策の是非が問われますが、そのベースになる経済学が間違ってい
るといわれています。したがって、現岸田政権が、日本経済を成
長させるために、「新しい資本主義」を内閣のメインテーマに取
り上げたことは間違ってはいないといえます。
しかし、この内閣の閣僚やそれを支える官僚には、間違った経
済学をベースに経済政策を実施しようとする財務省出身者があま
りにも多いので、その改革は期待できそうにはないのです。
主流派経済学者たちは、MMT(現代貨幣論)をトンデモ経済
学といってバカにしますが、主流派経済学にも大きな間違いがあ
ることは、多くの学者から指摘されています。しかし、それを修
正しようとはしないのです。このままでは日本はどんどん貧しく
なり、衰退してしまいます。主流派経済学者のなかにも革新派の
学者もいて、現在の経済学には問題があることを認めており、そ
れぞれ手厳しく論評しているので、そのいくつかを紹介します。
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◎サイモン・ジョンソン氏/IMFチーフエコノミスト
世界金融危機によって経済学もまた危機に陥っており、主流
派経済学とは異なる新たな経済理論が必要である。
◎ポール・クルーグマン氏/2008年ノーベル経済学賞受賞
過去30年間のマクロ経済学の大部分は、よくて華々しく、
役に立たなく、悪くてまったく有害である。
◎トマ・ピケティ氏/著作が有名
経済学という学問分野は、まだ数学だの、純粋理論的で、し
ばしばきわめてイデオロギー偏向を伴った憶測だのに対するガ
キっぽい情熱を克服できておらず、そのために歴史研究やほか
の社会科学との共同作業が犠牲になっている。
◎ポール・ローマー氏/2018年ノーベル経済学賞受賞
主流派経済学の学者たちは画一的な学界の中に閉じこもり、
きわめて強い仲間意識をもち、自分たちが属する集団以外の専
門家たちの見解や研究にまったく興味を示さない。彼らは、経
済学の進歩を権威が判定する数学的理論の純粋さによって判断
するのであり、事実に対しては無関心である。その結果、マク
ロ経済学は過去30年以上にわたって進歩するどころかむしろ
退歩したといえる。
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それでは、主流派経済学、いま世の中で最も主流とされる経済
学のどこが問題なのかについて、なるべくわかりやすく説明する
ことにします。なお、必要に応じて、前に述べた同じことを繰り
返すことがあるので、承知しておいてください。
中野剛志氏によると、何が問題なのかというと、主流派経済学
が「商品貨幣論」に立脚し「信用貨幣論」を認めないことです。
それでは、商品貨幣論とは何でしょうか。
それは世の中の多くの人々が考える貨幣論です。1万円札の原
価は22円から24円程度です。仮に30円としましょう。原価
が30円でしかないのに、1万円札が1万円の価値があるのは、
それが同じ価値のあるモノと交換できるからであり、そのように
人々が信じているからです。さかのぼると、それは「物々交換」
に行き着くのです。
経済学の標準的教科書である『マンキュー・マクロ経済学』に
は、貨幣について、次の記述があります。
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交換の際に皆が紙幣を受け取り続ける限り、紙幣には価値があ
り、貨幣としての役割を果たす。
──『マンキュー・マクロ経済学T/入門編』より
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これは、貨幣の説明としては、きわめて曖昧模糊であり、中野
剛志氏は、これについて、次のように厳しく批判しています。
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この主流派経済学の説が正しいとすると、貨幣の価値は「みん
なが貨幣としての価値があると信じ込んでいる」という極めて頼
りない大衆心理によって担保されているということになります。
そして、もし人々がいっせいに貨幣の価値を疑い始めてしまった
ら、貨幣はその価値を一瞬にして失ってしまうわけです。
https://bit.ly/3rCGVI3
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1万円札の話をしましたが、1万円札は貨幣です。しかし、銀
行預金も貨幣に含まれます。しかも、貨幣の大半を占めるのは、
現金よりもむしろ銀行預金のほうです。日本では、貨幣のうち現
金が占める割合は2割未満です。銀行預金は、給与の受け取りや
貯蓄、公共料金の支払い、クレジットカードの引き落としなどに
使われており、それは貨幣そのものになっています。
しかし、人々は貨幣というと、現金をイメージしてしまうもの
です。貨幣には「使用価値」というものがあります。使用価値と
いうのは、もし金であれば、置物に形を変えることができますし
貴金属なら自分を飾れます。もし、コメであれば、食べることが
できます。これは主流派経済学における「財」に近い概念である
といえます。
しかし、貨幣には、そのような使用価値はありません。ただし
貨幣は商品に交換できますが、商品が貨幣に交換できるという保
証はないのです。交換できると信じているだけです。したがって
貨幣はモノと交換できると信じる媒体になります。信用できない
状態になれば、ただの紙切れになります。
しかし、貨幣の大半は、いわゆる現金ではなく、銀行預金とい
うことになると、人々の考え方は変わってきます。ITデジタル
化が進むにつれて、人々は現金を使わなくなり、カードやスマホ
で決済をするようになります。事実そうなりつつあります。そう
なると、「貨幣=銀行預金」のイメージが強くなってくることは
確実です。現在はその過程にあります。
──[新しい資本主義/065]
≪画像および関連情報≫
●なぜ1万円札は「原価24円」なのにモノが買えるか説明で
きますか? ──佐藤 優氏
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それでは人為的に貨幣を作ることが出来るのであろうか。
これについては、肯定論と否定論がある。肯定論者はブロッ
クチェーン技術を使えば、仮想通貨を作ることができると主
張する。しかし、この見方は、恐らく間違っている。
筆者の貨幣観に大きな影響を与えたのは、ユニークなマル
クス経済学者の宇野弘蔵(1897〜1977年)だ。
マルクス経済学者というと、共産主義者であるという印象
が一般的だが、宇野はそうではない。宇野は、マルクス『資
本論』の理論を継承する者という意味でマルクス経済学者と
いう言葉を使っており、共産主義イデオロギーによって『資
本論』を革命の書として読む人たちをマルクス主義経済学者
と呼んで区別している。
宇野は、『資本論』の内容であっても、論理性が崩れてい
る箇所については修正すべきであると考える。その主張を初
めて展開したのが1947年に河出書房から上梓された『価
値論』だ。その後、青木書店から出た版が長らく読まれてい
たが(筆者も学生時代にこの版を読んだ)、現在はこぶし書
房から復刊されている。商品の交換を円滑に行うためには貨
幣が不可欠だ。
「貨幣による商品の購買は、その商品の販売者をしてふた
たびまた同じ貨幣による商品の購買を可能ならしめる手段を
あたえる。商品はつねに流通から消費にはいってゆくにすぎ
ないが、その価値は、貨幣として運動を継続してゆく」
https://bit.ly/3LVca8J
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ポール・ローマー氏