2022年11月11日

●「日の丸半導体の大躍進の80年代」(第5852号)

 「日本はかつて製造業において、見事なまでイノベーティブで
あった」──スティーヴン・ヴォ―ゲル教授の言葉です。教授は
例として、トヨタ式の自動車製造モデルを上げていましたが、そ
れだけではないのです。1980年代から1990年代は、半導
体の分野においても日本の天下だったのです。
 添付ファイルをご覧ください。これは1971年から1996
年までの半導体メーカーの売上高ランキング(ベスト10)を示
したものです。1986年、1989年、1992年、1996
年のベスト5を以下に示します。日本勢が圧倒的です。
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     1986年 1989年 1992年 1996年
  1位   NEC   NEC  インテル  インテル
  2位    日立    東芝   NEC   NEC
  3位    東芝    日立    東芝 モトローラ
  4位 モトローラ モトローラ モトローラ    日立
  5位    TI   富士通    日立    東芝
         註:TI:テキサス・インスツルメント社
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 1970年代から1980年代にかけて、半導体製造における
日本企業の進出は驚くべきものだったといいます。日本勢──N
EC、日立、東芝、富士通の各社は、まさに破竹の勢いで驀進し
米国のモトローラ、フェアチャイルド、テキサツインスツルメン
トを駆逐し、上位独占を果たしています。
 実は、その中にインテルも入っています。そもそもインテル社
は半導体メモリの分野で先行し、世界初のSRAMとDRAMを
製造しています。
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      ◎1969年 4月
       世界初のSRAM3101を発表
      ◎1970年10月
       世界初のDRAM1103を発表
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 しかし、インテルは1985年10月にDRAM事業から撤退
し、CPUの開発・生産に経営資源を集中しています。撤退の理
由は、日本企業の怒涛のような進出です。当時の日本企業はそれ
ほど強かったのです。
 インテルという企業は、1968年7月18日、フェアチャイ
ルドセミコンダクタを退職したロバート・ノイス、ゴードン・ム
ーアらが設立し、3番目の社員として入社したのがアンドルー・
グローヴです。当初は半導体メモリを主力製品とし、磁気コアメ
モリの置き換えと駆逐を目的としたのです。
 それがどうして半導体メモリから撤退することを決断したのか
について、今では入手不能のゴードン・ムーア氏の著書『インテ
ルとともに──ゴードン・ムーア/私の半導体人生』(日経BP
M)に次のように記述されています。きわめて示唆に富む内容で
あるので、少し長いがご紹介します。
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 85年の初めのことだ。グローブ社長といよいよDRAM工場
を着工するかどうか、最終的な話し合いをすることになった。グ
ローブ社長は私に、「もし、あなたがインテルを経営するために
外部からスカウトされてきた経営者だったとしたら、DRAMへ
の投資をするだろうか」と尋ねてきた。
 「いいやそうはしないだろう」。私はこう答えた。「私もそう
だ」。グローブ氏もこう言い、インテルのDRAMからの撤退が
決まった。決断は本当につらかった。繰り返しになるが、DRA
Mこそインテルの第一歩だった。それに誰だって劣勢に立たされ
た市場から撤退することを望むはずもない。市場でとても高い評
価を得てもいた。しかしわれわれには明らかによりビジネス的に
魅力のある他の製品があったし、DRAM生産にそれほど大きな
投資をするだけの条件も揃っていなかった。一定のシェアを確保
して大手の一角に人らなければ、事業に関わるメリットはないと
判断せざるをえなかった。
 米国には80年代半ばまで8社のDRAMメーカーがあった。
日本企業の攻勢と半導体不況で1社、また1社と撤退に追い込ま
れていった。インテルもこの「撤退組」の仲間入りをすることに
なった。
 米企業で踏みとどまったのは、DRAM専業で選択肢のなかっ
たマイクロン・テクノロジーとDRAM生産の中核部隊を日本に
移していたテキサス・インスツルメンツの2社だけとなった。
           ──ゴードン・ムーア著/日経BPM刊
/『インテルとともに──ゴードン・ムーア/私の半導体人生』
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 日本勢の進出によって名だたる米国の半導体メーカーが次々に
撤退に追い込まれる──GAFAに席巻されている日本企業しか
見ていない現代の若い人の知らない出来事です。2000年以前
にはこんなことがあったのです。
 スティーヴン・ヴォ―ゲル教授がいう「日本はかつて製造業に
おいて、見事なまでイノベーティブであった」というのは、この
ことを指しています。
 しかし、2000年以降の日本は、経済の面でも技術の面でも
サッパリで、デフレの底に沈んでいます。私は現在でもあるIT
企業で新入職員にIT技術を教えていますが、そのさいに、必ず
いっているのは「技術の歴史を調べよ」ということです。
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 優れたエンジニアになりたければ、技術の歴史について学ぶべ
きです。歴史とはいい換えれば「他人の経験」ですが、人間は言
語と想像力を駆使することにより、他人の歴史を疑似的に体験で
きるからである。
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           ──[ウェブ3/メタバース/028]

≪画像および関連情報≫
 ●日本の半導体はなぜ沈んでしまったのか?
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   1980年代にアメリカを追い抜き世界一だった日本の半
  導体はアメリカにより叩き潰され、その間、韓国が追い上げ
  た。土日だけサムスンに通って破格的高給で核心技術を売り
  まくった東芝社員の吐露を明かす時が来た。
   1980年代半ば、日本の半導体は世界を席巻し全盛期に
  あった。技術力だけでなく、売上高においてもアメリカを抜
  いてトップに躍り出、世界シェアの50%を超えたこともあ
  る。特にDRAM(Dynamic Random Access Memory)は
  日本の得意分野で、廉価でもあった。
   それに対してアメリカは通商法301条に基づく提訴や反
  ダンピング訴訟などを起こして、70年代末から日本の半導
  体産業政策を批判し続けてきた。
   「日本半導体のアメリカ進出は、アメリカのハイテク産業
  あるいは防衛産業の基礎を脅かすという安全保障上の問題が
  ある」というのが、アメリカの対日批判の論拠の一つであっ
  た。日米安保条約で結ばれた「同盟国」であるはずの日本に
  対してさえ、「アメリカにとっての防衛産業の基礎を脅かす
  という安全保障上の問題がある」として、激しい批判を繰り
  広げたのである。こうして1986年7月に結ばれたのが、
  「日米半導体協定」(第一次協定)だ。
                  https://bit.ly/2SzCr5g
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半導体メーカーの売上高ランキング.jpg
半導体メーカーの売上高ランキング
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | ウェブ/メタバース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする