指針を振り返ります。米国は、西側からはNATO、南側からは
中東諸国との同盟、東側からは日米同盟の3方向からユーラシア
大陸を取り囲み、ユーラシア大陸にはいなくても、覇権国家とし
て、そこを事実上支配する──壮大な外交戦略です。
この外交戦略を壊したのは、ブッシュ(子)大統領です。20
01年9月11日のテロが起きると、ブッシュ政権は、確たる証
拠もないのに「イラクは大量破壊兵器を保有している」という情
報に基づいて、いきなり戦争を仕掛けたのです。中東諸国の民主
化を企てるという途方もない目標を掲げての戦争です。これは、
現在起きているロシアによるウクライナ侵攻に酷似しています。
イラクの侵攻については、父親のブッシュ政権も行っています
が、こちらは、十分な配慮をもって行っているのです。戦争の原
因は、イラクのフセイン大統領が、隣国クウェートに軍を侵攻さ
せたことにあります。
ブッシュ(父)大統領は、武力による侵略は黙認できないと考
えて、辛抱強く国際包囲網を築き、国連安全保障理事会決議とい
うお墨付きを得て、武力行使に踏み切っています。しかも、短期
間の戦闘でイラク軍をクウェートから追い出し、そこで軍事作戦
を止めています。米国の大統領としてきわめて思慮深い適切な対
応であったといえます。
しかし、ブッシュ(子)大統領は、本気でイラクのフセイン大
統領を潰しにかかったのです。しかも、国連安全保障理事会の許
可があるかどうか明確でないまま、イラクへの攻撃が行われたこ
とです。ブッシュ(父)大統領の慎重さに比べると、大きな違い
があります。
この戦争は、ブレジンスキーの戦略である「南側の中東諸国と
の同盟」を不安定にするだけの愚挙であったことは確かです。し
かも、肝心の大量破壊兵器は発見できなかったのですから、お粗
末の極みといえます。だからこそ、今回のロシアによるウクライ
ナ侵攻を猛烈に批判する米国に対し、ロシアは「イラク戦争で米
国も同じことをやっているじゃないか」と批判を返しています。
この米ブッシュ政権の愚挙に関して、真っ先に賛成したのは、
当時の日本の小泉政権です。
これに関して、中野剛志氏は、日本の対応について、次のよう
に厳しく批判しています。
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私は、2003年にイラク戦争が起こったときに、「これはま
ずい」と思いました。これで、アメリカの覇権国家としての寿命
が縮まる、と。
アメリカがフセインを叩き潰すのは簡単かもしれないけれど、
フセインがいることでなんとか均衡状態を保っていた中東は混乱
を極めて、泥沼状態になるに違いない。そうなれば、アメリカは
もっとはやく疲弊していくことになる。当時、私はイギリスのエ
ディンバラ大学に留学して、経済ナショナリズムの研究を深めて
いたこともあって、そう直観しました。
ところが、その頃、日本では、大多数の識者が「日米同盟が大
事だから、イラク戦争賛成」などと言ってましたが、「バカな・
・・」と思いました。アメリカの覇権が衰えればアメリカの一極
体制で最も恩恵を受けていた日本が最もまずいことになります。
本当はあのとき、日本は「日米同盟が大事だから、イラク戦争反
対」と主張すべきだったんです。 https://bit.ly/37gaVC9
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ブレジンスキーはかねてからこういっていたのです。「NAT
Oの東方拡大によってウクライナまでを米国の勢力圏に収める。
ロシアは西洋化し、無害化すればよい」と。エリツィン政権なら
それは十分可能であると考えたのでしょう。
しかし、ロシアでは、その後、プーチンが政権を握り、かつて
の軍事大国ソ連の復活をひそかに狙っていたのです。そのさい、
ロシアの立場に立つと、ポーランドやバルト3国まではNATO
加盟を何とか容認したものの、ウクライナのNATO加盟だけは
絶対に許せない限界だったのです。
なぜなら、ロシアにとって、もしウクライナが敵国に回ると、
黒海に出る道をすべて奪われてしまうし、もし、ウクライナにミ
サイルを置かれると、ロシアは米国によって本当に無害化されて
しまうと考えたからです。そこで、2014年にウクライナにお
いて、親ロシア政権が倒れ、親ヨーロッパ派による政変が起きた
とき、ロシアは慎重に作戦を練り、ウクライナに侵攻してクリミ
アを奪取したのです。今考えると、今回の事態は、プーチン大統
領の考え方に立てば、十分予測できたことであったといえます。
今回のロシアによるウクライナ侵攻について、米国の戦略の失
敗であると、中野剛志氏は次のように述べています。
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この結末を予測していたアメリカの要人もいました。たとえば
冷戦初期のアメリカの外交政策立案者で、ソ連の封じ込めなどの
戦略を立てたジョージ・ケナンです。彼は、1998年当時、N
ATOの東方拡大はロシアの反発を招くとして強く反対していま
した。しかし、アメリカは「攻撃的」な戦略をとってしまった。
そして、ウクライナ侵攻を目の当たりにしたブレジンスキーは、
「欧米諸国はウクライナをNATOに引き込むつもりはないとロ
シアに保証するべきである」と言わざるを得なくなったんです。
ヘンリー・キッシンジャーが「西側諸国はウラジミール・プー
チンのことを悪魔のごとく扱うが、そんなものは政策ではない。
政策欠如の言い訳に過ぎない」と断じましたが、結局のところ、
東ヨーロッパの現実を冷徹に見据えれば、ウクライナを西側陣営
に組み入れようとするのではなく、ロシアとの間の中立地帯とし
て、緩衝地帯におく「防衛的」な戦略が、賢明だったということ
です。 https://bit.ly/3LCZjIi
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──[新しい資本主義/062]
≪画像および関連情報≫
●ロシアはなぜウクライナに侵攻したのか?背景は?
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ロシアはなぜウクライナの軍事侵攻に踏み切ったのか?そ
の背景を、ロシアの外交・安全保障の専門家などに詳しく聞
くと、2つのキーワードが浮かびあがってきました。
@ 「同じルーツを持つ国」
A「NATOの”東方拡大”」
そもそもから、わかりやすく解説します。
それを知るカギは、30年前のソビエト崩壊という歴史的
な出来事にさかのぼる必要があります。
もともと30年前まで、ロシアもウクライナもソビエトと
いう国を構成する15の共和国の1つでした。ソビエト崩壊
後、15の構成国は、それぞれ独立して新たな国家としての
歩みを始めました。
これらの国では新しい国旗や国歌が制定されました。ソビ
エト崩壊から30年たっても、ロシアは同じ国だったという
意識があり、とりわけウクライナへの意識は、特別なものが
あると言われています。
ロシアの外交・安全保障政策に詳しい笹川平和財団の畔蒜
泰助主任研究員は、ロシアとウクライナの関係を考えるうえ
ではさらに歴史をさかのぼる必要があると指摘しています。
8世紀末から13世紀にかけて、今のウクライナやロシアな
どにまたがる地域に「キエフ公国=キエフ・ルーシ」と呼ば
れる国家がありました。 https://bit.ly/3qWCO91
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ジョージ・ケナン