2022年01月17日

●「クリントン大統領日本パッシング」(第5651号)

 第42代米国大統領、ビル・クリントンは、一時的にせよ、米
国の「双子の赤字」のうち、財政赤字を解消した実績を持つ大統
領ですが、その実績は意外に知られていません。しかし、それは
1991年12月のソ連崩壊による冷戦の終結がクリントン政権
を利したことについては、既に述べた通りです。
 しかし、このクリントン政権の外交は、日本人にとっては強い
不満があります。それは、1998年6月にクリントン大統領が
日本を訪れることなしに訪中したことです。クリントン大統領は
まるで日本にあてつけるかのように中国を「戦略的パートナー」
として持ち上げ、日本の経済政策を批判する一方で、日本とはハ
イレベルな接触を避けたことです。
 なぜ、クリントン大統領は、当時は第2の経済大国であった同
盟国の日本を軽視し、意図的に中国を持ち上げるような行動を、
とったのでしょうか。
 それは、クリントン大統領としては、日本のリーダーとの対話
にうんざりしていたことにあると考えられます。クリントンが大
統領であった1993年から2000年までの8年間に、日本の
首相は6人も変わっていることです。宮沢、細川、羽田、村山、
橋本、小渕の6人です。クリントン大統領は、羽田首相を除く5
人とは、首脳会談を行っています。
 このなかで、クリントン大統領が、おそらく一番骨のあるリー
ダーであると買っていたのは、細川護熙首相ではなかったと思わ
れます。就任期間が263日と短かったにもかかわらず、細川首
相は、クリントン大統領と3回の首脳会談を行っています。
 就任直後の1993年9月に国連総会出席の機会に、1993
年11月にAPEC出席の機会にシアトルで、そして1994年
2月の日米包括協議のさいの公式会談の3回です。しかも、日米
包括協議では、細川首相は、数値目標などを主張する米国の要求
を突っぱね、合意に達することができなかったにもかかわらず、
その関係は一層強いものになったように見えることです。
 一体なぜクリントン大統領は、突然訪中したのか、その原因に
ついて、松下政経塾の平山喜基氏のレポートには、次の記述があ
ります。
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 当時、このクリントン外交は日本政府や政治家達の大きな反発
を起こし、このことで長期的な両国の国益である親密な日米関係
を崩すものと懸念する声を産み出すもととなった。この亀裂は翌
年の小渕首相の訪米によってやっと修復されたと捕らえられてい
るが、問題の突然のクリントンの行動の背景はアジアの通貨危機
に端を発したと言う見方がある。
 それはアメリカ経済が好調に推移する中でアジア経済の不安定
さがアメリカに波及することを恐れたクリントン政権や財務省は
日本の不良債権問題にも注目し、それが日本経済を崩壊させ、世
界経済に悪影響を与える懸念を持った。そこでクリントン政権、
財務省は日本が不良債権処理、景気刺激を効果的に行うよう圧力
を強めるが、一方で彼らは中国が通貨危機にあたり、通貨切り下
げを行わずアジア経済を安定させたことを称えていた。
                  https://bit.ly/3rjhHNO
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 実は、このクリントン外交については、米国内でも強い批判が
出ていたのです。アーミテージ氏やナイ氏などを含む超党派の外
交専門家たちは、レポートなどを通じて、クリントン政権の行動
について批判しています。
 朝鮮半島、台湾海峡、インドネシアなどの不安定なアジアの現
状を指摘し、それを乗り越えるためにも成熟した日米関係の構築
が重要であるとしています。日本は経済が世界2位の規模である
こと、そして軍事力が装備の整った、有能なものであり、それら
を鑑みれば、日米関係はアメリカがアジアへの関わる際の要石で
あり、アメリカの世界的安全保障の戦略にとっての中心的存在で
あると説いています。
 また、当時、ブッシュ(子)大統領候補の外交政策顧問を務め
るコンドリーサ・ライス女史は、ファーリン・アフェアーズ2月
号で、強い口調でクリントン大統領を批判しています。
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 今後、アメリカ大統領は9日間も北京に滞在しながら、東京に
も、ソウルにも立ち寄ることを絶対に拒否することをしてはなら
ない。            ──コンドリーサ・ライス女史
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 上記の平山喜基氏のレポートによると、クリントン大統領が短
い期間に目まぐるしく変わる日本のリーダーについて、次のよう
に考えていたのではないかと記述されています。
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 今、経済分野では日本は世界の足を引っ張らないかと言う懸念
が世界に充満している現状にある。政治においてはクリントンが
日本を飛び越して中国に行ったのは日本のリーダーとの対話が官
僚的でそのような関係に嫌気がさしたので日本を無視したという
見方もある。そのような中、日本の現首相に対してアメリカの議
会調査局のレポートは、「経験、能力に疑問があり、失言癖があ
る」と言及するなど日本政治に信頼を置いていない。我々は他国
に信頼されるに値するリーダーを国際社会で日本が積極的に役割
を果たす為につくっていく努力をすべきと言えるだろ。そうして
我々は国際社会の中で大国として必要とされる役割を日本が果た
しうる環境を真剣に作り出す努力をせねばなるまい。
                  https://bit.ly/3rjhHNO
─────────────────────────────
 この記述にある「日本の現首相」とあるのは、小渕首相のこと
ではないかと考えられます。クリントン大統領が唯一心に残った
日本のリーダーは、同盟国であっても、いうべきことをいい、で
きないことは「ノー」といった細川元首相ではなかったと思われ
ます。          ──[新しい資本主義/第008]

≪画像および関連情報≫
 ●大政変「非自民」細川政権の誕生と挫折/星浩氏
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   93年8月6日、特別国会の衆院本会議が開かれた。議長
  には憲政史上初めて、女性の土井たか子元社会党委員長が選
  出され、首相指名が行われた。結果は、細川護熙氏が262
  票で河野洋平氏が224票。細川氏が第79代の首相に選出
  された。
   細川氏は朝日新聞記者、熊本県知事、自民党参院議員など
  を経て、日本新党代表。私は、朝日新聞の大先輩ということ
  もあって、話を聞く機会が多かったが、戦国武将・細川家の
  末裔で近衛文麿元首相の孫という経歴もあり、いつも「歴史
  の流れ」を考えている様子だった。
   自民党は1955年の結党以来、初めて野党に転落。自民
  社会両党による55年体制は幕を閉じた。細川政権の誕生に
  先立ち、宮沢内閣は8月5日に総辞職したが、その前日の4
  日、河野洋平官房長官が戦時中の従軍慰安婦についての報告
  書をまとめ、談話を発表した。92年1月の宮沢首相と韓国
  の盧泰愚大統領との会談で、調査の要請があったことを受け
  たものだ。談話は、慰安婦募集について「本人たちの意思に
  反して集められた事例が数多くある」などと指摘。河野氏は
  公式に謝罪した。この談話に基づいて、後に「アジア女性基
  金」が設立され、韓国の元「慰安婦」の方々に償い金などが
  支払われる。だが、韓国国内では日本への批判はやまず、こ
  の問題は日韓間の火だねとしてくすぶり続ける。
                  https://bit.ly/3FlP1bS
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クリントン米大統領と細川首相(いずれも当時).jpg
クリントン米大統領と細川首相(いずれも当時)
posted by 平野 浩 at 00:00| Comment(0) | 新しい資本主義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする