフトが2月初め、新しいCEO(最高経
  営責任者)としてインド生まれのサトヤ・ナデラ(46)を
  抜擢した。グローバル企業の間で、インド系の経営者をトッ
  プに起用する人事が増えており、「CEOはインド最大の輸
  出品」(タイム誌)とも言われている。その半面、インド本
  国の経済が伸び悩んでいることから、人材の国外流出に懸念
  も出ている。
   上級副社長からCEOに昇格したナデラは、今ではIT企
  業がひしめくインド南部のハイテク都市、ハイデラバードに
  生まれた。幼いころは腕白なクリケット好きの少年だった。
  父は上級国家公務員で、マンモハン・シン首相のもとで政府
  の計画委員会の幹部として働いていた。その家庭でエリート
  教育を受け、大学で電子工学を専攻したが、コンピューター
  工学を学ぶ環境は不十分だったため、1980年代後半に米
  国に渡った。「技術で世界を変えたい」という情熱に駆り立
  てられた。
   ウィンスコンシン大学で学んだ後、最初に入社したのは、
  当時、汎用コンピューターから小型化する「ダウンサイジン
  グ」の波に乗っていたサンマイクロシステムだ。同社の創業
  メンバーでインド生まれのIT技術者、ヴィノッド・コスラ
  の存在が若いナデラの事業欲に強い影響を与えた。ナデラは
  1992年にマイクロソフトに転じた。西海岸のシアトルに
  ある本社に勤めながら、休暇をやりくりしてシカゴ大学でM
  BA学位を取得し、技術系経営者の道をひた走った。
                 https://bit.ly/3ErH9Ht
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サーフェス・スタディオ2+.jpg
サーフェス・スタディオ2+
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ウェブ/メタバース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする